長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

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『上皇陛下と上皇后・美智子さま篇』池上彰「日本の戦後を知るための12人」『第十回 上皇陛下と上皇后・美智子さま 象徴天皇としての試行錯誤』(文藝春秋社)より参照引用。

2021年12月19日 12時08分54秒 | 日記











『上皇陛下と上皇后・美智子さま篇』池上彰「日本の戦後を知るための12人」『第十回 上皇陛下と上皇后・美智子さま 象徴天皇としての試行錯誤』(文藝春秋社)より参照引用。
 (二○一九年になされた譲位は、崩御にともなわないため明るく、新元号ともども大歓迎されました。しかし、被災地を熱心に訪問されたお二人は、「国民に慕われていた」と今でこそ振り返られますが、かつては様々なマスコミからひどいバッシングを受けていたのです。)
 (明仁上皇・あきひとじょうこう・一九三三年、東京府生まれ。五九年に正田美智子さんと結婚し、六○年に第一子の徳仁親王を儲ける。八九年、父親の崩御により代一二五代天皇に即位。以後、被災地などを精力的に訪問。二○一六年に生前譲位の意向を示され、一九年に退位した)
 (美智子上皇后・みちこじょうこうごう・一九三四年、東京府生まれ。明治以降初の民間出身の皇后であり、結婚時には「ミッチーブーム」が巻き起こった。週刊誌等によるバッシングは散発的に起き、九○年代には失語症になった。呼称「上皇后」は日本史上初めて使われるもの)

 目の当たりにした焼野原

 お二人がどんな幼少期を過ごされたのかを見ておきましょう。
 上皇陛下は皇太子時代、空襲を避けて日光のあたりに疎開されています。実際に東京に戻ってくるのは終戦から三か月ほどたった十一月。目にしたものは、一面焼け野原と化した東京の光景でした。戦争に踏み切ると、あるいは戦争に負けてしまうと、こういう結果を招くのかーーこれが当時十一歳の上皇にとっての戦争体験でした。
 美智子さまの場合も似たようなものです。疎開先の軽井沢から戻って東京の惨状を目の当たりにしておられます。
 終戦の翌年から四年間、皇太子の家庭教師としてアメリカ人女性のヴァイニング夫人が就きます。右派の論客からは「GHQが皇太子を洗脳するために押し付けたんだ」という声も上がりましたが、実際は、父親の昭和天皇が要望したからで、けっしてGHQの押し付けではなかったのです。
 夫人は学習院で英語を教えると同時に、当時は中等科に学んでいた皇太子の家庭教師として、アメリカの文化についても教えています。
 夫人は、皇太子が両親と一緒に住んでいないと知って、仰天したそうです(邦訳『皇太子の窓』文藝春秋刊)。
 週に一度だけ、両親に会いに行く。寂しかったことでしょう。ですから、美智子さまとご結婚されたときに、「わたしは結婚してはじめて家庭という温かさを知った」と述べられるのです。それともうひとつ。皇太子は何でも、「どうぞお好きなように」と、自分では考えずに、家臣・部下に任せる癖がありました。皇太子であり、皇族だからでしょうが。
 そこで、夫人は「これならどうする?」「どうしますか?」と、自分で考えさせる習慣をつけさせたそうです。
 問題となったのは、教え子たちに、英語のニックネームをつけたこと(日本語の名前は発音しづらいから)。皇太子は「ジミー」でした。ここで、国民は「皇太子さまに「ジミー」とは何事か!」と激怒したとか。
 昭和天皇が帝王学として欧州訪問をなさったのを習って、皇太子さまは一九五三年、学習院大学を休学して半年間、欧州訪問をなさります。ですが、そこは戦後の時代、半年も留守にしたため学位がとれず、皇太子さまの最終学歴は〝大学中退〟となりました。
 ですが、天皇・上皇に、果たして学歴は必要でしょうか?
 皇太子が結婚相手に選んだのは、平民・粉屋(日清製粉)の娘の正田美智子さんでした。
 馬車でのパレード(五九年四月十日ご成婚)で、〝ミッチーブーム〟は最高潮に達します。ですが、その後に、平民出身者の美智子さまに何度もバッシングが襲い掛かります。
 六○年に徳仁親王さまが生まれます。従来であれば、皇族の皇子は乳母や臣下が育てますが、美智子さまは御自分で育てることになります。その子育てのルールを決めたものが、のちに『ナルちゃん憲法』となり、本にまでなります。美智子さま流の子育て術です。
 浩宮(徳仁=今上天皇)、礼宮(文仁=秋篠宮)、紀宮(黒田清子)と三人のお子様を育てられました。
 被災地や旧戦地にご訪問になられて、慰霊や激励の癒しの旅をなされて。
 でも、そこで、陛下や美智子さまが膝を屈して民に話しかけておられて。
 それを見た国民の多くから、「何で天皇陛下にあんなことをさせたんだ!」と苦情の電話が殺到したのだとか。国民に寄り添う天皇(上皇陛下)と皇后(上皇后)さま。
 尊い、ですよね。
 現在、皇族の減少と、皇務問題や女系天皇問題や万世一系……とか、難題が山積していますね。今上天皇さまと秋篠宮さまはいいとしても、その次は悠仁さまただひとり……。
 果たして、悠仁さまに嫁ぐ女性が、将来、現れるか? そうとうの重圧ですよね。
 だからか、国民は皇室問題にはあまり触れない。〝女系天皇〟〝万世一系〟……わたしだってそんな難しい問題に触れたくないです。
 ですが、そうもいっていられない。
 頭の痛い問題ですが、もう今からでも決めておかないといけない。
 これは、皇室問題は、国民の問題なのですから。

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