今年も栗の季節の到来🌰
土手に生えてる実家の栗の木。拾うことに夢中になり、祖母は生前、土手を転げて田んぼの堰に落ちたことがありました。頑丈な人だったので軽いケガで済みましたが(笑)
年々拾うのが楽しくなってきました。山菜採りに夢中になりすぎて、遭難…それはよくありませんが、その人の気持ちが少し分かってきたりして。
拾うとこまではいいのです。なんで、こんなにも硬いのか。鬼皮…まさに字のごとく。食べたいのに容易には食べさせてくれない栗。煮て、剥いて、掬って…。もはや面倒です。せめて栗ご飯で頂きます。
これだけは今年も頑張ります。頑張るって皮むきをね。
9/23 on airの入選句です。お題は「歩く」
佳作10 走れないから歩いているだけだ
沖縄県 森山 文切さん
佳作11 先頭を風よけにして歩む癖
沖縄県 前川 真さん
秀逸1 歩行器に寄り添い垣間見る宇宙
青森市 夕月さん
「走れないから歩いているだけだ」自分のやり方に確固たる自信が見えます。
ん?思えば、「〜だけ」って自分に間違いがないとアピールするときに使ったりしますね。よほど自信があればいいのでしょうけど、言い訳っぽくもなったり。あら?文切さんも言い訳だったりして(笑)
むさしさんも仰ってましたが、夕月さんのこの歩行器はきっと介護用品のことを指しているのでしょう。お身内の方に接していればこそ感じるその「宇宙」なんとなくわかる気がします。私にも未だ健在な今年94歳になる母方の祖母がいます。口が回ります!まだ十分に(笑)私は初孫だったので随分と可愛がってもらいました。幸い近くに嫁いだもので、今も時々顔を見にいきます。その祖母が私のことを分からなくなることがあれば…感じるかもしれないです、宇宙を。そばにいるのに余りに遠いなぁ…と。赤ちゃんからはじまった人生が、ぐるっと廻ってまた戻ってみたりする人もいらっしゃいますね。
深くて、広くて、時には暗い気持ちにもなるのかもしれないですね・・・私にはまだ分からないですが。