長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

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『「優生思想」の恐怖。障害者に「強制不妊」に「障害者施設大量殺害事件」と映画『月』』

2024年09月22日 14時36分14秒 | 日記











『「優生思想」の恐怖。障害者に「強制不妊」に「障害者施設大量殺害事件」と映画『月』』

旧優生保護法(1948~96年)下での不妊治療を違憲とした最高裁判決を受けて、超党派議員連盟のプロジェクトチームは、被害を補償する新たな法案大枠を示した。
強制不妊の障害者の被害者に1500万円、配偶者に500万円、人工妊娠中絶を受けた人に200万円を支給する方針だという。
配偶者・中絶も対象にする強制不妊補償法案である。
まあ、優生思想な訳だが、恐ろしい、というか。
優生思想自体は百年以上前からあって、「この世の中は優れた人間しかいらない。劣った人種や障害者や知的障害などの人は「生きていても本人も不幸だし、税金も無駄になる。安楽死させたほうが社会も本人も幸せに違いない」。よってそういうひとは安楽死させて救ってあげよう……」――――――これが優生思想である。
むろん、このような考えは間違っていると嘘でもいいから全力で抵抗し、反論しなければならない。優生思想の考えで、ナチスやヒトラーは『T4作戦』と称してドイツ国内の身体障害者や精神障碍者やダウン症の子供など数万人を銃殺した。それがのちに、悪名高い600万人ものユダヤ人大虐殺『ホロコースト』へと繋がっていく。
また、2016年(平成28年)7月26日未明に神奈川県相模原市緑区で発生した大量殺人事件いわゆる『障害者施設殺傷事件』『相模原やまゆり園事件』――――この事件に関してもそのような優生思想が動機にあったともいう。(もっとも犯人の植松聖死刑囚は『優生思想』『ヒトラーやナチスの『T4作戦』』も知らなかったのだが……)
また、その2016年のテロ事件をモチーフに作られたのが作家・辺見庸先生の小説『月』であり、それをもとにした映画『月』である。小説は重度の障碍者のキイちゃんという女性視点の物語で、実際は文章が大量で読みにくい。だが、映画のほうは名だたる俳優さんの名演技で、ぐいぐい引き込まれる。
主人公の堂島洋子(映画だけの主人公)を宮沢りえさんが演じ、殺戮魔に闇落ちする「さとくん」を磯村勇斗さん。洋子の働き始めた森の奥の重度知的障害者施設の同僚役が二階堂ふみさん。主人公の夫役がオダギリジョーさん。
映画はむろん、「人殺しは行けない」「障害者差別は駄目」「意思のない障害者であれ人権がある」というテーマで、けして障害者殺戮を肯定しているのではない。当たり前だ。
だが、物語の終盤に、さとくんが優生思想に染まり、主人公の洋子が「それでもひとを殺してはいけない」「障害者でも人権がある」「それはナチスやヒトラーの考えよ」「同じ人間でしょう?」と泣きながら諭すが、さとくんは、「人って何ですか? あいつらは意思疎通が出来ない。それで生きているって言えますか? 障害者は生きているだけで不幸で可哀相なんだから安楽死させてあげたほうが社会も本人も幸せになる」「堂島さんだって、お腹の子供が障害者だったら嫌でしょう? そういうことですよ」「この施設が何故、森の奥にあるのか? それは誰かがそいつらの世話をやればいいが、自分たちは関わりたくない。見えないところでやってくれ。と、排除し、隔離して、他人事にしたいから。みんなは見たくないし、関わりたくない。きれい事だけ言って後は排除、無視、隔離――――施設の重度障害者の親も預けたらそのまま何年も会いにさえ来ない。すべて隔離し、存在さえ忘れたい。これが今の日本の障害者への偏見というより日本人の見方です。きれいごとだけでは何も変わらない」――――確かに、そうだけど。違うと思うけどうまく反論できない。だが、これでは困るのだ。
もちろん、障害者施設でも虐待やいじめも酷い。証拠では、障害者の患者を繰り返したたいたりベッドに押しつけたりするなどの暴行や、「殺すぞ」などの脅迫めいた言動が確認できた。これは障害者差別―――というだけではなく人権の話しである。
こういう差別や言語道断の『障害者殺傷』に関しては、どんな綺麗事でもいいから全力で否定し、止めなければならない。それが甘いと言われようが人権意識であり、ヒューマニズムである。映画はむろんそのテーマで描かれているのだが主人公はさとくんを諭せず、優生思想に逡巡し、狼狽する。綺麗事だけでは……ならどうすればいいのか? 甘いと言われようが、それは間違っている、と誰もが言わなければならない。
少なくとも「障害者が邪魔だから、いらない。殺そう。安楽死させよう」というのは確実に間違っているのだ。それを主張せず、優生思想に逡巡したり動揺したら駄目なのだ。
もちろん、誰も映画のさとくんや植松聖死刑囚に同調するやつはいない。
映画は所詮は作り物の物語だが、現実の植松や架空のさとくんにシンパシーを感じるのでさえわたしは「違うだろう」と思う。まあ、優生思想は昔からあって、「真面目に働いている俺が稼いでもほとんど税金で持って行かれるのに、障害者や生活保護受給者は働きもせずに大金を得ている。何で、俺が納めた税金であいつらを食べさせるんだ? あんな奴ら必要ない!」という考えも昔からある。
だが、考えてみれば分かるが、生活保護や障害者年金受給者とかなどそんなに多くのカネを受給しているのではない。だから、弱者救済をやめるよりも大金持ちからもう少し税金をとったほうが、弱者救済をやめるよりよほど税金がとれるし、平等になれる。
例えば、一般の人が年に二千万円稼いでも五十パーセントは税金でもっていかれてしまう。だが、鳩山由紀夫さんのお母さん、まあおばあちゃんは年間二十億円が口座に入るが、税金はそれの二十パーセント以下なのだ。
大金もちからカネを取った方が、よほど税金収入を増やす術になる。
生活保護や障害者年金など、働く人の月の給料の半分以下だ。多くても二ヶ月で十数万円でしかない。社会的弱者を憎み恨むよりも、税金を殆ど払っていない大金持ちのほうが、よほど憎み恨みのターゲットにふさわしいだろう。殺しては駄目なのは当たり前だが。
まず障害者の権利維持を強化し、共存共栄関係を大事にする。社会の一員としての共存であり、そういう社会を理想とする。健常者と障害者が共に話し合える民主主義的な社会を築くことこそ重要である。            おわり

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