夕暮菜日記

私的日記、教育、社会、音楽、等々について

宮凬勤を失った

2008年06月18日 05時36分01秒 | 社会
彼の犯した罪は、特殊な奴の犯した、特殊な罪、
だとしたら、
私たちはまだ、彼から普遍性を読み取っていないということだ。
恐怖に駆られたがために、
極上の教材を失ってはいないだろうか?

彼の事件をきっかけに『オタク』という言葉が知れ渡った。
マスコミは『オタク』という特殊な奴が犯したことにして、
『普通』の自分たちを安心させようとした。
テレビに映った彼の部屋には『アニメージュ』があったのを覚えている。
アニメや特撮関連のアイテムであふれていた印象だ。
しかしその後、取材した記者は、
「20代の男性の部屋なら普通にある雑誌が大半だった。」と証言している。

参考記事

私たちは事実とは異なった印象をもとに、この事件を思い出すことがほとんどなのだ。
彼を殺してしまうというのは、この事件自体を殺してしまうことに等しいと思う。
仮に死刑を認めたとしても、もっともっと学ばなければいけなかったのではないか。
学ばずに殺してしまうことは、
私たちが、またも同種の事件の発生を許してしまうことになるのではないか?
被害者の家族なら宮凬勤を殺してしまえ、と思うだろう。
その気持ちはわかる(ような気がする。本人でないから推察するしかない)。
でも同時に「同じような事件は二度と起こってほしくない」とも切望していると思う。
学びが足りない。徹底的に足りない。
と、思うのだが。

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