夕暮菜日記

私的日記、教育、社会、音楽、等々について

『科学者として』

2009年06月24日 08時16分29秒 | 読書
新井秀雄著
幻冬社1500円+税

以前、私のブログの死刑に関するエントリーに対し、次のようなコメントが寄せられたことがある。
『弁護士は大罪を負ったな。捏造したとしたら、その人は、正義のために小さい罪を自ら負ったと思う。』
看守が、死刑囚の控訴取り下げ申立書の署名を偽造・捏造したらしい、ということに対してのコメントだ。
結果、死刑は執行されてしまった。
私は罪は罪であるので、どんな理由があっても肯定はされないと考えている。
しかし、コメント氏はそうは考えないらしい。
むしろ当の看守に正義を重ね、英雄視している向きさえある。

この『科学者として』という本は、新宿のど真ん中にある感染研究所が、危険な病原体を不完全な安全管理施設の中で扱っていることを、内部告発している。
例えば、職員に菌を吸わせないために、排気を屋上から排出している、とか。
職員の安全は保たれるが、周辺住民は病原菌や発癌物質を含んだ空気を吸わされることになる。
また、研究所建物の耐震性についても書いてある。
東京のど真ん中で、災害の中、病原菌がまき散らされたらと思うと、ゾッとする。
さて、この本の中に裁判の過程で提出された被告側(感染研究所側、つまり国側)の鑑定書のサインが、実は研究所の部長が偽造したものであった、という話がある。
これに対する部長の言い訳はこうだ。
「本当はそんなことはしたくなかったのだけれども、感染研のために、大所高所から考えると、自分が泥をかぶってもそれをやらなければならないと、決意した」
冒頭であげた看守をかばうコメントと、考え方がまったく相似である。
『大所高所に立ち』『泥をかぶって』『正義のために』彼らは何を守ったのだろう。
看守の場合は検察、裁判所のメンツ。
研究所部長の場合は、研究所、国のメンツ。
そして死刑は執行され、早稲田近辺の住民、学生は病原菌を吸い続ける。

この『泥をかぶる』という考えかた、、、ヤクザが使うなら納得できる。
親分の犯罪を、自分がやったことにして、何年か刑務所に入るのだ。
自分は『泥をかぶって』組織は守られることになる。
刑務所から出たら、二階級特進だ。
ちなみに、研究所部長はその後、副所長に昇進している。
国の組織とヤクザ組織って、そっくりじゃん?

このヤクザ思考は、日本のいたるところに見ることができる。
この、日本に蔓延する、強烈な具体例を本書は見せてくれる。

まぁ、読め!

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