長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

勝海舟 龍馬の師・勝麟太郎の維新回天アンコールブログ連載2

2012年02月16日 11時14分13秒 | 日記
 2 自由の国





  観光丸をオランダ政府が幕府に献上したのには当然ながら訳があった。
 米国のペリー艦隊が江戸湾に現れたのと間髪入れず、幕府は長崎商館長ドンケル・クルチウスの勧めで、百馬力のコルベット艦をオランダに注文した。大砲は十門から十二門整備されていて、一隻の値段が銀二千五百貫であったという。
 装備された砲台は炸裂弾砲(ボム・カノン)であった。
 一隻の納期は安政四年(一八五七)で、もう一隻は来年だった。
 日本政府と交流を深める好機として、オランダ政府は受注したが、ロシアとトルコがクリミア半島で戦争を始めた(聖地問題をめぐって)。
 ヨーロッパに戦火が拡大したので中立国であるオランダが、軍艦兵器製造を一時控えなければならなくなった。そのため幕府が注文した軍艦の納期が大幅に遅れる危機があった。 そのため長崎商館長ドンケル・クルチウスの勧めで、オランダ政府がスームビング号を幕府に献上した、という訳である。
 クルチウスは「幕府など一隻の蒸気船を献上すれば次々と注文してきて、オランダが日本海軍を牛耳れるだろう」と日本を甘くみていた。
 オランダ政府はスームビング号献上とともに艦長ペルス・ライケン大尉以下の乗組員を派遣し、軍艦を長崎に向かわせた。すぐに日本人たちに乗組員としての教育を開始した。 観光丸の乗組員は百人、別のコルベット艦隊にはそれぞれ八十五人である。
 教育過程は次のとおりであったという。
 班長担当
    綱索取扱い           週三時間
    演習              週三時間
    規程              週三時間
    地文学             週二時間
 一等尉官担当
    艦砲術             週五時間
    造船              週五時間
    艦砲練習            週六時間
    (歩兵操練監督)
 二等尉官担当
    運転術             週五時間
    数学・代数           週五時間
    帆操縦(測定器・海図・観測)  週九時間
 主計士官担当
    算術              週九時間
 軍医担当
    物理              週三時間
    代学              週三時間
    分析学             週三時間
    包帯術             週三時間
 機関士官担当
    蒸気機関理論
                    週六時間
   飽ノ浦工場建設、蒸気機関監督含む。
 軍人以外の教育担当
    オランダ語・算術教授      週十一時間
    乗馬              週十時間
 海兵隊士官担当
    歩兵操練            週十五時間
    船上操練            週四時間
    一般操練            週三時間
 鼓手担当
    軍鼓練習            週十二時間
 船大工担当
    造船所の操練
 製帆手の担当
    マストの操練
 水兵担当
    水兵の勤務実習
 看護手担当
    医官の手伝い・印刷部の手伝い長崎海軍伝習所の発足にあたり、日本側は諸取締役の総責任者に、海防掛目付の永井尚      
志を任命した。
 長崎にいくことになった勝麟太郎も、小譜請から小十人組に出世した。当時としては破格の抜擢であったという。
 かねてから麟太郎を支援していた箱根の豪商柴田利右衛門もおおいに喜んだ。
 しかし、その柴田利右衛門は麟太郎が長崎にいる間に病死した。勝海舟は後年まで彼の早逝を惜しんだ。「惜しいひとを亡くした」勝は涙目でいった。
 幕府から派遣される伝習生のうち、矢田堀景蔵、永持や勝麟太郎が生徒監を命じられた。 永持は御目付、奉行付組頭で、伝習生の取締をする。
 海陸二班に別れて、伝習生は長崎に派遣された。
 麟太郎は矢田堀とともに海路をとったという。
 昌平丸という薩摩藩が幕府に献上した船で、一行は九月三日朝、品川沖を出帆した。 
 長さ九十フィートもある洋艦で豪華な船だったが、遠州灘で大時化に遭った。
 あやうく沈没するところだったが、マスト三本すべて切断し、かろうじて航海を続けた。 長州下関に入港したのは十月十一日、昌平丸から上陸した麟太郎たちは江戸の大地震を知った。
「江戸で地震だって? 俺の家は表裏につっかえ棒してもっていたボロ屋だ。おそらく家族も無事ではないな」麟太郎は言葉をきった。「何事もなるようにしかならねぇんだ。俺たちだって遠州灘で藻屑になるところを、あやうく助かったんだ。運を天にまかすしかねぇ」
「勝さん。お悔やみ申す」矢田堀は低い声で神妙な顔でいった。
「いやぁ、矢田堀さん。たいしたことではありませぬ」麟太郎は弱さを見せなかった。 
 昌平丸は損傷が激しく、上陸した船員たちもほとんど病人のように憔悴していた。
 長崎に入港したのは十月二十日だった。麟太郎は船酔いするので、ほとんど何も食べることも出来ず、吐き続けた。そのため健康を害したが、やがて陸にあがってしばらくすると元気になった。長崎は山の緑と海の蒼が鮮やかで、まるで絵画の作品のようであった。 長崎の人口は六万人で、神社は六十を越える。
 伝習所は長崎奉行所の別邸で、教師はオランダ人である。幕府が一番やっかいだったのは蒸気機関である。それまで蒸気機械などみたこともなかったから、算術に明るい者を幕府は送り込んできた。
 教育班長のペルス・ライケンは日本語を覚えようともせず、オランダ語で講義する。日本人の通訳が訳す訳だが、いきおいわからない術語があると辞書をひくことになる。
 ペルス・ライケンは生徒達に授業内容を筆記させようとはせず、暗記させようとした。そのため困る者が続出した。
  勝麟太郎と佐賀藩士の佐野常民、中牟田倉之助の三人はオランダ語を解するので、彼等が授業後にレポートを書き、伝習生らはそれを暗唱してようやく理解したという。
 麟太郎はいう。「俺はオランダ語ができるのでだいたいのことはわかるから聞いてくれ。ただし、算術だけは苦手だからきかねぇでほしいな」
 ペルス・ライケンは専門が算術だけに、微分、積分、力学など講義は難解を極めた。
 安政三年十月から十一月まで麟太郎は江戸に一時戻り、長崎の伝習事務を取り扱っていた。幕府は、麟太郎をただの伝習生として長崎にやった訳ではなかった。
 のちの勝海舟である勝麟太郎は、以前からオランダ語をきけたが、ペルス・ライケンの講義をきくうちに話せるようにもなっていた。それで、オランダ人たちが話し合っている内容をききとり、極秘の情報を得て老中阿部伊勢守正弘に通報するなどスパイ活動をさせたのだ。
 やがて奥田という幕府の男が麟太郎を呼んだ。
「なんでござろうか?」
「今江戸でオランダ兵学にくわしいのは佐久間象山と貴公だ。幕府にも人ありというところを見せてくれ」
 奥田のこの提案により、勝麟太郎は『オランダ兵学』を伝習生たちに教えることにした。「なんとか形にはなってきたな」
 麟太郎は手応えを感じていた。海兵隊の訓練を受けていたので、麟太郎は隊長役をつとめており明るかった。
 雪まじりの風が吹きまくるなか、麟太郎は江戸なまりで号令をかける。
 見物にきた老中や若年寄たちは喜んで歓声をあげた。
 佐久間象山は信州松代藩士であるから、幕府の旗本の中から麟太郎のような者がでてくるのはうれしい限りだ。
 訓練は五ツ(午前八時)にはじまり夕暮れに終わったという。
 訓練を無事におえた麟太郎は、大番組という上級旗本に昇進し、長崎にもどった。
 研修をおえた伝習生百五人は観光丸によって江戸にもどった。その当時におこった中国と英国とのアヘン戦争は江戸の徳川幕府を震撼させていた。
 永井尚志とともに江戸に帰った者は、矢田堀や佐々倉桐太郎(運用方)、三浦新十郎、松亀五郎、小野友五郎ら、のちに幕府海軍の重鎮となる英才がそろっていたという。
 勝麟太郎も江戸に戻るはずだったが、永井に説得されて長崎に残留した。
 彼が長崎に残留したのにはもうひとつ理由があった。麟太郎には長崎に愛人がいたのである。名は梶久といい未亡人である。年はまだ十四歳であったがすでに夫が病没していて未亡人であった。
 縁は雨の日のことである。
 ある雨の日、麟太郎が坂道の途中で高下駄の鼻緒を切らして困っていたところ、そばの格子戸が開いて、美貌の女性がでてきて鼻緒をたててくれた。
「これはかたじけない。おかげで助かった」
 麟太郎は礼を述べ、金を渡した。しかし、翌日、どこで調べてきたのかお久が伝習所に訪ねてきて金をかえした。それが縁で麟太郎とお久は愛しあうようになった。当然、肉体関係もあった。お久はまだ十四歳であったが夫が前にいたため「夜」はうまかったという。 伝習所に幕府の目付役の上司がくると、麟太郎はオランダ語でその男の悪口をいう。
 通訳がどう訳せばわからず迷っていると、麟太郎は、
「俺の片言が訳せないなら言ってやろうか?」とオランダ語で脅かす。
 ある時、その上司の木村図書が麟太郎にいった。
「航海稽古の時、あまり遠方にいかないようだがもっと遠くまでいったらいいのではないか?」
 麟太郎は承知した。図書を観光丸に乗せ、遠くまでいった。すると木村図書はびびりだして「ここはどこだ?! もう帰ってもよかろう」という。
 麟太郎は、臆病者め、と心の中で思った。
 木村図書は人情に薄く、訓練者たちが夜遊びするのを禁じて、門に鍵をかけてしまう。 当然、門をよじのぼって夜の街にくりだす者が続出する。図書は厳重に御灸をすえる。あるとき麟太郎は激昴して門の鍵を打ち壊し、
「生徒たちが学問を怠けたのなら叱ってもよいが、もう大の大人じゃねぇですか。若者の夜遊びくらい大目にみてくだせぇ!」と怒鳴った。
 図書は茫然として言葉も出ない。
 麟太郎がその場を去ると、木村図書は気絶せんばかりの眩暈を覚えた。「なにをこの若造め!」図書は心の中で麟太郎を罵倒した。
 麟太郎を中心とする兵学者たちは、高等砲術や工兵科学の教示をオランダ人たちに要請した。教師たちは、日本人に高度の兵学知識を教えるのを好まず、断った。
「君達はまだそのような高度の技術を習得する基礎学力が備わってない」
 麟太郎は反発する。
「なら私たちは書物を読んで覚えて、わからないことがあったらきくから書物だけでもくれはしまいか?」
 教師は渋々受け入れた。
 研究に没頭するうちに、麟太郎は製図法を会得し、野戦砲術、砲台建造についての知識を蓄えたという。
  安政四年八月五日、長崎湾に三隻の艦船が現れた。そのうちのコルベット艦は長さ百六十三フィートもある巨大船で、船名はヤッパン(日本)号である。幕府はヤッパン号を 
受け取ると咸臨丸と船名を変えた。
 カッテンデーキがオランダから到着して新しい学期が始まる頃、麟太郎は小船で五島まで航海練習しようと決めた。麟太郎と他十名である。
 カッテンデーキは「この二、三日は天気が荒れそうだ。しばらく延期したほうがよい」 と忠告した。日本海の秋の天候は変りやすい。が、麟太郎は「私は海軍に身をおいており、海中で死ぬのは覚悟しています。海難に遭遇して危ない目にあうのも修行のうちだと思います。どうか許可してください」と頭を下げた。
 カッテンデーキは「それほどの決意であれば…」と承知した。
 案の定、麟太郎たちの船は海上で暴風にあい、遭難寸前になった。
 だが、麟太郎はどこまでも運がいい。勝海舟は助かった。なんとか長崎港までもどったのである。「それこそいい経験をしたのだよ」カッテンデーキは笑った。
 カッテンデーキは何ごとも謙虚で辛抱強い麟太郎に教えられっぱなしだった。
「米国のペリー堤督は善人であったが、非常に苛立たしさを表す、無作用な男であった」 彼は、日本人を教育するためには気長に粘り強く教えなければならないと悟った。
 しかし、日本人はいつもカッテンデーキに相談するので危ういことにはならなかったのだという。この当時の日本人は謙虚な者が多かったようで、現代日本人とは大違いである。 麟太郎は、さっそく咸臨丸で練習航海に出た。なにしろ百人は乗れるという船である。ここにきて図書は「炊事場はいらない。皆ひとりづつ七輪をもっている」といいだした。 麟太郎は呆れて言葉もでなかった。
「この木村図書という男は何もわかってねぇ」言葉にしてしまえばそれまでだ。しかし、勝麟太郎は何もいわなかった。
   
 薩摩藩(鹿児島県)によると、藩主の島津斉彬が咸臨丸に乗り込んだ。
「立派な船じゃのう」そういって遠くを見る目をした。
 麟太郎は「まだまだ日本国には軍艦が足りません。西洋列強と対等にならねば植民地にされかねません。先のアヘン戦争では清国が英国の植民地とされました」
「わが国も粉骨砕身しなければのう」斉彬は頷いた。
 そんな島津斉彬も、麟太郎が長崎に戻る頃に死んだ。
「おしい人物が次々と亡くなってしまう。残念なことでぃ」
 麟太郎はあいかわらず長崎にいた。

  コレラ患者が多数長崎に出たのは安政五年(一八五八)の初夏のことである。
 短期間で命を落とす乾性コレラであった。
 カッテンデーキは日本と首都である江戸の人口は二百四十万人、第二の都市大阪は八十万人とみていた。しかし、日本人はこれまでコレラの療学がなく経験もしていなかったので、長崎では「殺人事件ではないか?」と捜査したほどであった。
 コレラ病は全国に蔓延し、江戸では三万人の病死者をだした。

  赤坂田町の留守のボロ屋敷をみてもらっていた旗本の岡田新五郎に、麟太郎はしばしば書信を送った。留守宅の家族のことが気掛かりであったためだ。
 それから幕閣の内情についても知らせてほしいと書いていた。こちらは出世の道を探していたためである。
 麟太郎は岡田に焦燥をうちあけた。
「長崎みたいなところで愚図愚図して時間を浪費するよりも、外国にいって留学したい。オランダがだめならせめてカルパ(ジャワ)にいってみたい」
 はっきりいって長崎伝習所で教えるオランダ人たちは学識がなかった。
 授業は長時間教えるが、内容は空疎である。ちゃんと航海、運用、機関のすべてに知識があるのはカッテンデーキと他五、六人くらいなものである。
「留学したい! 留学したい! 留学したい!」
 麟太郎は強く思うようになった。…外国にいって知識を得たい。
 彼にとって長崎伝習所での授業は苦痛だった。
 毎日、五つ半(午前九時)から七つ(午後四時)まで学課に専念し、船に乗り宿泊するのが週一日ある。しかも寒中でも火の気がなく手足が寒さで凍えた。
「俺は何やってんでい?」麟太郎には苦痛の連続だった。
 数学は航海術を覚えるには必要だったが、勝麟太郎は算数が苦手だった。西洋算術の割り算、掛け算が出来るまで、長い日数がかかったという。
 オランダ人たちは、授業が終わると足速に宿舎の出島に帰ろうとする。途中で呼び止めて質問すると拒絶される。原書を理解しようと借りたいというが、貸さない。
 結局彼らには学力がないのだ、と、麟太郎は知ることになる。
 麟太郎は大久保忠寛、岩瀬忠震ら自分を長崎伝習所に推してくれた人物にヨーロッパ留学を希望する書簡を送ったが、返答はなかった。
 麟太郎はいう。
「外国に留学したところで、一人前の船乗りになるには十年かかるね。俺は『三兵タクチーキ』という戦術書や『ストラテヒー』という戦略を記した原書をひと通り読んでみたさ。しかし孫子の説などとたいして変わらねぇ。オランダ教官に聞いてみたって、俺より知らねぇんだから仕様がないやね」
 コレラが長崎に蔓延していた頃、咸臨丸の姉妹艦、コルベット・エド号が入港した。幕府が注文した船だった。幕府は船名を朝陽丸として、長崎伝習所での訓練船とした。
 安政五年は、日本国幕府が米国や英国、露国、仏国などと不平等条約を次々と結んだ時代である。また幕府の井伊大老が「安政の大獄」と称して反幕府勢力壤夷派の大量殺戮を行った年でもある。その殺戮の嵐の中で、吉田松陰らも首をはねられた。
 この年十月になって、佐賀藩主鍋島直正がオランダに注文していたナガサキ号が長崎に入港した。朝陽丸と同型のコルベット艦である。
 オランダ教官は、日本人伝習生の手腕がかなり熟練してきていることを認めた。
 安政五年、幕艦観光丸が艦長矢田堀景蔵指揮のもと混みあっている長崎港に入港した。船と船のあいだを擦り抜けるような芸当だった。そんな芸当ができるとはオランダ人たちは思っていなかったから、大変驚いたという。
 翌年の二月七日、幕府から日本人海軍伝習中止の命が届いて、麟太郎は朝陽丸で江戸に戻ることになった。
  麟太郎は、松岡磐吉、伴鉄太郎、岡田弁蔵とともに朝陽丸の甲板に立ち、長崎に別れを告げた。艦長は当然、勝麟太郎(のちの勝海舟)であった。船は激しい暴風にあい、麟太郎たちは死にかけた。マストを三本とも切り倒したが、暴風で転覆しかけた。
「こうなりゃ天に祈るしかねぇぜ」麟太郎は激しく揺れる船の上で思った。日が暮れてからマストに自分の体を縛っていた綱が切れ、麟太郎は危うく海中に転落するところだった。 だが、麟太郎はどこまでも運がいい。なんとか船は伊豆下田へと辿り着いたのである。「船は俺ひとりで大丈夫だから、お前らは上陸して遊んでこい」
 麟太郎は船員たちにいった。奇抜なこともする。

 日米修交通商条約批准のため、間もなく、外国奉行新見豊前守、村垣淡路守、目付小栗上野介がアメリカに使節としていくことになった。ハリスの意向を汲んだ結果だった。 幕府の中では「米国にいくのは日本の軍艦でいくようにしよう」というのが多数意見だった。白羽の矢がたったのは咸臨丸であった。
 江戸にもどった麟太郎は赤坂元氷川下に転居した。麟太郎は軍艦操練所頭取に就任し、両御番上席などに出世した。
 米国側は、咸臨丸が航行の途中で坐礁でもされたら条約が批准されない、と心配してポーハタン号艦を横浜に差し向けた。
 万延元年(一八六〇)正月二十二日、ポータハン号は横浜を出発した。咸臨丸が品川沖を出向したのは、正月十三日だったという。麟太郎は観光丸こそ米国にいく船だと思った。 が、ハリスの勧めで咸臨丸となり、麟太郎は怒った。
 だが、「つくってから十年で老朽化している」というハリスの判断は正しかった。観光丸は長崎に戻される途中にエンジン・トラブルを起こしたのだ。
 もし、観光丸で米国へ向かっていたらサンドイッチ(ハワイ諸島)くらいで坐礁していたであろう。
 勝麟太郎(のちの勝海舟)は咸臨丸に乗り込んでいた。
 途中、何度も暴風や時化にあい、麟太郎は船酔いで吐き続けた。が、同乗員の中で福沢諭吉だけが酔いもせず平然としていたという。
「くそっ! 俺は船酔いなどして……情ない」麟太郎は悔しがった。
「船の中では喧嘩までおっぱじまりやがる。どうなってんでぃ?」

  やがて米国サンフランシスコが見えてきた。
 日本人たちは歓声を上げた。上陸すると、見物人がいっぱいいた。日本からきたチョンマゲの侍たちを見にきたのだ。「皆肌の色が牛乳のように白く、髪は金で、鼻は天狗のように高い」麟太郎は唖然とした。
 しかし、米国の生活は勝麟太郎には快適だった。まず驚かされたのはアイス、シヤンパン、ダンスだった。しかも、日本のような士農工商のような身分制度もない。女も男と同等に扱われている。街もきれいで派手な看板が目立つ。
 紳士淑女たちがダンスホールで踊っている。麟太郎は「ウッジュー・ライク・トゥ・ダンス?」と淑女に誘われたがダンスなど出来もしない。
 諭吉はあるアメリカ人に尋ねてみた。
「有名なワシントンの子孫はどうしてますか?」
 相手は首をかしげてにやりとし「ワシントンには女の子がいたはずだ。今どこにいるのか知らないがね」と答えた。
 諭吉は、アメリカは共和制で、大統領は四年交替でかわることを知った。
 ワシントンといえば日本なら信長や秀吉、家康みたいなものだ。なのに、子孫はどこにいるのかも知られていない。それを知り彼は、カルチャーショックを受けた。
 カルチャーショックを受けたのは麟太郎も同じようなもの、であった。



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勝海舟 龍馬の師・勝麟太郎の維新回天アンコールブログ連載1

2012年02月16日 11時10分22秒 | 日記
小説
     勝海舟
                           戦わずして勝つ

                 KATSUKAISHU~the last samurai ~                ~開国せよ! 龍馬の師・勝海舟の「日本再生論」。
                 「江戸無血開城」はいかにしてなったか。~
                ノンフィクション小説
                 total-produced&PRESENTED&written by
                  Washu Midorikawa
                   緑川  鷲羽

         this novel is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.

        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ


          あらすじ

  黒船来航…
  幕末、勝海舟(勝麟太郎)は幕府の軍艦奉行に抜擢された。それまでは年五十石の貧乏武士であり、そのため奮起して咸臨丸という船にのってメリケン(アメリカ)に留学して知識を得た。麟太郎の弟子はあの坂本龍馬である。先進国を視察した勝海舟にとって当時の日本はいびつにみえた。勝は幕府を批判していく。だが勝は若き将軍徳川家茂を尊敬していた。しかし、その将軍も死んでしまう。かわりは一橋卿・慶喜であった。
 勝海舟はなんとかサポートするが、やがて長州藩による蛤御門の変(禁門の変)がおこる。幕府はおこって軍を差し向けるが敗走……龍馬の策によって薩長連合ができ、官軍となるや幕府は遁走しだす。やがて官軍は錦の御旗を掲げ江戸へ迫る。勝は西郷隆盛と会談し、「江戸無血開城」がなる。だが、幕府残党は奥州、蝦夷へ……
 勝海舟は官軍と徳川の間をかけもちしながら生き抜く。そして新政府の”知恵袋”として一生を終える。墓には勝海舟とだけ掘られたという。           おわり





         1 立志



  勝麟太郎(勝海舟)にももちろん父親がいた。
  麟太郎の父・小吉の実家は男谷家といい、年わずか百石の百表どりだった。嘉永から文政にかけて百表三十何両でうれたが、それだけでは女中下男や妻子を養ってはいけない。 いきおい内職することになる。虫かごを作ったり、傘を張ったり、小鳥を飼って売ったりしていたという。この頃は武士の天下などとはほど遠く、ほとんどの武士は町人から借金をしていたといわれる。中には武士の魂である「刀」を売る不貞な輩までいた。
 男谷家で、小吉は腕白に過ごした。
 貧乏にも負けなかった。
 しかし、小吉の父・男谷平蔵は年百石のほかに勘定組頭の役料が入る。それに小吉の兄彦四郎は勘定役の信濃の代官であったという。あながち貧乏だった訳ではなさそうだ。                     
 平蔵は米山検校から巨額な遺産をもらったという幸運が成った。
 そのため食うにはこまらなくなった。
 それをいいことに小吉は腕白に育った。本所亀沢町へいよいよ仮屋敷を構え、男谷が引っ越すと、離れていたばばあ殿と小吉は一緒になった。はばあ殿は毎日、孫娘の許嫁である小吉に嫌がらせばかりしていたという。
 小吉はそれが嫌で、ばばあ殿が早く死んでくれたら、などと思った。憂さ晴らしに剣術の稽古に励んだ。
  稽古場で小普請組頭の石川という師匠の息子が「こいつの家は年四十石だ」と馬鹿にするので、小吉は頭にきて木刀でその息子をボコボコに叩きのめした。痣だらけにした。
 当然、翌日、師匠に叱られた。

  兄・林大学頭により、小吉は十二歳で学問所に足を運んだ。麟太郎は林大学頭という叔父をもつことになる。小吉は学問よりも馬に乗るのが好きで『大学』を五、六冊ほど覚えたところで追放された。小吉は、運がいい、と自分で思った。
  しかし、小普請組頭や徒士組の家の子が出世するには、人脈がなければ勉強以外にない。 ある日、彼は意地悪するばばあ殿が嫌で嫌で、とうとう家の金を持ち出して家出をした。 江戸の町をぶらぶらしていると侍がいた。
「お侍さん。上方は知ってるかい?」小吉は刀と脇差しを腰に差しながらきいた。
「知ってるさ。京のことならなんでもな。これからいくんだ」
「拙者も一緒でいいかい?」
 小吉は家出をし、京まで辿り着く頃までは所持金もなくなった。わらじもすりきれ、何日も風呂に入ってないから垢まみれの臭い体で乞食しながら歩いた。
 小吉は後悔していた。
 これじゃあ只の乞食だ。
 京で声をかける町人がいた。「おい乞食! どこからきよった?」   
「江戸からだ。俺は乞食じゃねぇ。小普請組頭の武士だ」
 初老の町人は笑った。「そうかそうか。まぁ、風呂に入っていけ。飯も食わしてやる」  小吉は風呂にいれてもらい、たまった垢を落とした。気持ちがよかった。
 江戸に帰ってきたのは半年後だった。途中、箱根で落石にあい、男性のシンボルを怪我したが、治った。そこで狼に食われなかったのは幸運だった……とのちに言われたという。 家出して心を入れ替えて就職活動に勤しんだがやはりうまくいかない。
 小吉は正直すぎて世間の俗物には受け入れられなかったのだという。
 そんな小吉も結婚し、子が生まれた。勝麟太郎(のちの勝海舟)である。文政六年(一八二三)正月三十日が誕生日であった。小吉二十二歳、妻お信二十歳のことである。
 夫婦は喧嘩が絶えなかったという。
 世間でも評判になるくらい喧嘩をした。麟太郎を身籠もったのも、檻の中だったともいわれる。小吉もお信も檻に入れられ、夫婦は「夜」にふけり、身籠もったのだ。
  小吉は檻の中で書を読みふけり、妻となにをして、過ごした。麟太郎は三歳まで檻の中で母親と暮らした。
 いろいろと騒ぎを起こす小吉の元で、麟太郎は順調に育った。お信も息子を可愛がった。  麟太郎には徳川幕府の大奥に勤める女がふたりいたという。ひとりは小吉の姉の亀田という女性。もうひとりは遠縁の阿茶の局という女性だった。
 阿茶の局との縁で、麟太郎は六歳の頃、江戸城のお座敷の縁側まで歩み寄った。      奥座敷から見ていた大御所の家斉(十一代将軍)が「あれは誰であるか?」
 と、尋ねる。小姓は「阿茶の局の縁者にござりまする」と答えた。
「左様か。わが息子(十二代将軍・家慶)の遊び相手にちょうど良い」
「しかし、只の小普請組頭の息子……卑しい身分のものです」
「かまわん! かまわん!」
 家斉のこの言葉で、麟太郎は阿茶の局の部屋で寝起きすることになる。
 悪戯好きだった麟太郎は、女中たちに捕まってはお灸をすえられたが、十三代将軍・家定の生母おみつの方(本寿院)は麟太郎を可愛がって菓子を与えるのだった。
 麟太郎は衣服や食事などなに不自由なく育った。
 彼は志を抱く。
 ………この徳川幕府の中で出世して公僕さまのために働きたい!

  麟太郎が九歳のときに事件はおきた。麟太郎は江戸の屋敷に引っ越し、旗本の家から塾にかよっていた。その道すがら、狂犬が麟太郎の金玉に噛み付いた。
 ぎゃあっ! 叩いてもはたいても犬は離れない。噛み付いたままだ。それに気付いた鳶職が犬を蹴飛ばして、麟太郎を抱えて家に連れて帰って介抱した。
 小吉は知らせを受けて駆けつけた。
「てめぇがぼんやりしてるからこんなことになるんでい! この馬鹿!」
 小吉は息子を散々叱りつけ、駕籠にのせて家に連れてかえった。「痛むか?」
 麟太郎は気絶寸前である。
 医者がきた。傷は深かった。金玉はぶらさがっているが出血がひどくやぶれていた。
 医者は麻酔もせず、傷口を縫った。麟太郎は気絶した。
「家の息子はどうですか? 先生」
「危ない。今晩が山だろう」医者は辛辣だった。しかし、嘘をいう訳にもいかない。
 小吉は愕然とした。俺の息子が……死ぬかも知れぬ。口をぽかんと開け、よだれを垂らしそうになった。世界の終りだ。家族は声をあげて泣く。小吉は「やかましい! 泣くな! 泣いて麟太郎が助かる訳じゃねぇ!」と叱り付けた。
 小吉は神仏に祈った。その晩から井戸端で水垢離をやって、近所の金比羅神社で裸参りにいった。帰ると小吉は息子を一晩中寝ないで自分の肌で抱きしめて、耳元で「しっかりしろ! しっかりしろ!」と囁き続けた。
 近所では「勝という剣術使いは子供の怪我で狂った」と噂になった。
 幸運なことに麟太郎は死ななかった。
 次の日に目を覚ますと粥をすすった。十日ほど療養するうちに起きられるようになった。  麟太郎は再び家斉の嫡男の小姓役を務め、その後三年を大奥で過ごし、天保五年(一八三四)、麟太郎は十二歳のとき御殿を下がった。
  天保八年十五歳のとき、家斉の嫡男が一橋家を継ぐことになり、一橋慶昌と名乗った。当然のように麟太郎は召し抱えられ、内示がきた。
  一橋家はかの将軍吉宗の家系で、由緒ある名門である。麟太郎は、田沼意次や柳沢吉保のように場合によっては将軍家用人にまで立身出世するかもと期待した。                                 
 一橋慶昌の兄の将軍家定は病弱でもあり、いよいよ一橋家が将軍か? といわれた。
 しかし、そんな慶昌も天保九年五月に病死してしまう。麟太郎は残念がった。勝麟太郎は十六歳で城を離れざるえなくなった。
 しかし、この年まで江戸城で暮らし、男子禁制の大奥で暮らしたことは勝麟太郎にとってはいい経験だった。大奥の女性は彼を忘れずいつも「麟さんは…」と内輪で話したという。城からおわれた勝麟太郎は剣術に熱中した。
 彼は家督を継ぎ、鬱憤をまぎらわすかのように剣術鍛練に励んだ。
 この年、意地悪ばばあ殿と呼ばれた曾祖母が亡くなった。
 直心影流の宗家となった従兄弟の男谷精一郎信友の影響で、その流派を習うことになる。 勝麟太郎は後年こういっている。
「俺がほんとうに修行したのは剣術だけだ。俺の家は剣術の家筋だから、親父もなんとか俺を一人前にしようと思い、当時江戸で評判の島田虎之助という人の弟子につけた。この人は世間並みの剣術家ではなくて、いまどき皆がやる剣術は型ばかりだ。あんたは本当の剣術をやりなさい、と言ってくれた」
 麟太郎は島田虎之助(九歳ほど年上。文政十一年(一八一四)九州豊前中津生まれの剣客)の道場に泊まり込んで、掃除洗濯煮炊きまでやり剣術を習った。道場と実家は距離があり、麟太郎が家に帰るときは何時間も歩いたという。
 道場では互いに打ち合い、転んでもすぐたちあがり木刀で殴りあうという荒っぽい稽古がおこなわれていた。そこで麟太郎は心身を鍛えた。
 弘化三年(一八四六)二十四歳の頃、麟太郎と、お民との間に長女夢子をもうけ、嘉永二年(一八四九)十月に次女孝子をもうけた。
 麟太郎の父・小吉は夢酔と号して隠居してやりたいほうだいやったが、やがて半身不随の病気になり、嘉永三年九月四日四十九歳で死んだ。
 小吉はいろいろなところに借金をしていたという。
 そのため借金取りたちが麟太郎の屋敷に頻繁に訪れるようになる。
「父の借財はかならずお返しいたしますのでしばらくまってください」麟太郎は頭を下げ続けた。プライドの高い勝麟太郎にとっては屈辱だったことだろう。
 麟太郎は学問にも勤しんだ。この当時の学問は蘭学とよばれるもので、蘭…つまりオランダ学問である。麟太郎は蘭学を死に物狂いで勉強した。
 彼が結婚したのは弘化二年(一八四五)二十三歳の頃で、ふたりの幼い娘の父となっていた。しかし、禄高はたったの四十一石、妻も病で寝たきりになり……
 貧乏のどん底にいた。しかも、亡父の借金もある。直心影流の免許皆伝となったが、道場で剣術を教えてもたかが知れている。次第に麟太郎は剣術を離れ、蘭学にはまるようになっていく。本屋にいって本を見るが、買う金がない。だから一生懸命に立ち読みして覚えた。しかし、そうそう覚えられるものではない。
 あるとき、本屋で新刊のオランダ兵書を見た。本を見るとめったにおめにかかれないようないい内容の本である。
「これはいくらだ?」麟太郎は主人に尋ねた。
「五十両にござりまする」
「高いな。なんとかまけられないか?」
 主人はまけてはくれない。そこで麟太郎は親戚、知人の家を駆け回りなんとか五十両をもって本屋に駆け込んだ。が、オランダ兵書はすでに売れたあとであった。
「あの本は誰が買っていったのか?」息をきらせながら麟太郎はきいた。
「四谷大番町にお住まいの与力某様でござります」
 麟太郎は駆け出した。すぐにその家を訪ねた。
「その本を私めにお譲りください。私にはその本が必要なのです」
 与力某は断った。すると麟太郎は「では貸してくだされ」という。
 それもダメだというと、麟太郎は「ではあなたの家に毎日通いますから、写本させてください」と頭を下げる。いきおい土下座のようになる。誇り高い勝海舟でも必要なときは土下座もした。それで与力某もそれならと受け入れた。「私は四つ(午後十時)に寝ますからその後屋敷の中で写しなされ」
  麟太郎は毎晩その家に通い、写経ならぬ写本をした。
 麟太郎の住んでいるのは本所錦糸堀で、与力の家は四谷大番町であり、距離は往復三里(約二十キロ)であったという。雪の日も雨の日も台風の日も、麟太郎は写本に通った。 あるとき本の内容の疑問点について与力に質問すると、
「拙者は本を手元にしながら全部読んでおらぬ。これでは宝の持ち腐れじゃ。この本はお主にやろう」と感嘆した。麟太郎は断った。
「すでに写本があります」
 しかし、どうしても、と与力は本を差し出す。麟太郎は受け取った。仕方なく写本のほうを売りに出したが三〇両の値がついたという。

  麟太郎は出世したくて蘭学の勉強をしていた訳ではない。当時、蘭学は幕府からは嫌われていた。しかし、艱難辛苦の勉学により麟太郎の名声は世に知られるようになっていく。勝麟太郎はのちにいう。
「わしなどは、もともととんと望みがなかったから貧乏でね。飯だって一日に一度くらいしか食べやしない」
 天保六年から七年にかけて大飢饉で、勝海舟も大変な思いをしたという。しかも四十一石と小禄で病妻と幼い妻をかかえている。勝麟太郎の身分は小譜請組頭で、せいぜい四十~五十石がいいところである。出世するためには上役の御機嫌をとったりワイロを配ったりしなければならない。プライドの高い勝海舟(勝麟太郎)にはそれがなかなかできない。 麟太郎には祖父明敏と父小吉からの反骨の気質がある。
(勝海舟の家系はもともとは幕臣ではなく、越後の小大名の家来出身である)
 徳川太平の世が二百五十年も続き、皆、戦や政にうとくなっていた。信長の頃は、馬は重たい鎧の武士を乗せて疾走した。が、そういう戦もなくなり皆、剣術でも火縄銃でも型だけの「飾り」のようになってしまっていた。
 勝海舟はその頃、こんなことでいいのか?、と思っていた。
 だが、麟太郎も「黒船」がくるまで目が覚めなかった。

  嘉永三年十月、高野長英という男が牢をやぶって麟太郎の元にたずねてきた。
「かくまってほしい」という。
 麟太郎は「私めは幕臣であるため義においてかくまうことはできません」と断った。そして続けて「しかし、あなたがきたことは誰にもいいません」ともいった。
 長英は了解した。長英は何時間にも渡って麟太郎と蘭学について口論したが、やがて萩生氏著作『軍法不審』をくれて帰った。
 勝麟太郎二十八歳、高野長英四十七歳であった。
 高野長英はやがて偽名を使い医者になるが、その名声が高まり町奉行の知るところとなった。逮捕の危機がせまっていたので、長英は江戸の蕎麦屋で家族と夕食を食べ、逃げた。が、すぐ追っ手に襲われ、ひとりを殺し、短刀で喉を突いて自殺した。
 麟太郎は長英の死を嘆いた。……いい人物が次々といなくなっちまう。残念なことだ。「高野さんはどんな逆境でも耐え忍ぶという気持ちが足りなかった。せめて十年死んだ気になっておれば活路が開けたであろうに。だいたい人間の運とは、十年をくぎりとして変わるものだ。本来の値打ちを認められなくても悲観しないで努めておれば、知らぬ間に本当の値打ちのとおり世間が評価するようになるのだ」
 麟太郎は参禅を二十三、四歳までをやっていた。
 もともと彼が蘭学を学んだのは島田虎之助の勧めだった。剣術だけではなく、これから学問が必要になる。というのである。麟太郎が蘭学を習ったのは幕府の馬医者、都甲斧太郎で、高野長英は彼の師匠であった。だから長英は麟太郎の元に助けを求めてきたのだ。
 小吉が亡くなってしばらくしてから、麟太郎は赤坂田町に塾を開いた。氷解塾という蘭学の塾である。家の裏表につっかえ棒をしているあばら家であったという。
 客に対応する応接間などは六畳間で大変にむさくるしい。だが、次第に幸運が麟太郎の元に舞い込むようになった。
 外国の船が沖縄や長崎に渡来するようになってから、諸・から鉄砲、大砲の設計、砲台の設計などの注文が相次いできた。その代金を小吉の借金の返済にあてた。
 しかし、鉄砲の製造者たちは手抜きをする。銅の量をすくなくするなど欠陥品ばかりつくる。麟太郎はそれらを叱りつけた。「ちゃんと設計書通りつくれ! 俺の名を汚すようなマネは許さんぞ!」
 麟太郎の蘭学の才能が次第に世間に知られるようになっていく。

    
 この頃、麟太郎は佐久間象山という男と親交を結んだ。
 佐久間象山は、最初は湯島聖堂の佐藤一斉の門下として漢学者として世間に知られていた。彼は天保十年(一八三九)二十九歳の時、神田お玉ケ池で象山書院を開いた。だが、その後、主君である信州松代藩主真田阿波守幸貫が老中となり、海防掛となったので象山は顧問として海防を研究した。蘭学も学んだ。
 象山は、もういい加減いい年だが、顎髭ときりりとした目が印象的である。
 佐久間象山が麟太郎の妹の順子を嫁にしたのは嘉永五年十二月であった。順子は十七歳、象山は四十二歳である。象山にはそれまで多数の妾がいたが、妻はいなかった。
 麟太郎は年上であり、大学者でもある象山を義弟に迎えた。

 嘉永六年六月三日、大事件がおこった。
 ………「黒船来航」である。
 三浦半島浦賀にアメリカ合衆国東インド艦隊の四隻の軍艦が現れたのである。旗艦サスクエハナ二千五百トン、ミシシッピー号千七百トン……いずれも蒸気船で、煙突から黒い煙を吐いている。
 司令官のペリー提督は、アメリカ大統領から日本君主に開国の親書を携えていた。
 幕府は直ちに返答することはないと断ったが、ペリーは来年の四月にまたくるからそのときまで考えていてほしいといい去った。
 幕府はおたおたするばかりで無策だった。そんな中、麟太郎が提言した『海防愚存書』が幕府重鎮の目にとまった。麟太郎は羽田や大森などに砲台を築き、十字放弾すれば艦隊を倒せるといった。まだ「開国」は頭になかったのである。
 麟太郎は老中、若年寄に対して次のような五ケ条を提言した。
 一、幕府に人材を大いに登用し、時々将軍臨席の上で内政、外政の議論をさせなければならない。
 二、海防の軍艦を至急に新造すること。
 三、江戸の防衛体制を厳重に整える。
 四、兵制は直ちに洋式に改め、そのための学校を設ける。
 五、火薬、武器を大量に製造する。

  麟太郎が幕府に登用されたのは、安政二年(一八五五)正月十五日だった。
 その前年は日露和親条約が終結され、外国の圧力は幕府を震撼させていた。麟太郎は海防掛徒目付に命じられたが、あまりにも幕府の重職であるため断った。麟太郎は大阪防衛役に就任した。幕府は大阪や伊勢を重用しした為である。
 幕府はオランダから軍艦を献上された。
 献上された軍艦はスームビング号だった。が、幕府は艦名を観光丸と改名し、海軍練習艦として使用することになった。嘉永三年製造の木造でマスト三本で、砲台もあり、長さが百七十フィート、幅十フィート、百五十馬力、二百五十トンの小蒸気船であったという。


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押尾学被告上告棄却麻薬所持保護責任者遺棄懲役3年確定へ

2012年02月16日 08時14分38秒 | 日記
押尾学被告、麻薬事件! 
   
  2012年2月15日最高裁で押尾学被告の上告が棄却、麻薬所持保護責任者遺棄罪で懲役3年半の実刑確定です。田中さんに人工呼吸や心臓マッサージをしたというが救急車を呼んでれば助かったかもしれない。ところが押尾はまだ反省もなく「無実だ無実だ」という。とんでもない鬼畜である。2011年4月18日押尾学の第二審判決である。二審も懲役2年6ヶ月の実刑です。鬼畜の押尾学は保釈中に週刊誌の取材を受けた。「笑ったりしたらその顔撮って「反省してない」とか書くんだろ?わらわねえよ。マスコミの書いていること全部嘘だよ。見殺しにしたとか…見殺しにしてねえし。田中香織の墓参りや遺族に何故逢わないかって?知らねえよ、逢ってくれないんだから」まったく反省がない。こいつ、アメリカ時代からヤクやってたらしいからな。元・タレントで歌手でもあった押尾学(裁判中は被告、2009年12月28日再逮捕)(31)が警察から再逮捕されたそうです。最近、青少年の間で「麻薬」の使用や中毒が広がっているという。女子中学生の麻薬所持、中毒…。だが、押尾学や酒井法子の例でもわかるように麻薬の社会的被害は深刻だ。中毒にかかると一生「廃人」だという。麻薬は流行りでも何でもなく、只の「犯罪」です。インターネットや携帯裏サイトで簡単に購入できても相手にしないことだ。一生を棒にふることになりますよ。これは「脅し」ではない。「警告」です。2010年10月4日、仮保釈されました。田中香織さんの墓参りをしたい、などと抜かしているそうです。女性ファッション雑誌に告白文を掲載させましたね。押尾の文章は誤字脱字だらけだが無実だなどとのたまっている。「真実はひとつ。真実は曲げることはできない。俺は無実だ。ひとを殺していない。押尾学というブランドを剥奪されて悔しい。死に物狂いで無罪を勝ち取る」芸能人初の裁判員裁判は9月3日初公判、14日求刑です。押尾は無罪を訴えたそうです。求刑は懲役4年です。元・マネージャーに「お前の一生を面倒みるから第一発見者になってくれ。薬を使っているのをばれたら仕事なくなる」と隠蔽工作をしようとしたらしい。また元・交際相手の女性達は「押尾被告に薬を渡され性交渉をもった。物が二重に見えた」という。また押尾は司馬遼太郎の「竜馬がいく」と中村天風の「自己啓発本」に夢中だという。JAYWALKの中村耕一被告が釈放されました。押尾の元・妻矢田亜希子は涙の会見です。田中香織さんは救急車を呼べば八割の確率で命が助かったそうです。押尾学は田中香織さんの遺族に「腹を切ってお詫びしたい」などと言っているという。また押尾学や酒井法子を受けてか?女子中学生たちが麻薬使用で補導されたそうです。この国はどこまで腐ったガキどもばかりなんですか?押尾学は無罪主張をしましたね。また保釈を要求しています。どこまでも「悪」です。反省がない。また押尾学はまたウソをついて田中香織さんが具合が悪くなってすぐ死んだと嘘っぱちを言っていました。とんでもない悪党です。田中香織さんが森元首相の息子さんの愛人で覚醒剤がどうのということは推測の域を出ません。逮捕時に住んでいたマンションは某人気モデル(名前は伏せます)の部屋です。まるで押尾は「寄生虫」です。酒井法子のように夫から麻薬を教わってないか?の質問ですが、押尾学の元妻・矢田亜希子は麻薬容疑はないらしく「シロ」だそうです。MDMAを死亡した女性に譲渡した容疑で逮捕状が出されましたね。週刊誌フラッシュでは押尾は知人男性に「俺がMDMAを女性に渡した」と認めたそうですね。泉田も押尾学に頼まれてMDMAを渡したと吐いたらしいです。また「整形手術して沖縄に逃げたい。市橋ってやつも逃げたんだろう?」と逮捕前に言っていますね。また「沖縄から海外に逃げる」つもりだったそうですね。押尾と知人男性と元・マネージャーの三人が逮捕です。三人はそれぞれ別の警察署に拘束されています。三人が「口裏合わせ」をしない為です。09年12月9日、三人は送検されました。押尾は女性の容態が悪化した後で9人の友人に携帯電話で連絡しています。が、「119番した方がいい」の助言を聞かすに心臓マッサージを続けたそうです。また押尾は別の女性にもMDMAを譲渡したそうですね。09年12月7日、押尾学(31)、友人・泉田勇介(31)、元マネージャー・遠藤亮平(28、携帯電話を捨てた証拠隠滅容疑)…泉田から押尾はMDMAを事件の二日前に渡されたそうです。逮捕は捜査一課(殺人容疑)。知人男性は行方不明になっていたが発見されたそうですね。押尾の髪の毛からはMDMA成分が確認されたそうです。田中香織さんの髪の毛からは成分は確認されず、押尾がMDMAを常習していたことがわかりました。保護責任者遺棄致死で立件です。クランクアップした映画が上映出来なければ損害賠償請求されるでしょう(押尾学の出演シーンを代役で俳優でもある監督が撮影し直して2010年4月放映予定。ちなみにピーチジョンの野口美佳社長は元・愛人です)。というより「保護責任者遺棄(または保護責任者遺棄致死)罪」でブタ箱にぶち込まれる。懲役1年6か月執行猶予5年が確定しました。今度は執行猶予がつかないでしょう。あの悪党の押尾学は麻薬(MDMA)使用だけでなく死亡した女性(MDMAを飲ませセックス行為におよび女性変死(体調変調から30分くらい生きていたという))を死亡するまで放置した(マネージャーや知人を呼んだが3時間も救急車も呼ばず)として「保護責任者遺棄罪」になり7年から8年の実刑罰になる可能性が出ていた。が、求刑は1年6ヶ月です。09年11月2日の最終判決は懲役1年6ケ月執行猶予5年です。アメリカ合衆国に渡ってハリウッドで役を探すって言う。が、押尾は一度、ハリウッド進出で失敗している。あんな凡人誰も採用しない。犯罪者ならなおさらだ。謎のメール「来たらすぐいる?」という押尾のメールに「いる」と返信した田中香織さん(被害者女性)。検察は「いる?とはMDMAのことですか?」と追及する。が押尾は「いる?とは僕の体のこと…」とのらりくらりです。また「性行為の快楽を高める為にMDMAを飲んだのでは?」という検察に押尾は「違います」。裁判で押尾学は黒のスーツで短髪に白髪まじりで「押尾学です。無職です」とかぼそい声でいう。死亡した
田中香織さん(30歳、水商売)の父親も傍聴に来ている(裁判所では涙ながらに「娘が……娘が具合が悪くなったときに…何故救急車を呼んでくれなかったのか?」といっています)。が、あったに決まっている「肉体関係」を「本人の名誉の為に言えません。勘弁してください」などという。また「女性にMDMAをすすめられた」などと死人に口なしの卑劣な手に出たようです。押尾は常習者でアメリカ合衆国時代からクスリを使用しているという。裁判ではかなりびびっていて、声が小さく、「もっと大きな声で話しなさい!」と裁判官に諭された。左手には数珠。押尾はドイツの高校にサッカー留学しているが、音楽に夢中になり中退している。後は工場勤務で米軍キャンプで音楽活動中にスカウトされた。そして俳優やロックスターになり矢田亜希子と結婚して墜落する。まあ、「保護責任者遺棄致死」まではいかないかもしれない。とにもかくにも元・妻の矢田亜希子がかわいそうですね。馬鹿げた輩と結婚して押尾学の芸能人人生はもうない。が、元・妻の矢田亜希子の芸能人人生ももはやない。すべては押尾学のせいです。矢田亜希子も悲惨ですね。  
  

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アメリカの正体 米中事実上の首脳会談(習近平Xオバマ)

2012年02月16日 06時37分49秒 | 日記
アメリカの正体
  
 2012年2月14日ワシントンDCで事実上の米中首脳会議があり、習近平氏とオバマ大統領が会談しましたね。オバマ氏は「大国としての責任を」と釘をさしました。またモトローラ・モビリティ/モトローラ・ソリューションは創業者家出身で90年に会長を辞任するまで30年に渡りIT業界の牽引役だった巨人、ロバート・ガルビン氏(89)の死去を発表しました。ソニーの盛田氏(故人)と通商でやりあって(日本が半導体を失う羽目になった)日本が韓国に半導体工場を移して「寝首をかかれた」一件の「大悪人」です。米国は何年か前に未来学者のハーマン・カーン氏が「2000年には日本のGDPは米国経済を抜く」といいました。結果は…。私は米国経済がさらにコケル心配をしています。ジョブズに加えガルビンも死んだからです。杞憂だといいのですがね。アメリカの失業率が9.1%となり米国内各地でデモが頻発しています。彼ら彼女らは「Job! Job! Job!(仕事をよこせ!)」といいます。ですが、米国には仕事はありません。でも、だからって馬鹿みたいに「ニューディール政策もどき」みたいなことをしても駄目です。要は政府役人なんかに景気は治せないと悟り、自分で「沈みゆくタイタニック号」から少しでも大金をぶんどり逃げるという「走為上の計」です。9・11米国同時多発テロ事件から10年、東日本大震災から半年。米国ではアルカイダによる米国国内のテロの信ぴょう性の高い情報があるという。何も起こらないといいね。ただ、言っておくが我々が戦っているのはアルカイダなどのテロリスト集団でイスラム教徒ではない。9・11に歴史的必然などない。2011年7月3日タイで総選挙が行われタクシン派が圧勝、タクシン氏の妹・インラック・シナワット氏(44)が女性初首相に決まりました。また米国とフィリピンが協力関係構築で東シナ海での中国のけん制を計りました。ここ10年程で米国内ではKKK(クークラッククラン)のような「白人至上主義」が吹き荒れていて不法移民や有色人種が年に7000人以上殺されているという。9歳の少女までメキシコ人というだけで殺害された。とんでもないことだ。また米国クリントン国務長官が世界銀行総裁に転身の意向だそうです。驚きの転身ですよね。ペルー大統領選挙は元・軍人のオジャンタ・ウマラ氏(45)が勝利、日系人で女性・フジモリ元・大統領の長女、ケイコ・フジモリ氏(36)は敗北しました。米商務長官がエジソン・インターナショナルのジョン・ブライソン氏を内定(ロック商務長官が中国大使に成るため)しました。2012年米国大統領選挙で民主党の候補はオバマ大統領でほぼ決まりですが、野党共和党は有力な対抗馬はなく、ロムニー氏が共和党候補者になりそうです。オバマさん再選かな。ワシントンDCで中国首脳と米国首脳が米中戦略・対話がはじまりました。人民元引き下げで合意し、米国は為替レート変動を調整。両国は包括的な貿易不均衡打開で合意。日本の東日本大震災の支援で両国一致。外交軍事に対して協議場設置。エネルギー管理協議で一致しました。いよいよアメリカと中国の二大大国の時代です。2011年5月1日夜、米軍がパキスタン・アボッタバードで9・11同時多発テロの首謀者とされるオサマ・ビンラディン容疑者(54)を銃撃戦(「ジェロニモ作戦」)の末殺害したとオバマ大統領は勝利宣言をした。「正義を遂行した」という。DNA鑑定でも本人だとする。ビンラディンは丸腰であったという。遺体写真は公開するか米政府は迷っている。反米感情を煽る可能性が高いからだ。だが、アルカイダの報復テロが怖いからしばらくは米国に行きたくないな。だが、アルカイダやビンラディンとイスラム教は関係ない。2011年4月29日米国内で16以上の竜巻があり、300人死亡2000人が怪我です。FOMC(米国連邦公開委員会)は米国追加緩和を2011年6月で終了とした。「ゼロ金利」は継続です。「舌禍」で更迭された前・米アフガン司令官・マクリタル氏の証拠がなかったことがわかりました。またキューバは市場主義を一部導入するそうです。やはり共産主義では駄目だということか(笑)。バラクオバマ氏が大統領選挙に出馬表明し、選挙活動を始動した。二期目も「Yes We Can」でいくらしい。そして、とうとう中国がGDP世界第2位になりました。だが、一人当たりのGDPは日本人の10分の1です。2011年1月、胡錦涛国家主席が訪米して、バラク・オバマ米国大統領と会談、米国旅客機200機3兆7000億円の「政治的お土産」の商談をまとめ握手しあった。さすがは胡錦涛氏、人権問題は軽くかわすしたたかさでした。米国は「ウィキリークス」や開設者のアサンジ容疑者を本格的に捜査することをきめましたね。また民主党上院議員の女性・ガブリエル・ギフォーズ代議士(40)が銃で暗殺されかけました。銃弾は左脳を貫通しており、意識不明の重体だそうです。FRB(連邦準備委員会)が更なる追加緩和で米国債48兆円購入です。これは米国債を購入することで資金を市場に還流させる策です。FOMC(Federal Open Merker Oommictee. )つまり金融会議で決まりました。2010年11月中間選挙で、オバマ「民主党」が大敗です。下院(民主党184、共和党239)上院(民主党51、共和党46)知事(民主党15、共和党27)と大敗でオバマ大統領は2期目は無理ではないか?といわれていますね。今、米国政界で話題の女性がいる。それが元・アラスカ州知事で、マケイン共和党候補とタッグを組みオバマ・ヒラリーと大統領を戦ったメガネの美人女性である。大統領選挙では長女が未婚で妊娠(長女と彼氏は結婚しなかった)という敵失やオバマの天才的演説もあり敗退。選挙後忘れ去られた。が、自伝本「ならず者で生きる」を出版し全米をまわりベストセラーになった。2012年のアメリカ大統領選挙にでる予定だという。準ミス・アラスカ、TVレポーターを経て政治家になったひとで、メガネは日本製だ。「Yes we can」ではなく「OH,no you don't」といおう、という。アンチ・オバマの受け皿…それがサラ・ペイリン女史(46)である。ですがペイリンさんは「世界情勢」に無知なようで「北朝鮮からの韓国への攻撃事件」で「同盟国の「北朝鮮」を支援する」といいました。また「アフリカ」を「アフリカというひとつの国」だと思っていたそうです。このひとが未来の「女性初の米国大統領」ですか?大丈夫なんですか?なおFRBのバーナンキ議長は否定したが、結論は米国経済が「二番底」に陥ったということである。失業者はさらに5万4000人増加し、失業率は9.6%です。住宅市場も商業ビル市場や雇用の景気回復も遅れている。しかし雇用は「遅行指数」である。オバマミックスは失敗した。米国の心配はかつての日本のような長期低迷にならないかということ。その2はあまりにも米国経済が中国に依存していること。9000億円の大豆輸出など依存が過ぎる。中国がこけたら米国もこける状態だ。また金融規制法(ボルガー・ルール)は米国以外ではどの国も採用しないだろうとFRBが皮肉でいう。しかし研究価値はある。それは金融規制法+消費者投資家保護ならばの話である。ニューヨークのタイムズスクエアで爆発物をつんだ不審車が発見されました。まだ爆発未遂でです。イスラム・テロ集団の仕業でした。ホルダー司法長官は「タリバンの仕業だ」と認めてますね。各国首脳NPT会議もありますしね。米国の核弾頭数は5113発だと明かしましたね。またルイジアナ沖の原油流出は対応が遅れていました。漁業関係者に被害がでていましたね。もう終結から1年になります。事故が起きたのは2010年4月20日メキシコ湾沖のパイプラインのBP(ブリティッシュ・ペトロリアム)社の「ディープ・ウォーター・ホライズン(DWH)」という海上のくみあげ施設である。海底1500mから原油のある5500mまでボーリングして、そこの給油口が爆発して炎上、DWHの施設が破壊され海の藻屑となり原油だけが海上に垂れ流しの状態になっていました。日本ではあまりニュースになってないが、欧米ではメキシコ湾海流にのれば原油がヨーロッパにまでいく可能性があり大変なニュースになっていた。メキシコ湾の牡蠣、海老などが全滅し、ペリカンなど500羽が死んだ。またこの湾は日本に輸出される大西洋クロマグロの産卵地であり、日本の市場にも影響が出そうだ。BP社はこれまでトップが謝罪していない。が、幹部のスウェーデン人が謝罪したが、このひとは英会話が下手糞で「一般庶民の皆さん本当に申し訳ありませんでした」の「一般庶民」を「スモール・ピープル(小さいひと)」といってしまい米国人(BP社は英国企業で、さらに英国人の年金機構のほとんどがBP社に投資しており英国人年金に黄色信号が灯っていた)の怒りを買った。オバマ大統領は初動対策に遅れて大変な被害がでていたがこれまで何度も海底1500mの原油流出を止めようと作戦が実施された。1、ドーム作戦(原油流出口をドーム型のもので止める作戦。失敗)2、トップキル作戦(流出口そのものを止める。失敗)3、キャップ作戦(50cmの流出口そのものにキャップする。少し成功。だが原油流出の3分の1しか止められず)4、最終作戦(1500mの海底の左右からボウリングして5500mの原油ラインそのものを止める)。最終作戦は9月頃までかかった。しかし、7月で止めましたね。よかったと思います。だが、米国景気は確実に回復しているようです。GDP1月から3月まで前年比3,2%増です。ここではオバマ大統領のことを書き込みします。大統領の支持率は平均57%と第二次世界大戦後、大統領選を経て就任した9人の大統領のうちレーガン氏と同率のワースト2位です。が、これはオバマ大統領に対しての否定的側面を強調していました。最も低かったのはクリントン大統領です。ブッシュ父の政権が経済を破壊した後だけに後始末が大変だった為です。が、オバマ大統領は実行力が伴っていません。演説だけは上手いけど何も出来ないってことです。国民健康保険制度などまったくのデッドラインです。演説だけ上手くても政治や経済はよくなりません。金融政策は金融機関の事業内容に一定の制限を設ける内容で、銀行にヘッジファンドの保有・出資などを禁止、大手金融機関の負債の規模に上限を設定することです。これが実現化すれば利権まみれのウォール街を変えることが出来ます。が、一般の投資家から集めた資金だけで運用するというのは結果的には正しいかも知れないけど、ファンドを通じての銀行貸出がなくなるということは世界経済を動かす為の「潤滑油」がなくなる訳です。米証券取引委員会(SEC)がゴールドマンサックスを訴追しました。容疑は詐欺です。またバーナンキFRB議長の再選についても批判が出ています。オバマ大統領の経済的側近はボルガー元FRB議長ですがあまりに老人過ぎます。オバマ大統領は演説だけは上手いけど「青い」し「言葉多しは品少なし」です。もっと現実的な策士になってください。政治は弁論大会ではありませんよ。オバマ大統領は個人的には好きな政治家です。それだけに実行力のなさが情けないのです。もっと策士になってください。今回は「アメリカ合衆国」のウィキペディアです。
オバマ大統領は「核配備削減演説」でノーベル平和賞をもらいましたが、あくまで「配備」をやめるということでロシアと合意したことを考えて下さい。「削減」ではなく「配備」をやめるという。つまり、核弾頭を大陸間弾道ミサイル(ICBM,SLBM)から外すだけです。これは米ソ冷戦時の「MADポリシー」よりはましです。つまりMUTUAL ASSURED DESTRUCTION(相互確認破壊能力)でどちらも核で牽制しあっていた時代です。「キューバ危機」(ソ連が1960年代にキューバにソ連の核ミサイル基地を作ろうとして米ソが核戦争手前までいった危機)が有名ですね。ちなみにNPT(核拡散防止条約)は条約作成時は核兵器保有国は国連常任理事国(米ソ英仏中)だけでした。ダライ・ラマとオバマ米国大統領が会談しました。米露新核軍縮条約調印です。7年で1550発のICBMやSLBMつまり大陸弾道ミサイルを削減するそうです。が、問題は3位の中国がはいっていません。中国はやはり反発していますね。また米国大統領は北朝鮮をテロ指定国家と認定しないそうです。あまりに甘い判断です(人質をとられていた為)。デトロイト上空で米国飛行機内で爆発テロ未遂事件(09年12月26日)がありました。アルカイダのイエメンを拠点とするナイジェリア国籍のアブドルムタラブ容疑者(23)が起こしたテロ未遂事件であった。「アラビア半島のアルカイダ」というテロ組織からインターネットで犯行声明がありました。イエメンの米英大使館はテロの標的になる為に封鎖しましたね。オバマ大統領は2011年7月から米軍のアフガニスタン撤退を開始すると宣言しましたね。また2010年夏迄に3万人増派するそうです。有人月探査計画は打ち切りになりました。今までに90億ドル投入されていました。NATOも増派を検討中です。キューバのグァンタナモ刑務所をアメリカ合衆国本土に移すそうです。09年11月17日、米中首脳会議がありましたね。オバマ大統領と胡錦涛主席で「非核」「地球温暖化防止」で合意しましたね。が、オバマ大統領のスタンスは「同盟は日本重視」「経済国際協調は中国」…今米国の軸足がブレまくっています。経済的には中国に頼らざる得ないが、日本の技術力もあなどれない。オバマ大統領の外交姿勢があまりにお粗末です。またオバマ大統領は内政(例えば国民保険制度(医療制度法案は可決されました。4600万人の無加入者のうち3400万人加入可能)や景気回復対策)もお粗末です。まあ、確かに批判だけなら誰にでも言えるって言われればその通りです。米国ではオバマ離れが進んでいます。まあ、頑張ってください。ロシアとは第一次戦略兵器削減条約(START1)の「つなぎ」で合意しました。オバマ大統領は09年11月13日に来日しましたね。「米国とアジアの関係強化」と「スマートグリッド(賢い送電網)研究」を打ち出し、あっという間に鳩山元首相と茶飲み話し的に会談して去りました。まあ、普天間基
地問題は先送りです。そして鳩山元首相の「日米関係はすべての礎」という虚しい言葉に顔をしかめた。が、インド洋での給油活動はやめるが、アフガニスタンに50億ドル寄付すると聴いてにんまりしましたね。所詮は日本は「世界のATM」か?オバマ大統領は09年度のノーベル平和賞ですね。プラハでの「核なき世界」という演説が評価されたようです。 ノーベル賞はスウェーデンでですが、ノーベル平和賞だけはノルウェーで決まります。やや話題性を狙ってオバマ米国大統領を選んだようです。例えばマザーテレサさんなら誰しも納得します。が、金大中さんやアラファトさんはふさわしくありません。むしろ米国大統領はノーベル賞をもらったことでイランや北朝鮮への爆撃がうまくできない状態です。また日米共同で核廃絶を提案してしまいました。が、例えば北朝鮮は中国、イランは200発核ミサイルをもつイスラエルを炊きつければいい訳です。イスラエルは必ずイランの核施設を叩きます。また北朝鮮は永くはもちません。東京オリンピック誘致は失敗でした。私は東京オリンピック誘致は反対でした。が、広島長崎がオリンピック誘致するのは賛成します。是非ともやってほしい。是非とも頑張ってください。米国は7月から9月までのGDPは3・5%増加しました。が、長引く個人消費低迷と失業率上昇(10・2%)です。米国の今年9月まで一年間の財政赤字は1兆4190億ドル(129兆円)で、これから10年間の累積赤字予想額は9兆ドルでかなり深刻ですね。米国はかつてのバブル経済崩壊後の日本の轍を踏襲しようとしています。日本から学べることは「マネーサプライや金利の上げ下げ」では「景気回復にならない」ということです。オバマプランなどは日本の同じ轍を踏襲するだけです。09年9月11日はアメリカ同時多発テロから8年ですね。が、ロシアへの配慮で東欧(ポーランド、チェコ)へのMD(ミサイル防衛計画)の配備を中止しました。またオバマ大統領はいわゆる「国民保険制度」を政策として法案化しようとしてかなり反発されています。実はアメリカ合衆国は日本のような「国民保険」がありません。だからアメリカ人は高額な医療費を払っています。これは大事な法案なのに野党共和党のネガティブキャンペーンで国民は騙されています。目を覚ませ、アメリカ人。また米国駐日大使のジョン・ルース氏(54)が到着いたしましたね。氏はカリフォルニアのシリコンバレーの弁護士です。アメリカの正式な国名は「アメリカ合衆国」です。合衆国とは50の州の合衆国ということです。首都はワシントンDCです。 アメリカ合衆国が戦争する訳は?ですか?その前にアメリカ合衆国のGDP(国内総生産)は1350兆円です。2位の日本は466兆円です。中国は367兆円です。ノーベル賞は298人で自動車保有率3億人で人口も3億人です。アメリカ合衆国はヨーロッパからアメリカ大陸に着いてアメリカネイティブアメリカンを追い出して合衆国を作る訳です。つまり植民地国家です。アメリカ国旗は星が50です
が州の数と同じくらいです。昔は11州でした。アメリカ合衆国の軍事費用は1790兆円です。が、軍産複合体ということがあります。つまり戦争経済ということです。アメリカ合衆国は軍事産業と軍部(ペンタゴン)と政治家の複合体な訳です。ベトナム戦争もケネディ大統領が止めようとしましたが軍産複合体が「戦争」を欲しがりケネディ大統領は暗殺されてしまいました。アメリカ合衆国にとっては戦争経済を必要としているのです。アメリカ合衆国が戦争という需要で兵器を消費するとともに実験もかねて他国に自国の兵器を売却して儲ける訳です。アメリカ合衆国は欧州軍や中央軍やアフリカ軍や北米軍や南米軍など「戦争体制」を布いてます。が、アメリカは戦争体制を維持することで「世界の警察」と呼ばれています。ベトナム戦争の時は懲兵制度であった為に「反戦争」(いわゆるヒッピー反戦運動)がありました。が、今は志願制度です。NASAは只の宇宙開発しているだけではありません。例えばインターネットサービスは軍事システムでした。冷戦終結で敵がいなくなったのでインターネットやGPSが民間化された訳です。但し正確なデータではありません。GPSなどは普段は敵に利用されないように正確なデータではありません。が、戦争の時は正確に直したりします。また日米安保条約ですが、アメリカ合衆国は日本や韓国を北朝鮮から守ってくれる訳ではありません。アメリカ合衆国が安全なら日本や韓国など関係ないのである。アメリカ合衆国が無事なら何でもいいのです。冷戦の体制のままです。日本が戦争に負けた時「ソ連や中国ら共産主義国へのショーウィンドウ」として日本と西ドイツは優遇されました。日本は軍事費用が少なく済みました。もちろん日本人も頑張っていました。が、在日米軍がいなかったら「まともに戦えば3時間しか持たない自衛隊の守る日本」はすぐにひあがります。アメリカ合衆国の核の傘(パックス・アメリカーナ)があればこそ日本が攻撃されたらアメリカ合衆国軍はすぐに攻撃し返すということです。アメリカ合衆国は日本を守っている代わりに「年次経済報告書」という形でアメリカ合衆国の商品や消費を促すこともします。アメリカ合衆国はボランティア活動をしている訳ではないのである。郵政民営化も米国からも働きかけがありました。郵政費用を米国金融機関が持つようにすることを狙ったのです。なおアメリカ合衆国は日本からのリクエストは受け入れません。アメリカ合衆国は優秀なセールスマンです。オバマ大統領はアメリカ合衆国の優秀なセールスマンです。地球温暖化防止に積極的です。環境産業の利権の為です。GMの破綻もしました。核兵器削減もします。アメリカ合衆国の核兵器は3000発、ロシアは2000発です。大統領はアメリカ合衆国が広島長崎で核兵器を使用した悪を、認めました。が、核兵器削減はもっと詰めてます。すぐに核兵器削減が実現する訳ではありません。が、かつて昔はミサイルから核弾頭を外しただけで「削減」としていたよりは「二度と使えなくする」大統領案はいいと思う。アメリカ合衆国の消費は世界一です。アメリカ合衆国は大統領のビジョンで動いています。正直な話、中国や日本の商品のほとんどをアメリカ合衆国が消費していた訳です。中国経済を戦前の大英帝国や戦後のアメリカ合衆国のようなシステムとして期待しても無駄です。中国経済はアメリカ合衆国経済のような強さはありません。またアメリカ合衆国の失業率が改善しましたね。9・4%減少数は666万4000人です。が、ファニーメイ(アメリカ合衆国国営ファンド)は大幅赤字です。148億ドル(1兆4000億円)です。
アメリカンドリームという言葉があります。これはアメリカ合衆国の人口の僅か1%ですが毎年億万長者が出ます。ビルゲイツなどは5兆円持っています。が、ほとんどは貧乏です。だからドリームな訳です。なお、CIAとはアメリカ中央情報局(セントラルインテリジェンスエージェンシー)つまりスパイ組織です。主な仕事は情報収拾と分析です。映画のようなどんぱちはありません。また日本には「スパイ防止法」がない訳に外国のスパイがうようよいます。が、CIAエージェントは頭がいいです。が、カバーとしてジャーナリストにはなれません。これは普通のジャーナリストの命を守る為です。また昔は外国の要人を暗殺したりしていました(キューバのカストロ暗殺計画やケネディ大統領暗殺など)が、フーバー大統領時代に禁止になりました。FBIとは連邦捜査局つまり州をまたぐ警察署です。NSCとは国家安全保証会議のことです。また服部くん事件などで「アメリカ合衆国の銃規制を」という意見があります。ですがアメリカ合衆国には全米ライフル協会(NRA)という大変に巨大なロビーイスト集団があります。またアメリカ合衆国はフィリピン並みに治安が悪いのです。「自分の命は自分ひとりで守る」という西部劇のようなメンタルがアメリカ人にはあります。銃規制など無理です。何故銃を持つのか?は権利だからです。アメリカ合衆国憲法修正案第二条「人民の武装権利」だからです。まず歴史を知らなければならない。アメリカ合衆国はイギリス植民地から銃を持ち独立しました。アメリカ合衆国は50州あります。その州ごとに州兵がいて、その上に連邦軍があります。州兵はまずはボランティア活動で日本でいうなら消防団と同じレベルです。アメリカ人にとって銃は「護身用」か「民主主義の象徴」です。アメリカ合衆国の人口は3億1万5千人です。銃は3億丁。が、銃は4割しか持ってない。ニューヨークやワシントンDCは持っていない。中西部の治安の悪いところでは何丁も持っている。子供でも18歳以上ならスーパーや店で銃を売っています。
安い値段では女性の護身用の小さな銃なら数十ドルなどです。銃のクリスマスセールもあります。日本人は銃があるからない方がいい…と考えがちだが、アメリカ人は「護身用」の為に持っていないから応戦できなくて銃被害が出ると考える。アメリカ合衆国の銃犯罪32万7771件(日本48件)銃犯罪の死者1万177人(日本29人)です。NRAは「銃がひとを殺すのではない。ひとがひとを殺すのである」と主張します。まずはアメリカ合衆国に行って警察官に銃を突き付けられたら、懐に手をやってはならない。銃をうつとおもわれて発砲されるからです。なお、全米ライフル協会(NRA)は非常に強い組織である。会員400万人、資産212億円(会費、銃メーカー寄付金)で例えば銃規制政治家に反対側に投票する投票活動をしたり銃規制反対政治家に政治資金をやったりします。かなり強いロビー団体です。アメリカ合衆国の強さは世界中から優秀な人材(もちろん玉石混合で英語も話せない何の技
術もないひとも多いのですが)が集まってくることでシリコンバレーのような頭脳集団があるということです。またアメリカ合衆国には弁護士が多過ぎます。例のO・J・シンプソン裁判などは悪例です。何でも裁判で訴えるのがアメリカ流ということです。なお、更にまた新しいアメリカ合衆国情報を随時更新します。またハーバード大学の黒人のゲーツ教授が逮捕された誤認逮捕された事件でオバマ大統領が「警察は不法な愚かな行為をした」と発言した件で大統領は謝罪しましたね。アメリカ合衆国はこういう人種差別があるとことです。差別はなくならないだろうね。では。

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中国の正体 米中事実上の首脳会談(習近平Xオバマ)

2012年02月16日 06時34分26秒 | 日記
  中国の正体
  
 2012年2月14日ワシントンDCで事実上の米中首脳会議があり、習近平氏とオバマ大統領が会談しましたね。オバマ氏は「大国としての責任を」と釘をさしました。また劉暁波氏(56)と同じく中国民主化運動家の余傑(38・ユージェ)氏が米国に亡命しました。2012年1月15日、台湾総選挙で馬英九氏が再選されました。女性候補の蔡英文氏を1000万表近くの票差でした。また欧州中央銀行(ECB)がユーロ圏内の応札額が500億ドル(約3兆9000億円)で前の128倍にもなりました。日本の財務官僚は日本の経済成長率は4%であり増税の余地があり、個人金融資産は1400兆円であり大丈夫だといいます。が、1400兆円は表に出なければ意味がありません。外国人投資家は「日本人は国民がパニックになっていないので日本国債は大丈夫だ」と思っています。だが、誤解で日本国民は無知で行動をおこしていないだけです。また中国の人民元が「元高」になれば「中国経済はたいしたことないな」とメッキが剥がれ「メキシコ型」の経済崩壊することは間違いありません。つまり「バブル崩壊」です。また野田首相の訪中が中国側の事情で延期になりました。12月13日は「南京大虐殺」の日で「反日デモ運動」の火に油をそそぐようなもの、との判断でした。また台湾総統選だけでなく、2012年は主要国の首脳選出が相次ぐ、非常に重要な年になります。1月に台湾総統選があり、3月にはロシア、香港、4月にはフランスでも選挙があります。ロシアはメドベージェフ大統領が出馬しない意向を示しているので、事実上プーチン首相の信任投票のような形になると思います。4月にはフランスで大統領選があり、セゴレーヌ・ロワイヤル氏などの社会党の候補者と現サルコジ大統領との争いが予想されます。
 そして、10月には中国で選挙があります。習近平氏が総書記になれるかどうか、また先ごろ「死去した」と誤報が伝えられた江沢民前国家主席の健康状態はどうなのか、という点が注目です。世論では「習近平氏でほぼ決まり」という雰囲気ですが、まだ分からない状態だと私は思います。また習近平氏が総書記になれば、必然的に李克強氏が首相になると見られていますが、李克強氏が首相の任に耐えうるかどうかは疑問が残ります。
 私としては第3のダークホースが登場する可能性もあるのではないかと見ています。
 この点についても江沢民前国家主席次第とも言えるでしょう。そして年末に向けて、11月には米国大統領選があり、オバマ大統領が再選されるかどうかが注目です。12月には韓国の大統領選もあります。韓国の場合、大統領は再選がないため、現在のイ・ミョンバク大統領は非常に優れた大統領だと思いますが、必ず新しい大統領が誕生することになります。次の大統領が誰であれ、イ・ミョンバク大統領ほどビジネスに通じている人は珍しいので、その点では心配です。来年は日本を取り巻く列強の状況が大きく変わる1年になる可能性があります。非常に重要な年であり、日本としても注目していく必要があるでしょう。大前先生は昔から「中国新幹線は必ず事故を起こす」と予告していました。1964年から50年間の日本には細かい事故をクリアしてきた積み重ねの技術ノウハウがあります。一度も日本の新幹線は大きな死亡事故は起こしていません。気候によってはマイナス20度の雪の降りしきる中の通過も。日本は何度も実験してきました。2011年3月11日の東日本大震災でも日本の新幹線は一台も事故がありませんでした。韓国中国の新幹線は事故ミス多い。中国韓国はきちんと金を払って日本のノウハウを買って導入するか、100回200回と事故を起こして自己実験して独自技術を開発するか?です。中国と韓国は日本のノウハウの技術(ATS・ATC)を甘く見るべきではありません。2011年7月24日中国高速鉄道で落雷で停止・追突事故で4両落下、43人が死亡した。つまりハード(高速新幹線)は猿真似できてもソフト(列車制御システム(ATS・ATC))が「バッタモン」であったということ。中国が日本の新幹線の猿真似をして世界で特許申請をしているらしいが大した事無いという感じですね(笑)。また江沢民・元国家主席(84)が2011年7月7日現在危篤状態である報道ではすでに死亡したという。まあもう「おわったひと」であまり関係はない。中国共産党創建90周年で2011年7月1日は胡錦濤国家主席が「世界第二位の経済大国になったのは中国共産党のおかげ」という。だが、貧富の差は拡大する一方です。一年間で1ドルで生活する「極貧層」は1億7000万人もいます。(極貧層はなくなることはない。ゼロになるなど夢物語だ。)2011年6月27日中国新幹線開業運転です。北京上海間が4時間49分です。だが、初乗り2万7000円で中国人には値段が高すぎるとして金持ちしか利用しないらしい。日本人の台湾への好感度が75%だそうです。台湾は東日本大震災にたいして60億台湾ドル(170億円)も寄付してくれています。親日国(国ではなく中国の一部)ですし治安も人柄もいい国民性ですからね。2011年5月内モンゴル自治区でデモが拡大しています。デモ隊は2000人から3000人いやこれは中国政府の報道なので1万人規模だと実際はそういうことでしょうね。2011年5月22日東京で日中韓首脳会談(菅直人首相、温家宝首相、李明博大統領)があり「風評被害の防止で合意」しました。また被災地にもいきましたね。日本の財界トップは三国のFTA早期締結を勧めました。パキスタン・ギラ二首相が訪中、中韓首脳(李明博大統領、温家宝首相)が被災地訪問です。ワシントンDCで中国首脳と米国首脳が米中戦略・対話がはじまりました。人民元引き下げで合意し、米国は為替レート変動を調整。両国は包括的な貿易不均衡打開で合意。日本の東日本大震災の支援で両国一致。外交軍事に対して協議場設置。エネルギー管理協議で一致しました。いよいよアメリカと中国の二大大国の時代です。最近「モンゴルに核処理場計画」をと日米が昨秋からモンゴル政府と交渉していることがわかりました。見返りに原発技術支援をモンゴルに与えるそうです。まあ、ロシアのシベリアやツンドラ地帯の地下には「猛毒ガス」が眠っていますから、広大な草原を持つモンゴルに白羽の矢が当たったということです。東日本大震災では義援金が官民合わせて144億円もの額にのぼった。民主党政権はフランス、イギリス、イタリア、アメリカなどの新聞に「感謝広告」を載せた。だが、81億円もの義援金を提供した台湾の新聞には載せられていない。あまりにも中国共産党におもねっています。「台湾は中国の一部で国ではない」というのがスタンスでも「台湾国民」に感謝広告を載せるのが筋ではないか。それとは対極的なのはオーストラリアのギラード首相だ。過去14年間日本がオーストラリアからの輸出の1位であったが、いまや1位は中国になっている。だが、そんなことは気にもとめず、ギラード首相は岩手の南三陸町を訪問し、被災民を激励している。菅首相とギラード首相の「器の違い」か。米国が中国政府に「反体制活動家拘束」をやめるように提言し、中国政府は「内政干渉だ」と反発しています。2011年4月27日、インド北部ダラムサラのチベット亡命政府はロザサン・セング氏(43)が首相に選出されました。2011年4月23日中国共産党政府はチベット僧300人を拘束しましたね。中国政府は四川大地震から3年ということで廃墟の町を保存することを発表した。実は中国では「バブル経済」がかなり膨らんだ状態で、現在はお金を湯水の如く投資や住宅購入に使っているが家を売り始めた途端に「バブル経済」がはじけ飛ぶだろう。中国共産党政府が「バブル経済制御」の為、人民元の金利を0.25%引き上げましたね。中東・北アフリカの民主化デモ(ジャスミン革命)で、中国でも革命が起こりそうだったのですが不発でした。でも、火種はのこりそうです。今後は大きなうねりがありそうですね。ちなみに全人代(中国の国会・全国人民代表大会)が開かれました。物価の高騰、インフレ、治安の悪化、拝金主義、失業問題…問題山積です。今後5年間の年間成長率は7%、2015年のGDPは2010年比で1.4倍の55兆円(約690億円)程度、今後5年で都市住民と農村部の所得の伸び率を7%程度、今後成長率は8%、人民元利上げなし、財政支出は10億元(125兆円(日本は92兆円))、です。中国のような資金のない国はリビアやアフリカに入りすぎで、リビアの中国人がとなりのチュニジアに脱走するにも歩きだったという。今後、中国の「バブル経済」が弾けることもありそうですね。2011年2月21日、中国から上野動物園にパンダの仙女(シィエンニュ・メス(日本名・シンシン・真真))と比力(ビリー・オス(日本名・リーリー・力力))が借款されましたね。年間7880万円。いわゆる「パンダ外交」です。、また法務省によると2010年の日本の外国人入国数は944万3671人と前年の188万2341人だが、本来なら1500万人から2000万人あるはず。日本ブームの火がつかなかったということです。イタリアは年間4000万人です。とうとう中国がGDP世界第2位になりました。だが、一人当たりのGDPは日本人の10分の1です。2011年1月、胡錦涛国家主席が訪米して、バラク・オバマ米国大統領と会談、米国旅客機200機3兆7000億円の「政治的お土産」の商談をまとめ握手しあった。さすがは胡錦涛氏、人権問題は軽くかわすしたたかさでした。中国人の観光ビザは350万元(230万円以上)の富裕層(150万人)から年収6万元(約80万円以上、ゴールドカード所有、大企業会社員や貧乏人以上のひと(600万人))に引き下げられた。1人あたり13万6870円日本で消費するという。また中国人の日本不動産買いも進んでいる。というのは中国では土地はすべて国家からのレンタルなんです。期限(住宅70年、工業50年、商業40年)。レナウン、ラオックス、本間ゴルフなども中国マネーで買収され立ち直った。よく中国共産党一党独裁といいますが、一応アクセサリー的に他党(台湾民主自治同盟、中国致公党、九三学社、中国農工民主党、中国民主促進会、中国民主建国会、中国民主同盟、中国国民革命委員会)があります。しかし党領には「中国共産党の指導にしたがう」というものでアクセサリーに過ぎません。中国では5年に一度「全人代」という国会が開かれます。が、1年に一回委員会も開かれます。日本では、憲法の下に司法・立法・行政の下に政党があります。が、中国では中国共産党の下に憲法、その下に司法・立法・行政があります。位は上から「総書記」「政治局乗任会」「政治局員」「中央委員」で胡錦涛、習近平、李允強、貸国強、周永珠、呉邦国、温家宝、呉慶林、李長春の9人ですべて決めています。googleが中国市場から撤退しましたね。これは中国のネット利用者は3億8000万人ですが中国共産党のサイバー警察が3万人いて規制するからなんです。例えばノーベル平和賞の劉暁波氏の記事など見れない訳です。でも中国のTVチャンネルは5847局もあるのです。広告収入だけで8000億円です。中国の人口が13億人で言語も多彩だからです。だが、コピーが酷い。税関の差し押さえが中国からが年8000億円と一位、二位は韓国です。「iphone」でなく「Hiphone」とか「ipad」でなく「iped」とか「google」でなく「goojje」とかです。でも日本だって昔は安かろう悪かろうというものでした。それを努力して「世界に冠たるメイドインジャパン」にしたのです。しかし、中国では役人の賄賂が金だけではなく「黄鶴楼(こうかくろう)」という現金化できる高額タバコ(1カートン3800円)が使われます。「アリ族」というのは高学歴ワーキングプアです。中国には職はありますが、高学歴にみあう仕事がないのです。今度は尖閣諸島沖に中国漁業監視船2隻が領海侵犯です。APEC首脳会談が横浜であり、菅首相と胡錦涛国家主席とたった22分だけ会談しました。通訳を考えると10分くらいでしょうか。情けない無戦略国家です。You tubeに「尖閣諸島での中国漁船衝突映像」が何者かによって(sengoku38)アップロードされTVでもガンガンまるで「プロパガンダ」のように流されました。私はこのような違法な海賊版映画のような画像を民間の中庸であるべきテレビ局がそのまま流すことがいいとは思えません。これでは映像をアップしたプロパガンティストの「思惑通り」です。この「尖閣映像」に対して検察当局が捜査にはいりました。神戸の43歳海保職員(一色正春・元航海士)が神戸漫画喫茶でアップロードしたとして逮捕です。が、このひとおかしいんじゃないの?まるで「英雄気取り」です。こういう映像は事件その日に政府が秘密裏にでも世界に配信するのが危機管理というものです。まるで「女風呂盗撮映像公開」です。政府が「映像を公開しない」ときめたのに官僚が知らん振りでアップするって「シビリアン・コントロール」はどうなってるのか?官僚の霞ヶ関幕府でしかこの国は動いていないのか?日本政府には「今、日本は瀬戸際にあるのだ」という強い危機感を持って対応してもらいたいと感じます。また尖閣諸島は1969年に調査せれ「近辺地中に大量の石油・天然ガスが埋まっている」とわかった途端中国は1971年から「尖閣諸島は中国のものだ」といい始めたのです。単なる「利権あさり」です。中国がレアアース(稀少金属)の欧米系輸出もストップ、資源外交の武器にしています。インフレ抑制のため通貨元0.25%利上げです。2010年の中国全人代でポスト胡錦涛主席に、軍事委副主席に選任された習近平(シー・ジンピン)氏が選ばれた。次の中国国家主席は習氏で決まりです。2010年ノーベル平和賞に中国人民主化活動家で作家・現在「国家転覆罪」で獄中の劉暁波氏(54)が決まりました。中国の「反体制派」も大喜びです。ですが中国共産党政府は反発していますね。中国共産党政府は劉氏の授賞式出席を認めませんでした。まあ、中国政府というか中国共産党一党独裁体制を批判している劉氏を出す訳ありません。旧ソ連のサハロフ博士、ミャンマーのアウン・サン・スー・チーさん、南アフリカのマンデラ氏のように劉暁波の受賞は「命を守る為」ですね。中国軍の軍事費拡大が拡大しています。中国側は「中国軍の近代化には17兆円必要」といいます。2009年のデーターですが日本より中国の軍事費は500億円の差があったそうです。これは東アジアの軍事バランスにとって重要です。また4月から6月のGDPは日本1兆2883億ドル、中国1兆3389億ドル、GDP成長は米国14兆ドル、日本1.8兆ドル、中国31.28。経済成長は米国-2.4%日本-5.2%中国7.1%…というデーターがありますがこれは誤ったデーターです。日本中国は四半期の数字で米国は一年間の数字です。こんな出鱈目な数字をだしてくるひとの気が知れません。「日本の負け」が決まった訳ではありません。策はあるのです。負け犬のように尻尾をまいて逃げる前に策を打ってください。中国はGDPで日本を抜いて世界第二位の経済大国になりました。でも人口がそもそも違うんです。中国の人口は13億人。日本は1億2000万人です。一人当たりのGDPは日本が3万9731ドルに対して中国は3678ドルです。軍事費は近代化が急務なようで中国政府は6兆9000億円といいますが実は12兆8000億円といわれています。日本の軍事費は510億円です。なぜかというと国産空母を製作中だからです。世界で空母を持つ国はアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、ウクライナ、インド、ブラジル、イタリアだけ。中国は空母を保有し東シナ海や南シナ海や台湾などのいわゆる「領土問題」に睨みをきかせる為に空母(航空母艦)を保有したいのですね。しかし、中国にも「頭が痛い問題」があります。それが日本以上の少子超高齢化問題(8-4-2-1問題)です。国連の定義に65歳以上の人口割合で7%以上が「高齢化社会」。14%以上が「高齢社会」。21%以上が「超高齢化社会」といいます。日本は23%。中国は33%(1億3474万人。10年後2億4800万人。20年後4億人)です。これから中国は労働者・人材不足でバブルが弾けますね。中国が日本の領土である「尖閣諸島」を「中国領土だ」といいます。また民衆の人海戦術のデモですか?尖閣諸島は日本の領土であり1895年に日本の領土になり、その前は「琉球王国」つまり沖縄人の領土でした。中国人のデモを止めたければまた入江紗綾でもだせば(笑)。まあこれは冗談です。紗綾だかの小娘なんか役に立ちません。反日デモにしても反中デモにしても屈折した「愛国心」は「暴挙」なだけです。尖閣諸島問題はアーミテージ元国務次官補は「日本は中国に試されている」と観ているそうです。まあ「反日デモ」自体は2005年もあったお祭りみたいなものです。が、海上保安庁も尖閣諸島で海保の船に中国船が衝突してきた、というなら何故そのときの映像を世界にむけて放送しないのですか?どこまで民主党政権は無策なんですか?報道させてそのうえで「政府恩赦」という形で罪人を許して中国に帰せばいいだけだったのです。どこまで無策なんですか?尖閣諸島も日中の「共同開発区域」でいいじゃありませんか。北方領土だって3島返還で「共同開発区域」でいいでしょう?どこまで無策なんですか?まず日本のODA(政府開発援助)について一席。860兆円の大借金がある日本ですが、ODA援助はまだやっています。ODAには二国間援助と無償資金援助と有償資金援助があります。基本的には有償とは返済を求める援助ですがローン金利は援助国の政情によりまちまちです。アフガニスタンの金利は0.01%。返済に40年です。日本のODAの総額は32兆円です。189ヶ国(先進国以外すべてに援助しました)。貧困をなくすのがODAの目的だからです。戦後の日本も貧しかった。その為に米国から脱脂粉乳などの食料援助や技術援助を受けました(総額12兆円)。東海道新幹線や東名自動車道路も世界銀行から借金してつくりました。ローン返済は1990年で完済しました。日本のODAは最初は侵略した国への賠償でした。72年に田中角栄がニクソンの真似をして北京に行き「日中国交正常化」がなります。そのとき、周恩来首相(当時)は「賠償はいらない」といいます。だが、日本は円借款という形で中国に援助します。(全部中国のクレムリン・中南海の老人たちのポケットにはいっただけ)。例えば北京首都空港も日本のODA300億円でつくられました。日本はアフリカにも援助しています。クロマグロ輸入禁止のときはアフリカ諸国が日本側について反対してくれました。援助のポリシーは「魚を与えるのではなく魚の釣り方を教えること」です。ODAによってその国が発展すれば現在の中国のように日本製品がどさどさ売れます。まあ、「先行投資」ですね。今、中国人のお金持ち(1億人いる(年収1000万円以上または350万円でも(日本と物価が違うから。30億円以上は6038人)))が狙うのは日本の不動産である。なぜなら今、上海はバブルで日本の不動産しかも山手線エリアが上海の不動産価格より安いから。後は中国ならではの事情があって、中国は社会主義国で土地保有が認められてないんです。中国の不動産は建前上は中国共産党のもので、国民に借款する、ということです。また中国人の観光客は100万人で規制緩和でこれから日本に観光で訪れる中国人は1000万人といわれています。しかも、今でさえ富士山周辺の別荘のほとんどは中国人オーナーが所有しているそうです。人民元が高くなれば日本の土地や金融不動産や会社が安くなる訳です。まるでバブル時代の日本がアメリカの土地や会社や絵画を買い漁ったときに似ていますね。また、ブレイン・ドレイン(頭脳・技術流出)が加速しています。まず工業国家として大事な「金型技術」ですが、中国や韓国に流出しています。中国BYD社にオギハラ社(日本の大手金型会社)が買収されたのは有名ですね。日本人の「金型職人」もリストラや倒産、失業や定年で職を離れ、中国や韓国企業が高待遇で招いて指導させているといいます。例えば全米高速鉄道計画(グリーン・ニューディールの一環、建設費4兆円)。日本から新幹線「はやて」を中国は購入したのですが、すぐに猿真似して「CRH2中国製新幹線」としてアメリカにセールスしています。また韓国も日本の猿真似が目立ちます。ちなみに韓国のサムスン電子という会社は今や世界一の家電メーカーです。なぜか?これは韓国が5000万人の人口しかない、ということで世界で売らないと食べられないということです。例えば韓国企業に入るには一流大学卒業のちTOEIC780点以上の「英語力」が必要になります。サムスンは世界一の利益をあげています。それは「金融、IT、英語」という人材がいるからです。日本人にそういう人材がいくらいますか?毛沢東の孫の毛新宅(40)が史上最年少で少将だそうで「世襲ではないか」と問題になっていますね。中国の省エネ改革費は65兆円です。中国は正式な国名は「中華人民共和国」で人口は13億人以上です。08年末の総人口は13億2802万人。うち都市で生活する人は6億667万人、農村住民は7億2135万人、都市人口の比率は45・7%。人口爆発は止まりません。中国は人民元を切り上げましたね。中国はいままで1ドルを6.23人民元に固定していました。北朝鮮の金正日が列車で中国訪問です。経済援助を要求しましたね。いままで中国人の富裕層(年収25万元(340万円以上))にしか認められなかった日本への入国観光ビザを41万円の年収の中国人にも発行することになりました。中国人が豊かになり、不法就労や不法滞在の危険が少なくなったからです。いよいよ上海万博2010年5月1日スタートです。上海万博PRソングが岡本真夜の「そのままの君でいて」の盗作でした。台湾が北京射程のミサイル開発を中断していましたが再開したそうです。いよいよ東シナ海がきな臭くなってきました。中国人の「盗作メンタリテイ」は醜悪です。上海万博ではリハに20万人が殺到してパニックになったそうですね。中国で2010年4月14日地震があり1880人以上が亡くなりました。謹んで哀悼の意を示します。最近、「人民元にたいしての米ドル価値が45%低い」とC・フレッド・バーグステン氏がいっています。このひとは過去日本に対しても「1$70円がいい」といっていました。要するに人民元や日本円が高くなれば米国国内に工場をもどす、というのである。馬鹿馬鹿しい。米企業で米国内に工場を移したい人間はいない。そんなことを提案したら株主が黙っていない。結局、人民元が高くなったらベトナムやタイに工場を移すだけです。バーグステン氏のいうことなど相手にしないのが上策です。中国で日本人犯罪者が死刑執行されましたね。悪いことをしたのだから当然です。そんななかで中国では犯罪率が高くなっています。中でも役人の犯罪率が高くなっています。それは庶民にたいして役人の給料は低いままだからです。GDP比率で8・9%の成長率ですが…。インターネット上で民主化運動をいたとして民主化運動家の劉暁波氏が逮捕起訴されましたね。EU米国が抗議している。日本は?また農村住民7億人も「繁栄からとり残された存在」です。なら農村改革で米国のように農業を近代化すればいい。と考える方もいると思います。が、そうなると農業人口は数千万人で十分になり6億人が「失業者」になってしまう。それらが都市に雪崩込んだらパニックです。英国人が処刑された。中国国家副主席・習近平氏(ポスト胡錦涛の次世代のリーダー)の今上天皇(平成天皇)との会談がありましたね。これは小沢一郎のごり押しと言われています。また中国に小沢一郎が「修学旅行(笑)」で民主党議員143人(全員で630人)を連れていきましたね。小沢一郎は胡錦涛主席と会談して上機嫌です。が、馬鹿らしいパフォーマンスですよ。大勢引き連れて「お山の大将」ですか?また別の話ですけど広州や重慶は「中国のデトロイト」になれるそうです。戦略的に世界の自動車メーカーを呼び込むことです。が、中国に100も200も100万人都市が出来るなんて現実的ではありませんね。新たな中国の人材はこうした人口爆発を見据えて、戦略的に活動する人材です。また「ひとりっ子政策」から30年で何と少老少子化の中国は第二子出産を奨励しているという。中国はひとりっ子政策で日本と同じ少子化です。これが中国のネックにならないといいが…。まずは日中の経済的協力を加速化することです。中国は2050年には世界一のGDP(アメリカ合衆国の2倍)になります。当然、そうなると人件費も上がる訳です。だから世界は第二の「世界の工場」としてベトナムや東ヨーロッパやアフリカに注目して進出しているそうです。日本のとる道は「日本でしか作れない製品」を作ることですね。ポスト胡錦涛といわれる習近平国家副主席(58)が09年12月14日から17日まで来日しましたね。次世代のリーダーともいわれる習氏に期待してます。09年11月17日、米中首脳会議がありましたね。オバマ大統領と胡錦涛国家主席で「非核」「地球温暖化防止」などで合意しました。また中国の成長率は7月から9月で+8・9%です。凄いですよね。9月の海外からの中国への直接投資額が前年比18・9%増の78億9900万ドル(約7060億円)になった。また中国政府系ファンドがPKOを実施しようとしてますね。全体的な中国投資が戻ってきました。中国が200兆円の国家ファンドを使って世界中の企業を買収しはじめいる実態も明らかになりました。これをバブル経済の日本になぞらえるひとがいます。が、では今の日本はバブル経済崩壊後金がないのでしょうか?いや実は個人金融資産は1600兆円です。だからこの金を投資にまわす戦略が必要です。例えば、「今、自動車を購入したら重量税や所得税を免除する」「築30年の住宅建て替えなら税率を優遇する」ということです。が、「金利の上げ下げ」や「マネーサプライ」で景気回復しないことは日本が証明しています。米国はオバマプランなどと言って、同じ轍を踏もうとしています。銀行は金利ゼロになると貸し出し努力をしなくなるからなんです。なぜなら利回りだけで儲かるからです。経済活動を発展させる為には個人金融資産運用です。が、民主党政権は「増税」や「赤字国債」など馬鹿げた間違っている方法論をとっています。これでは中国に勝てません。鳩山政権発足を受けて中国は「日本はアジア重視になるのではないか」と期待しているそうです。胡錦涛国家主席(66)の後継者の習近平国家副主席(56)が訪日するそうです。いよいよ世代交代ですか。中国の建国60週年が09年9月1日でした。10年ぶりに行われた軍事パレードでは新型ICBMや新型戦車や北朝鮮ばりのマスゲームと胡錦涛国家主席の演説がありました。中国の政治はアクセサリー程度に別な党がありますが基本的に中国共産党一党独裁政治です。最高指導者は胡錦涛国家主席、首相は温家宝氏です。ポスト胡錦涛氏は習近平氏(国家副主席)です。確かに政治は一党独裁政治です。が、経済は「改革解放政策」つまり資本主義です。経済特区という沿海部の特別管理区域があって、上海、深釧、珠海、広州、香港などです。北京沿海部ではバブル経済が弾けました。が、内陸部にはやっと経済効果が出てきたところです。沿海部と内陸部のひとり当たりのGDP格差が問題で格差は何百倍です。実は中国では地方の戸籍の者は「地方でしか働くことができない」と法律上規制されています。だから都市部の人間は都市部の人間としか結婚しません。都市部の包食のような連中は「黒刻子(ヘイハイズー、包食)」です。彼らは不法労働者です。また中国共産党は五独を許さないポリシーです。五独とは「台湾、ウイグル自治区、カザフ自治区、チベット自治区、モンゴル自治区」の独立です。
何故今まで中国と台湾が睨みあっていたか?は六十年前に中国共産党と中国国民党が内戦で戦い、毛沢東率いる中国共産党軍が勝ち、敗れた中国国民党軍が台湾に落ちのびて台湾に政権を作ったからでした。国民党は組織したのは孫文で、その後、将介石が台湾に政権を作りました。
中国国民はその後、経済的発展を遂げようと、毛沢東率いる中国共産党が「大躍進」「文化大革命」政策を行いました。が、大失敗する。その後、毛沢東死後に大粛清を生きのびた小平(ドンシャオピンまたはテンシャオピン)によって「黒猫でも白猫でも鼠を取る猫がよい猫である」というポリシーで経済的革命「改革解放政策(資本主義改革)」が行われる。この政策で中国経済は飛躍します。その後、小平さんが死にますが、その間に江沢民前主席や葉選平や朱容基、黄菊、劉華清、栄毅仁、から胡錦涛氏や温家宝氏や呉邦国その後は習近平氏が「第五世代」として改革を遂げようとしています。北京オリンピックも無事終了しました。上海万博もおわりました。江沢民氏については「凡庸な役人主席」と言われたけど「三つの代表」という改革をしたことはあまり知らない人が多いですね。「三つの代表」改革とは中国共産党が先進的生産力の発展、先進的な文化発展、人民の基本的権利の確保である。これは小平さんでも出来ないことでした。また中国人民解放軍は国民の軍ではありません。中国共産党一国独裁政治の手先の「中国共産党軍」です。また中国共産党はアメリカ合衆国をライバルにしています。経済的革命で今世紀中に日本を抜き世界第二位の経済大国になる可能性が高いです。ただ、軍事的にはアメリカ合衆国に勝てません。では、日中間はどうか?中国は日本の円借款と高い技術力と経営ノウハウと輸入を必要としています。日本は中国国民の安い人権費用を必要としています。中国の景気回復は突出している。09年4月から6月のGDP比率は+7・9%です。一番伸びているのが600万台もの自動車購買力です。世界一です。但し中国経済は戦前の大英帝国や戦後のアメリカ合衆国のような「屋台骨」にはなりません。中国経済を過大評価するべきではありません。無理やり過ぎです。なお「日本はものつくりの国です」というけどではアメリカ合衆国は「ものつくりを忘れたのか?」というのは違います。世界的トップ優良企業百社の中にアメリカ合衆国の企業は60社入ります。日本の企業は8社だけです。例えばコカ・コーラやインテル、ペプシコなどです。
一部、靖国問題や戦後賠償責任問題があるかもしれない。が、日中間は互いに必要としています。中国と日本はアジアの大国です。日本が経済的に落ちぶれるのは自業自得でしょうかわかりません。が、アジア共同体で頑張ってください。日本は世界一の「技術力」を持っています。もったいないです。もったいない。もっといろいろ頑張ってほしい。
なお、中国の人口は13億人以上というのには訳があります。中国は人口爆発を防ぐ為に「ひとりっ子政策」をとっています。つまり家族の子どもはひとりだけです。と中国共産党が法律上規制したのです。が、内陸部や貧しい地方では人口爆発がおこっています。この盲流(マンリュウ、流民のこと)問題が深刻でしょうか。つまり資本主義改革で中国共産党は人口爆発を止められなかったのである。深刻な問題である。中国経済はアジアナンバーワンになる可能性がかなり高いです。日本は世界2位から脱落します。確実です。中国経済の発展が今後とも必要ですね。
なお、何故中国が北朝鮮を庇うか?ですが昔(1965年)の「朝鮮戦争」で中国は北朝鮮に中国人民解放軍の援軍を送った仲間だからです。が、中国人民は今の北朝鮮にシンパシーを持っている訳ではありません。北朝鮮の政権が崩壊して大勢の難民が津波のように押し寄せるのでストップしたくて援助しているのです。タイのプーケットでのASEANの会議では対北朝鮮ではかなり温度差がありましたね。また中国が北朝鮮を庇いました。また反日デモは何故行ったのであるか?は侵略戦争の激戦争区域・重慶で日本人のサッカーファン達がはしゃいだからです。(ちなみに反日デモを止めたのは入江紗綾ではありません。私です。)中国経済は「社会主義的資本主義」です。が、社会主義は(みんな平等で豊かになる主義)で共産主義は(政府なんかいらない主義)です。言論の自由はあります。が、あまり中国共産党の悪口をいうと「国家転覆罪」になり囚われて死刑罰になる可能性が高いです。
中国共産党が倒れれば中国大陸はカオス(混沌)となり内戦になる可能性が高いです。
ワシントンDCで米中戦略経済対話がありました。事実上のG2会議でしょうか。というより中国は世界一米国国債を保有している国(第二位は日本)だからです。ガイトナー財務長官と王岐山副首相ら中国側150人が訪米しました。もはや「日本はさらば」ですか?舐められたものです。また中国経済は日本の家電屋のノウハウを必要としているようです。ラオックス家電は中国の蘇寧電気集団と15億円で提携しましたね。またベスト電器は東京新宿のタカシマヤタイムズスクエアを8月で閉店するという。中国の蘇寧電器の買収を気に中国側が次々と買収劇を起こすかもしれない。家電量販店の売上高は1ヤマダ電機(1兆8000億円)2国美電器(1兆5000億円)3蘇寧電器(1兆5000億円)となっています。4以下はエディオン、ヨドバシカメラ、ビックカメラとなっていますけど売上高は5000億円から8000億円と半減しているようです。中国はひとり勝ちのヤマダ電機以外を買収するかもしれない。中国は日本家電屋のノウハウを必要としています。例えばヨドバシカメラの「ERP活用スキル」などのノウハウを必要としています。中国側は家電屋のノウハウと日本製品のルートが手にはいる訳です。甘い汁ですよ。中国国民は「ジェネリック(ブランドに囚われない)」で「実際主義」だ。中国台湾にしられた現地企業はありません。ブランドよりテレビなら綺麗で音がいいならなんでもいいのです。日本人とは大きく違いますね。あと、ウイグル自治区は中国国土の1/6で少数民族とは言えウイグル人は8000万人います。ウイグル人とは分かりやすく言えばイスラム系の中東人と同じ外見です。中国の石油埋蔵量の35%をウイグル自治区が占めます。ですが利益は漢民族が独占しています。多くのウイグル人は貧しいままです。何故ウイグル自治区でウイグル人のデモが起こったのか?ですが広東省のおもちゃ工場でネット上に「ウイグル人が漢民族の女性を暴行した」という嘘の書き込みがあって漢民族にウイグル人2人が殺されたからです。でなお、ウイグル自治区ではデモ隊と制服さんたちとの衝突で少なくとも150人(ウイグル人活動家たちの発表では千人)が死亡して千人以上が重軽症でした。暴動被害者に総額1億元(14億円)の保証金を支払うそうですね。ウイグル自治区のウルムチのトップ・栗智氏が更迭されました。情報封鎖の為にまだ詳しくはわかりません。ですが死者は倍ですね。虐殺は止めてください。なお、情報規制されていて詳しくはわかりません。ウイグル自治区問題が深刻なのでしょうね。また中国と台湾の間で「経済協力枠組み協定(ECFA)」が結ばれましたね。台湾は日本では中国の一部のように見られますが、実は中国国民党と中国共産党のいわゆる「国共内戦」で敗れた国民党軍が台湾半島に逃げてきた訳です。中国人に聞けば「台湾は中華人民共和国の一部だ」というし台湾人にきけば「台湾は中国の一部ではない独立国「中華民国」だ」といいますね。ちなみに「チャイニーズ・タイペイ」とはオリンピックにでる為の「妥協」です。台湾の面積は約36000Km2。人口は約2300万人です。が、23の弱小国しか台湾を独立国と認めていません。日本では「中国の一部だと理解する」とあいまいにしています。中国では最近まで国民党出身(中共・毛沢東と戦った蒋介石一派)が実権を握っていましたが、台湾人出身の李登輝総統、陳水偏総統を経て馬英九総統で親中派になり三通(通商、通交、通信)政策をとるのです。台湾はほとんどの世界のパソコンを組み立てる技術があります。中国側はその技術が咽喉から手が出るほど欲しいのです。後は情報が入り次第更新いたします。

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