緑川鷲羽(改名、長尾景虎) 上杉奇兵隊日記「草莽崛起」<上杉松下村塾>

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【プリンセス美智子さま物語 美智子上皇后さま(ほんの一部)】特別公開!2020年度(令和二年)記念参照

2020年01月10日 17時12分29秒 | 日記






















2019年4月30日火曜日の平成最後の日に、フジテレビで放送されたテレビドラマ『プリンセス美智子さま物語』から物語部分を引用したいと思います。だが、あくまで一部のみであり、これがすなわち商業出版用という訳ではない。
わたしがブログに載せた他の自筆小説(の一部)も、あくまで公開用の文章であり、あくまで加筆や大幅な修正をする前の文章でしかない。わたしのブログの小説をコピペして、〝文学賞に応募〟とか〝コピペして小説を書く〟とか甘い! そんな利用される私じゃない!
但し、このドラマは良子皇后(香淳皇后)さまや旧・華族・皇族を悪戯に悪者にしていて、まるで現代版『大奥』のような内容で、さすがフジテレビというドラマだった。
視聴者の中には「平成最後にこんないじめドラマは観るに堪えない」とか「華族・皇族がすべて悪者なのは偏見じゃないか?」「名誉棄損レベルのドラマ」と不評であった。
ちょっとやり過ぎた脚本であり、美智子上皇后さまにドラマ化の許可をとっていないのは明らかであった。それでも、確かに“皇室ドラマ”というのは“チャレンジ作品”ではあった。ドラマでは東宮女官長の牧野純子(まきの・すみこ)さんを浜村時子(永作博美・演)として、多分、松平信子さん(鍋島家出身・学習院OGの旧・華族『常磐会』会長)をモデルに藤永菊子(若村麻由美・演)として登場した。
柳原白蓮は登場しなかった。また、香淳皇后(良子)さまを悪役として描いたが、良子さまは大変にお優しいお方であったし、それゃあ、当初、「民間妃」に反対していたろうが、「自分より皇太子妃へ」と、衣装代など皇太子妃さま(のちの美智子上皇后)へ融通するなどお優しいお方であった。だから、そのドラマの内容をそのまま引用する訳にはいかない。確かに、今から六十年前に、いじめや嫌がらせがあったろうが、過去のお話である。
こういうドラマだけみて、すべて判断するのは危険だ。「雅子皇后さまもこういう…」的な。
だが、美智子皇太子妃(当時・現在・上皇后さま)が嫁がれた昭和33年頃、民間出身ということで伝統と格式にしばられた旧・華族・旧・皇族が反発したのは事実である。
そして、美智子さまの日記を書き写された秘蔵のノート……美智子さまと親しかった人物が一字一句丁寧に書き写した秘蔵のノート……これを元に美智子さまの物語を績ぎたい。
当時のマスコミは皇太子殿下(明仁親王・現在・上皇さま・平成天皇)のご婚約のスクープにやっきになっていた。当時の皇太子さまの教育係は慶應義塾の小泉信三氏である。
東宮御教育常職参与のおじさんである。また、東宮侍従は黒木従達という若い男性だ。
「やれやれ、また駄目だったよ」
 帰るなり小泉はため息を漏らした。「皇太子妃として華族出身で条件も良く、お奇麗なお嬢様であったが、花嫁候補に挙がった時点で早々に結婚なされてしまった」
「皇族になるには様々な高いハードルを乗り越えなければなりませんし……ましてや皇太子妃ともなれば、時期皇后さまですからね」
黒木は名簿の名前に赤ペンをいれる。名簿から削除、という。
「それなんだがねえ」小泉は口を挟む。「どうしても華族や旧・皇族じゃないと駄目なのかなあ。民間では駄目なのかい?」
「いいえ。そんなことはないかと」
「民間人のお嬢様でもちゃんとした女性はいると思うよ」
「で、しょうねえ。わたしもそう思います」
「そういえば……皇太子さまが軽井沢のテニスコートで出会った……正田美智子さんは?」
「ああ。日清製粉のご令嬢の?」
「うん。そう。ハキハキとして美貌で、聡明で、テニスで皇太子さまを負かした」
「あの場で勝っちゃうところがすごいですよね。普通、わざとでも負けますが……」
「民間の名簿は?確か、正田嬢は聖心女学院だったね」
黒木は名簿を確かめた。「あ!聖心女学院の名簿の一位ですよ」
「よし!これは正田嬢しかいないな!」「はい!」
ふたりは盛り上がった。「だが、あの方々にだけは知られてはならない」
あの方々とは旧・華族(公家や大名家出身者)や皇族家のひとたちである。
ドラマでは藤永菊子らという女性たちで描かれたが、いわゆる旧・華族や皇族の『常磐(ときわ)会』の松平信子らたちがモデルである。
ドラマで悪役の彼女たちは「皇族の皇太子妃や皇后は華族などや旧・皇族の家柄のよい子女でなければならない」「民間出身などとんでもない」「正田家は関東出身の昭和の“戦後成金”にすぎない」「皇族は立派な家柄や血筋がなければ駄目」という思想があった。
無論、伝統を守る立場も大事であり、正田家は「成金」ではなく、江戸時代の商家で、戦後、小麦粉などの製粉で一時代を築く『日清製粉』の創業家である。
だが、藤永菊子の意を受けた東宮女官長・浜村時子氏(牧野純子氏がモデル)は民間出身の正田美智子さんを厳しく教育することになる。
小泉信三は、東宮(明仁皇太子・当時)を甘やかさなかった。
テニスを熱心に教えたが、当時の皇太子は“ボールは臣下が拾うもの”という意識であった。だが、小泉は殿下がご自分でボールを拾うまでじっと待った。
そして、殿下がひとりでボールを拾うと、そうです。その通り。という感じで、笑顔で軽く頷いたという。小泉の教えは“疾苦(しっく)”(人が悩み苦しむの意)………
東宮(明仁親王・皇太子さま・当時)も結婚を考える年齢となると、小泉信三は旧・華族から候補の女性をいろいろ見積もるが、皇太子には気に食わない。
「自分は生まれと境遇から世情に疎く、思いやりに欠けたところがあります。人情に通じた女性をお願いしたい。わたしの奥さんは皇太子妃、そして皇后になるのだからね」
「かしこまりました、殿下」
小泉は皇太子殿下(当時)が見初めた財閥の令嬢・正田美智子さんを説得する。
「わたしは殿下の御側にいるものとして、殿下の長所も短所も承知しているつもりである。ただ、誰に向かってもいえることがある。それは、殿下が誠実で、およそ軽薄から遠い方であること。また、はやくからひとを見る目があって、謬(あやま)らないこと、これである。これだけはよくご承知して頂きたい」
小泉の言葉に、美智子さんは笑顔のままゆっくりと頷いた。
この時、正田美智子さんは民間人であり、日清製粉の社長令嬢ではあったが、これまで皇族に民間人が嫁ぐことがなかったために、一騒動があったという。
宮内庁長官に、当時の、昭和(裕仁天皇)天皇や良子(ながこ)皇后(香淳皇后)は民間女性との結婚に“ご反対”はされなかった。フジテレビのドラマでは良子さま(香淳皇后陛下)が美智子さまに意地悪な感情をもっていじめていたような演出だが、あまりにも酷い演出であり、名誉棄損である。良子さまはそのようなお方ではなかった。
確かに、一部の旧・華族や旧・皇族の方々からは嫌がらせやいじめもあったのだろう。
有名な婚約記者会見でのドレスのグローブが膝が隠れないものをして「民間出身だから常識がない」と華族に嘲われた事件も、正田家にグローブがなく、皇族に借りたら届いたのがあれだった……という嫌がらせだった。また、「どうすればよろしいでしょうか?」と尋ねる美智子さまに「もう、あなたは皇太子妃であるのだからご自分でお考えを」と突き放したのも華族出身の牧野純子氏であった。
だが、そういうのは嫉妬の類である。美智子さまがご長男を出産して、台所で料理を自らしたり、傅育官(ふいくかん)制度(わが子を3歳で手放し帝王学を教育させる制度)を廃止し、乳人(めのと・乳母)制度も廃止して、美智子さまがお子様をご自分で育てた。
その過程で、『徳(ナル)ちゃん憲法』なるルールをつくる。
それにしては、「一日一回は優しく抱っこしてあげてください」「投げたものは自分で取ってこさせるようにしてください」という優しい教育方針でしかない。命令じゃない。
だが、庶民から“皇太子妃へ”“プリンセスへ”というシンデレラストーリーに日本国民は熱狂する。その過程での、正田美智子さんブームがいわゆる“ミッチーブーム”である。
小泉はマスコミに頭を下げて、正田美智子さんが皇太子妃に内定するまでに報道を控えるように頼み込む。こうして一波乱があったあと、美智子さんは皇太子妃となる。
1959(昭和34)年4月10日、御成婚馬車パレ-ド。多くの国民が祝福する。
この御成婚儀式の中継が観たくてテレビを買った国民が大勢いたが、当時は白黒テレビだった。カラーテレビが普及するのは1964年の東京オリンピックぐらいからである。
明仁親王・皇太子さま・当時……“語らひを重ねゆきつつ気がつきぬ。われのこころに開きたる窓”正田美智子さんと小泉信三が、殿下のこころの窓を開かれた。
昭和35年(1960年)浩宮徳仁親王ご誕生(現在の新天皇陛下)、昭和40年(1965年)11月30日礼宮文仁親王ご誕生、昭和44年(1969年)紀宮清子内親王ご誕生……。
実は美智子さまは第二子を“流産”なされて神奈川県葉山に落ち込んで絶望で、公務を休んで数か月静養なされたことがあり、その地獄から救ったのも皇太子さま(現・平成天皇・上皇さま)と幼いお子様(現・新天皇陛下・令和天皇)であった。
皇太子さまは(記者会見で)「まだ、子供は幼いので何を言っても通じない」といわれると、美智子さまは「いいえ。………通じますよ」とほほ笑む。
いつまでも意地悪なことを言う華族たちは、「やはり、民間出身では駄目ね」「家柄がよくないと……お勉強だけできてもねえ?」「名家のしきたりはやはり家柄がよくなければ」「皇室こそ国の鏡、なのに民間人の女性はだめである。国として恥ずかしい」と悪口。
とうとう、浜村時子(牧野純子)は怒る。
「いいえ。美智子さまはすばらしく、よくなされています!民間人と華族に人間としての差などありません!美智子さまはすでにご立派な皇太子妃殿下であらせられますし、将来の皇后陛下であらせられます!いい加減にご無礼で恥知らずな暴言をお控えなさいませ!!」「……な?!!」これで勝負あり、である。
(記者会見で)美智子さま「子供たちの間でお父様のお仕事は何か?というような質問もあると思います。そのせつはなんと説明するべきか、お父様の皇太子殿下のお仕事は、社会の暗くなっている、弱い人たちや、そういうひとびとの苦難や苦役に光をあてて、励ますこと。そういう仕事なのだ、と。」
浜村時子(牧村純子氏)が生前に大事にしていたものが葉山御用邸で、静養していた美智子さまから封筒で届いた桜貝……“多勢(たぜい)の足が踏んでいったはずの砂の中に驚く程どこまでも傷のない桜貝がございました。”
昭和64年(1989年)1月7日、昭和天皇崩御………
当時の皇太子さまご夫婦は五十代で天皇皇后即位……元号『平成』スタート
それとともに牧野さんは病死する。そして三十年後、2019年4月30日に天皇陛下・明仁親王(平成天皇・上皇さま)・美智子皇后さま(上皇后さま)は退位……
2019年5月1日、皇太子・徳仁親王・新天皇陛下へ即位(雅子さま・新・皇后へ)
新たな時代、新元号『令和(れいわ)』がスタートする。
こうして時代は変わり、新しい皇室も始まった。すべては皇后さま天皇陛下のお優しさと共に……天皇陛下皇后陛下上皇上皇后さま万歳!
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