洗心庵 霊能 常世/霊能師・みどり公式ブログ

浄化を進ませ、苦しいことも嬉しいことも結果を出し次の人生へと後押しする場所です。

愛と温もりはどこからやってくるの~愛から生まれた希望の桜と慈しみの姿の仁~

2022年04月22日 | blog

さくらひらひら舞い降りて落ちて 揺れる思いのたけを抱きしめた

君と春に願いしあの夢は今も見えているよ さくら舞い散る

Ikimonogakari - Sakura || Live 2016 atsugi de show - YouTube

はい、もう桜も葉桜になり里桜が咲いている場所もあるかな、といった所でございますよね。

ホントにいつもリアルタイムでブログに書きたいと思いつつも書けておらず💦

60日更新がないて出るアレをまた表示させてしまいました💦

ツイッターは更新しておりますのでぜひ生存確認はそちらでどうぞ宜しくお願いたします💦

いきものがかりのsakuraで始めさせていただきました🌸🌸🌸

皆様お元気で居て下さっておりますか?

住まいの近くの公園には里桜が沢山植えられており今も美しい姿を楽しませてくれています。

たわわに咲く里桜の姿にこの春、夢を叶え某メディアに就職した姪の姿を重ねて、どんな苦しみ、悲しみの坂道もいつか縁の道が喜びの道に続いているのだ。

華やかな道にその何倍も下敷きになる「ものがたり」がある。

その道には無償の愛がそこかしこに敷き詰められ温もりに溢れている。

そんな人生をちょっと、ここのところ生きておりました。

去年から父の叔父である方の想いについて綴っておりました。

そして、父の兄弟の癌の闘病についても。

そして父も癌検診に引っかかった事。

結果からお伝えさせて頂くと父は小さなポリープで日帰りの治療で済みました。

そして父の兄である叔父に私の激押しの癌療養アイテムをお送りさせて頂きました所、叔父から業者か?と言う程の量が送られてきて嬉しかったとの連絡があり両親と私の元に美味しい佃煮とちりめんじゃこが送られて来まして父が「何もこちらはしていないのに」ととても喜んでいると母から連絡がありほっこり、から数日、からのお話でございます。

母からラインが連続で届いており何かなと思って開けようと思うとまたピロロロロン。

「父がおかしい」

「猛兄に悪い、悪かったって言いながら泣くの」

「どうしよう、御迎えだったら( ノД`)シクシク…」

そんなラインが届いておりちょっと電話してみるかと鳴らしてみると珍しく母が動揺しており、今、父がまた父の弟君に電話して猛兄さんに悪いって電話して泣いてるのよとの事でどうしよう、一度、猛兄さんのお寺にみどりも一緒に行ってくれない?

治まらないわ、これは、と母が言うのです。

叔父さんの父への思いが暖かな愛に繋がり父の血が目覚めていく…。

幽かに温かみを感じる手を取り愛情を確認しあえた叔父と父の気持ちを感じ

人間って理解できるタイミングがいつか必ずやってくるのだと感じ何とか時間空けるから叔父さん達の祀られているお寺に行こうと母と約束して電話を切りました。

そして仕事で父が偶然大きな仕事を頂いており丁度その日が納期で半日で仕事が終わるからその日にと話が纏まり両親と私と廣瀬でお参りに行く事になったのです。

その日は父が途中参加と言う事で母とランチ、と言う事でお目当てのお店に行くも何故か全てお休みで、蔓延防止も解除になったのに何でだ?仕方ないからサンドイッチでも買って遊歩道の桜が満開だから桜見ながら食べようか、何て話していた所、父から着信がありなんだか早く終われたからランチ合流するとのこと!

ジーザース、と言う事で実家に戻り父を乗せ、伏見のお寺さんへ。

と言いながらもランチ、ランチ、美味しい物食べたい☆という両親に伏見と言えばうなぎ、うぅなぎぃ♪と調べておいたお店を提案し美味しい鰻のお店へ🌸

炭焼鰻 土井活鰻 - 京都・炭焼鰻料理 (gorp.jp)

焼き方もお味も美味しくて肝吸いも上品なお味で超おすすめ。

お腹も落ち着き、ご供養のお花を買い求め叔父、叔母達の待つ宝塔寺さんへ。

お寺に近づくとお寺の参道がなんと桜づくしでなんとも美しい姿を見せて下さり私の心の鏡には冒頭の「いきものがかり」のさくらとシェネルのカバーしているさくらの曲が響き、その心の鏡の水に桜の花びらと叔父たちの心が映りその美しさに「綺麗」「綺麗」とお寺のお庭でほうけたように立ちすくんでおりました。

さくらひらひら舞い降りて落ちて 揺れる思いのたけを抱きしめた

君と春に思いしあの夢は今も見えているよ さくら 舞い散る

日本のお国の為にビルマに向かい心に大きな大きな傷を負って帰国した叔父を癒したのは小さな甥である父達だったのでしょう。

その父達が自分の亡くなった年を追い越した時、やはり伝えたい思い、残したい思いがあったのだと思うと切なくてやるせなくて…。

去年の秋に夢を見た日から父に伝えて来た事が父の兄弟の病や父自身に起きた出来事に叔父の気持ちと通じる事が出来まして時間が掛かりましたがお寺に足を運んでくれました。

そしてお寺の納骨堂で叔父に再会した父はあの世、常世の住人のようだったのです。

ふらふらっと叔父、叔母、叔父の母のお骨のある場所に歩みを進めた父は

「おぉ、猛兄…」と懐かしそうに手を取るようにしてもう一つの手でハンカチを出し涙をぬぐい止まらない涙をぼろぼろと拭いながら手を合わせる姿を見て、納骨堂におられる日蓮上人さんに叔父さん達の事をお祈りすると、こちらをググっとご覧になられたのを見てつい先日、姉弟子のH先生がお家のお仏壇でお祀りされていた日蓮上人のお話を思い出しご縁を感じさせて頂きながら、手を合わせていると蠟燭の炎が大きく大きく瞬き思わず、おぉ、祈りが通じているではないかと心が躍りました。

そしてお寺の奥さんと少しお話をさせて頂きお寺を後にしよう引き戸を開けるとそこには桜の樹から花びらが風に舞い散る姿がそこにもここにもあり、もう私は感動して腰が抜けそうに…。

父の祈りも、叔父の祈りも、私の祈りも、そして師の祈りも、姉弟子の祈りも全て届いている。

神さんは全ての声を聞き届け、お答えを下さっている。

さくらひらひら 舞い降りて落ちて 揺れる思いのたけを抱きよせた

君がくれし 強き あの言葉は 今も胸に残る 

さくら 舞いゆく

帰りの車で、懐かしい叔父と父の暮らした家を通り懐かしい話をしながらお茶をして帰ろうとの母の提案に大好きな宇治の通園で冷やしぜんざいを頂きその美味しさに心を躍らせつつ父は珈琲を飲みたかったのに妥協してグレープフルーツジュースをと言いながら美味しそうにちゅーっと飲んでいる姿にほっこりと幸せを感じながら猛叔父さん、秀子叔母さんの気持ちを感じながらお二人がおられなければ今の私は作れなかったと思い、ありがとうの思いを伝え続けようと思いました。

そしてひょんな事から父の神奈川在住の弟君からラインがピロピロピロピロンと届き、私が元気そうなこと、活躍している事をとても嬉しい、また京都にいる時には必ず会いましょうとの連絡が来て父が願ってやまなかった関東在住の兄弟も全員で会いたいといの思いが叶うのかなと嬉しくなりました。

猛叔父さんが大事にしていたバラのお庭の香りがする父の庭で。

さくらひらひら舞い降りて落ちて

春のその向こうへと歩き出す

君と春に誓いし この夢を

強く 胸に抱いて さくら 舞い散る

父の母、私の大事な祖母の名前は「はる」さんなのです。

だからそれもあるのかな、私が桜が大好きなのは。

春が穏やかに過ぎてゆき、風が薫る5月を迎えますね。

宝塚の方のお部屋を今の場所からよりご縁の観音さんに近い場所に越すことになりました。

静かで穏やかで龍神さんにより反応頂ける場所です。

静かに穏やかにご縁の皆さんも私も上昇気流に漂わせて頂いております。

いつもご縁を下さる皆様のお陰です。

これからもふと、気づけばこんな事に!有難いよねぇ!

そうお話出来るご縁をこれからも繋いで参りたいと思います。

心からいつも有難うございます。

それではまた、お会いできる日を楽しみにしております。

                           2022 4月  みどり。


小さい頃には神がいて不思議に夢を叶えてくれた~優しさに包まれたなら~

2022年01月28日 | blog

それいけ地の果て 星空超えて~♪

明けまして おめでとう ございます、と、言わせて下さいっ‼

年末に差し掛かる頃からお久しぶりだけど思い入れのある方から大きなご報告があったりで年末感の無い時間を過ごしておりまして、年始のご挨拶が遅くなりました。皆様お元気でいらっしゃいますか?

気が付けばもう1月も終わりだとカレンダーの中で月城かなとさん(生きている妖精こと宝塚のスターさん)が教えて下さり、気が付けば2月、巻き寿司の段取りをする日になっておりました

今の気持ちをリアルタイムでお伝えするのが確かSNSの筈とツイッターはちょこちょこ更新しているのですがブログを更新するまとまった時間がなかなか取れず大変遅くなりました。先日ツイッターを見て下さっている方からよく宝塚におられますね、歌劇ご覧になっているのですね?なんてお話頂きましたが、宝塚でもみどり、お話をさせて頂いているのですよ、はい。さとみさんが宝塚にお部屋をお持ちなのでそこで、鑑定させて頂いております。ツイッターに宝塚の風景が良く出てくるのはお仕えさせて頂いた後、心身をこの世に戻すためにお散歩がてらお茶に行く際にスマホでアップしたりしているのでございまして、決して遊び歩いている訳ではないのでございますよ。

いや、歌劇も観ていないと言われれば嘘になります。

現実を忘れ異次元に連れて行ってくれる素敵な場所、それが宝塚歌劇でございます。

私の再来世まで応援すると決めている方が舞台に立たれる際は比較的見せて頂いております。とか誰が興味あるねん、と思いつつ、このお話も夢とロマンと龍神さんと根性溢れるお話なのでいつか皆様にも聞いて頂きたいなぁと思っています。

ここでは書けない事ばかりですけれど

いやー、皆さん、生きている方でも、亡くなった方でも恩を仇で返す事はダメ、絶対!ですよねー。

もらる、常識が無い人って居るから恩を仇で返しているなんて事を知らずに生きている人も多いのですけれども、第三者からすると「それは草葉の陰で悲しんでおられるのでは」なんて事もありますよね。

そんなこんなで。

去年から父の叔父の話をブログにちょこちょこ書いており、これで終わりではないでしょうなぁ。

なんと思いつつ我が父が叔父から掛けて頂いた情をどのように受け止め現在の人生に転換されていくのか、きっと父が生きている間に何かあるだろうなぁと思いつつ、時間を掛けながらこのお話は追っていこうと思っていたのでございます。親たちに何かが起きる気配はなかったので

そして。

年始になんだかんだで実家に足を運べておらず、先日、父のお祝い事が有ったのでケーキを手配して実家に顔を出し、父の好物のお刺身とうなぎと糟汁という若干カオスなメニューで夕飯をしつつ日本酒を父とチチお気に入りのお銚子を使いキメていると若干お話の声が大きくなっているのと同じ話を繰り返しているのを感じ、(酔い始めている)いかん、最近何か起きているかを聞きださねばとタイミングを探っていると、ですよ?

「実はなぁ、年始に喬兄さんから電話で大腸がんで治療法がないらしい、酒飲めないらしいわ」

え?大腸がんかぁ、感情心配だなぁ、なんてお酒の影響もありぼんやりしていると。

「それが埼玉の兄さんも大腸がんらしくて、同じ時期だなんてなぁ」

なんて父が話し出すと母が洗い物の途中で「パパも大腸がんの検査ひっかかってすぐ再検査の予約いれたのよ!」「来週早々検査いくのよっ!」そうキッチンから踊り出てきて話す姿に天に還られる前に自分のお気持でで解消できない事、お伝えになられたい事がおありなんだなぁと思いつつ、叔父たちに助けられる事、助けられない事を咄嗟に考え父に伝えるとすぐに叔父に電話をして伝えており、少しでも結果が出ればなぁと思うと同時に、両親があっさりと猛叔父さんの気持ちを理解しつつ去年からの流れを理解しており余り私を理解していない、というか恐らく初めて触れる世界の話を聞いて下さっているのかいないのか、解りませんが叔父に熱く電話で語る父を見て理解で視界が見えませぬ、と思う程に理解が踊っている様に理解して理解の渦の中でこの瞬間の理解が次の理解の渦に続いていくのを感じ猛叔父さんが色々な意味で私を理解し理解者を増やして下さっているのだと心の井戸の水が震えました。

父のお祝いに用意したあっさりしていて食べ易く、美味しいヨーグルトケーキを楽しみ、母の淹れた飲み慣れたミルクティーを味わい、空白の中にいる亡き叔父の気持ちに思いを馳せ、これから私の出来る事をより考え、深め行動できる事をしなければと思いました。

ヨーグルトケーキはこちらから。

大阪ヨーグルトケーキ | boston

 

boston

 

そしてその次の日。

私の循環を助けてくれいつも支えて下さっている方の縁のベイビーの誕生のお写真を頂け、彼女にそっくりな写真を眺めていると、彼女の昇進の決定が出たとの連絡があり、やっぱり、神さんはおられると

地球という循環の中に縁と共に過ごし生きている。

地球上に留まる魂も浄化されて行く魂も愛と情がある。

絡まり解きたい気持ちを誰かに理解して欲しいと声を上げ、私のもとに何かを切っ掛けに来て下さる。

そして何かのサインを残し、自分の愛を分かる形で示されて浄化されて行く。

いつでもまた、愛を思える何かを残して。

現在進行中の愛の渦の中に私達は存在している。

世の中は新種のウイルスだ、変種だと賑わい暗い影がいつもあるように見えますが、2年前の状況を考えたら、世の中とても明るく変わっていると思うのです。

私に出来る事は出会い、心を開き共に戦い超える選択をして下さる方と新しい人生の風景を共に見せて頂き、戦いの結果を味わい喜び、共に楽しみそののち起きる出来事のひとつひとつをお菓子の缶に集めたキラキラの経験を次の循環に繋げる事。

強くしなる美しい自分を作る事が楽しいと思えるようにすぐ近くで支え見ています。

いつも。

そして思いやりと愛の中にいれば夢が形になりやすく、不思議に夢を叶えてくれる。

私自身、本当に心の底からそう思います。

また近々、ご報告出来る事がありますので次のお話会でお会いするのを楽しみにしています。

写真は猛叔父さんと我が家の縁深い場所、長野県飯田市。

次の世でも、同じ縁で・・・。

 

「 涙 」

泣きたいやうな
かなしいことも
泣くならせめて
ふたりして

ふたりで泣けばかなしいことも
こころに残るおもひいで
消えずにのこるおもひいで
やがてうれしい夢になろ

泣きたいやうな
かなしいことも
泣くならせめて
ふたりして

ふたりで泣けばかなしいことも
泣いているうち忘られる
せめてまぎれてわすられる
涙ふくなよこぼれても

永井荷風 偏奇館吟草より

いつもいつも、ご縁の皆様のこと、祈っています。

そして冒頭は紅ゆずるさんの退団公演『ミュージカルフルコース食聖』から頂きました。

次があるんだ、どんな事にも。

楽しい事、良い経験にしましょうよ、どんな悲しい事も、辛い事も。

いつも、一緒に。


夜明けの来ない夜はないさ、辛さは幸せに続く栞なんだって~寂しくて切なくて苦しくてそして希望があって~

2021年12月22日 | blog

冬の夜空ってどうしてこんなに美しいのでしょう。

我が家からは大阪の風景が一望出来る場所にあり、偶然この場所に出会いこんな所に住めたら素敵だなぁと通りがかりに思っていたら住めた!と言う天からのサプライズにより授かった場所なのですよ。

はい。いつもお世話になっております、みどりでございます、お寒いでございますわよね、皆様。お元気で居て下さっていますか?私はこの秋から冬、伏線の回収が進んでおりまして人生の妙味といいますか私たちはなんのかんの言うて天の神さんの元から産まれ掌でころころと転がされているのだと思う日々を過ごさせて頂いております。

そして産まれて来てこのかた、私に関わり愛と情を持って下さった方の思いを両手いっぱいに感じ、この人に裏切られた、酷い目にあった、と言う所よりも、その状況を見て手を差し伸べて下さった方々の思いを受け取り、奇跡だ、これは!と言える日々を頂いた事に感謝出来る日常を有難く過ごさせて頂いております。

そして、自分の人生の先を考えたのです。

いつも厳しい時間に寄り添い、病と闘う人に温もりをと日々の時間と自分の全精力を使い、また、生活を共にし、人生の立て直しを支え、人生に寄り添い、人生の朝日を浴びられ、努力の結果が出る姿に私はこの人のナニですかと言う程に共に涙し、立て直しが完了すると時にはボロ雑巾のように捨てられたり、もう大丈夫なので連絡は大丈夫です❤みたいに今日からもう他人ですからねと扱われる日常に、立ち止まってしまった日があったのです。

神さん、このままでは私は今生の運命通りに生きられないかも、と。

隣に理解者が住んで下さり、頑張ったら6台駐車出来る場所があり、コンビニが徒歩2分で光が沢山入る窓が沢山ある理想の家に住まわせて頂き、この常世の場所はまさに天啓により出会え、導かれた場所としか言えない大切な奇跡を頂けたので頑張って踏ん張っている、日もあるのですよ。フフ。

奇跡は日々の思いの行動、言動の積み重ねにより起きるものです。

この場所に出会えたのは実は深い事情があっての事だったのですよ。10年経った今だからお話しますね。

それは、以前、鑑定させて頂いていた場所でのお話です。

ここである方から娘を結婚させたいけれどどうしたら良いかとご相談頂いたのです。お世話になった方の娘さんで年齢的にもそろそろ厳しいかな…といった感じだったので周りを見渡したところ、丁度年齢的にも条件的にも良い方がいらっしゃったので、みどりチームの全面バックアップ体制を組み、お見合い大作戦を決行し、あれよあれよとご結婚の方に話が進みましてご縁が整い、華燭の典を挙げられたのでございます。

そして、音沙汰なしだったのでおかしいなと思っていたところ。

こんなお話がご近所で廻っていると当時お手伝いをして下さった方から耳に入ったのです。

お二人はペットを通じて?自然に出会われ、ひと目ぼれに近くお互い結婚を年齢的にも意識されたのですぐお互いの両親を紹介されて結婚されたと。

へぇ!そうなんですかぁ!素晴らしいご縁ですね!

ご近所の方から私自身もこの話を聞いた時にそう相槌を打ちながらも内臓、腎臓辺りから出たグェって声の音は一生忘れないだろうなぁ、本当に。それからというもの、一度連鎖が始まったら玉突きゲームのように、もう一人のお子さんに待望のお子さんを授かられたり、仕事が当たられたりと良かったですねぇ。ねぇ、何ででしょうねぇと言う出来事が一気に降ってこられ、まぁ、真剣に関わり無条件に思う事の大きさを学ばせて頂き、30代だった若かった私は、その場所に留まるのが心底苦しくなったのです。神さんはタダでなんでもしてくれる、お陰はじゃぶじゃぶ消費する、どんどんちょうだい、だけどあなたにはねぇ、良いよねぇ?奇跡は天からやってくるんだから。

まぁ、本当にそうです。真実天からやってくるのですよ。

が、しかし、それを受けて頂く為に考えるきっかけや行動の指針や心の方向性を共に動き道を示すのは私達お使いの役割だと思うのです。

この時もほぼ毎日、待ち構えておられお客さまの鑑定が終わった後にお話をしておりました。それでも日々の動きに確実な手ごたえ、圧を感じ有難い方向に進んでいるのを感じていたのであまり苦には感じていなかったのですが最終的にそれはあまりにも。。。と言う出来事があり、愛着のあった場所でしたがこの場所から遠ざかりたいと思い始めた時に、散歩がてらお食事に来た梅が丘さんの帰りに出ていた看板でこの現在の常世の場所が空き物件であることを知り、次の日に問い合わせをし、一か月に満たない間にこの場所に移って来ました。

ちなみに受け止められなかった事というのは、大事なご縁のお嬢さんでご結婚の事で色々な障害があり時間の掛かったお二人がやっとご両親の承諾を得られ、結婚式を挙げられる同じ日に、先ほどのお見合いをお世話したご家族がぶつけてこられ、結婚式を挙げるから、どちらに行くか選んで?と打診してこられた時に号泣してしまったのです。この長いご縁のお嬢さんの結婚式に、披露宴に行くのは私の夢に見た、心から願った日だったから。

長い年月相談に乗り、人生の荒波を一緒に超えてきた方たったので、その日は勘弁して頂きたいとお願いしたのですが駄目で…。流石に心が折れてしまいましてこの場所を離れたいと神さんにお願いしてしまい姉弟子にも流れを聞いて頂いた所「天啓やな」との事で、それならばと思うが早いか、トントン拍子でこの場所に来たのです。その場所と、そのご結婚を決めれれたご家族とご縁は遠くなりましたが、長いご縁のお二人の結婚式に参列した日の青空と、神社さんの参道での花嫁行列を眺める人々の波、新郎、新婦のお身内のカメラの音、新婦のご家族が私たちに気遣われる声、風の音、鳥の声、空の色、空気の優しさ。全ての思い出が私の宝物です。そして新郎の今は亡きしんどい病気だったお兄様が披露宴の終わりにかけて下さった言葉「あんたはほんまにええ人や」の声の波動。

あの結婚式の一日も伏線回収の激しい日だったなぁ。今、その大事なお嬢さんだった彼女は小学生のママ。

お坊ちゃんの運動会の動画やなんやを折に触れ送ってくれるのですが、彼女と初めて会った日の事、素直にここに行って手を合わせて来てほしいとお願いしたらすぐに調べてバスを乗り継ぎ、お花とお墓の掃除道具を背負って足を運んでくれた結果であった過去世の深い縁の方と出会い、深すぎる事情に絶句しながらも今世の障害がそれならば越えられるとお二人で頑張って頑張ってこえられた今の幸せなのだといつも幸せでいて欲しいと祈っております。いつも幸せを知らせてくれてありがとう、Kちゃん。

そーなんですよ。課題の消化だとか、心を昇華させるとか言いますよね。

本当に突然の魔法なんて無いのです。あるとしたらここに真実があると教えて下さる時の奇跡。

そしてもう一つ。

自分の思いが至った時、周りの思いの愛情が合致した時にも奇跡は起きてきた。

今の常世の場所もそう。暖かな結婚式の一日もそう。

去年の私の帰天からの地上への逆戻り?もそう。

ICUの小部屋で両親と廣瀬が主治医の先生にもう出来る事がない、ご家族で呼びかけてあげて下さいとのお話に、母が絶叫して「あの子は人の役に立つ事だけしかしていない、今死ぬ訳ない」と言い放った話を廣瀬に聞いた時…。父が兄に私の状態の話をした時の対応に「みどり、もう兄と思うな、あの男は獣以下や」と私に話してくれた時、神さんが私にこの出来事を通じて産まれて来て初めて父と母に埋めて欲しかった心を埋めて貰えたような気がしたのです。それほど私は乾いていたのです。奇跡やそれに伴う日常、愛を溢れさせる時間や喜び、成長の痛みを私が共に受けるのは当然と受け流す人々に苦しんでいました。キリストも釈迦もいうてるんやから、先達も皆さん言うておられるんだから私も耐えなければと。最善で最良は愛の先にあると。

だけど愛って美味しいからみんな、貪るのですよ。

愛に浸るより、美味しい所を食べてもっと美味しい物をくれる人が居るのではと探し出すのです。

そしてまた、そこでも貪りポイするか不満が出るか、気づくか。

みんなワルイ子じゃない。知らないんだと思う事が重なり自分が出来る事、手を取れる事をただただ頑張ろうと思っていた矢先に、命の最果てがやってきてしまいました。

そこでまたこの世に還ってきた事で自分も大事にしなければ、もっと人を大事に出来ない、愛せないと思えたのです。

うつ、アルコール中毒、トラウマの後遺症に苦しむ人と生活、日常を共にして自分を置いて生きても喉元過ぎれば全てが無なのです。超えれば私はもう要らない人。面倒な人。

病気が奇跡的に治れば薬のお陰。病院のお陰。私は愚痴を聞いてくれた人。寂しい時にお節介してくれた人。

そりゃ魂が帰りたいよー、神さんとこ帰りたいよーって思うよねって。愛しかない人達の所に居たいって。

正直、退院してしばらく、あの世だったらしい場所の事で頭がいっぱいでこれはいけない、この世の楽しい事考えなきゃまた…と思ったのですが世はコロナ禍真っ最中でテレビも暗くなる画面ばかりで落ち込み。。。ましたが激ハマりしている大好きなアノ方の録画やブルーレイをみて救われました。ファンレターもハイペースで書いてましたね。あの頃…。

お別れをちゃんと言うために戻って来られたのかなと言うには長い時間この世に居るな・・・と思い始めた去年の夏、いかん、この世が楽しかったと納得する為にもう少し鑑定の体制を整えようとトゥキョウのその筋で偉い実績をお持ちの方に相談し鑑定の体裁を代えさせて頂きました。

生活出来る範囲、自分を整えられる範囲で沢山の方にお会いし視るのはもう経験的にも年齢的にも身体が付いてこない事に気づき、視る深さや状況、角度や変える力の違い、状況を変え、状況を作る労力にも3次元の力を加えて差し上げる事にも価値がある事を教えて下さった長いご縁のお客様のご意見もあり、全てを去年の冬に一新させて頂いたのです。

そして一年がたち、本当に変えさせて頂いて良かったと感謝しております。

何か良い事起きるから、とか、元気貰えるから、とかで来られる方も居られるのですがご自身でも真剣に考えて下さる方が確実に増えた、なと。そして動き、天から降りる糸を恐れる事無く手を取られ一緒に考え歩いて下さる方も。

そして、新しい自分を構築しはじめ馴染み始めた時に起きた前回のブログの記事にも書いた私の幼い頃から未来を案じて下さった伯父の思いを与えられた事。その思いの味わい、想像して下さった通り苦難を味わってはいますがその苦難を共に背負いたいと努力して下さる方々に出会えた事は、今生の何よりの宝です。有難うございます、いつも。

伏線の回収の中、愛を受け取るって自然すぎて、大きすぎて気づかないもんだな、ほんとに。意識して感謝して循環させないと滞るなぁと思っていた矢先に起きた先日のあの悲しすぎる出来事・・・。

彼女のママと呼ばれる時の色々な表情、笑顔…。ママの親友のモト冬樹さんを呼ぶ時の安心しきった笑顔。

いつもママと行き違う姿を見てどちらの気持ちもわかるなぁ、辛いなぁと祈っていました。

だってママは宇宙一のアイドルだもんね。

感受性の強い繊細な表現者としては本当にやりきれない時代に産まれたよね、辛いよねと手を合わさせて頂く事しか出来ませんでした。彼女がただのお嬢様なら違う生き方もあっただろうに…。

もっと図太く大胆に生きる事を私なら勧めたなぁ。K田Uのさんみたいな感じかなぁ。

あなた、宇宙一のアイドルと日本ミュージカル界の至宝のWママに育てられた存在なんだからと。

いじめられたり、気持ちを踏みにじられたらアイドルママ自慢と大門軍団のパパ自慢でお返しだっ!

適わないんだから・・・さ。

そして愛してくれる人に甘えて溶けて、舞台で喝采を浴びて。

今、一番親御さんに味わい難い愛情を受けておられる。

N目雅子さんの姪御さんやM岡修造さんのお嬢様が入団されているアノ劇団に入っておられたらもしかすると…自分の表現の仕方を少女の頃から学べ、同じような環境を与えられ生きておられる方と縁を持たれて…等いろいろ思う所はあるのですが、心を刺す冷たい空気に真っ白な雪が舞い、大好きな劇場が目の前で憧れの役を演じているの最中かぁ。私が彼女で神さんに触れていない人生なら…と思ってしまいました。この世ではもう彼女は得るもの、豊かに思える事がもう無かったのかなぁ。

きっと心が動くのはママの声で名前を呼ばれる時、合言葉を言われる時なんだろうなぁ、パパに連絡しよう、会いに行こうとスマホを探す時にもあれ?と思うんだろうなぁ。そして沢山の肉親、縁者に来世の道を教えられ、ママのファンやご自身の先に帰られたファンに導かれて帰るんだろうなぁ。

その前に苦しい場所を通るのでしょうが、きっと大声でママの声で誰かが呼んでくれる。きっと。

私の声の聞こえる所に来なさいって。返事をしなさいって。

彼女の訃報を聞いてから、自分自身も幼い頃から何度も何故産まれて来てしまったのか、どうして苦しい事ばかり味わうのだろうかと悩んでこの世から逃げる事を考えたこともありましたが、地上と天界のしくみや神さんの世界がある事を知り生き方を学び、自分を修める事を知り、経験を積み重ね、奪われる事、取られる事で傷つくけどまた、その傷から得られ頂く事を学び、本当の生きるという事を学ばせて頂いています。

美しい物だけでは学べないのです。この世って。

この出来事で本当に悲しく寂しい気持ちを味わっておられる方がおられると思うとお一人でも寄り添いたい、共振し、上昇し、味わう一瞬一瞬を眺めたいと思い、色々考えています。

ミニリーディングと瞑想とヒーリングをリピーターの方に喜捨でやろうかなぁと。

またメール、line等でお知らせさせて頂きますのでお声かけ下さいね。

どんな出来事もいつか思い出に変わる。

大事な人生の風景の一瞬になっていく。

 

自分の人生に自分で終わりを告げるのは本当に罪深い事。

神さんにお詫びして先祖さんにもお詫びして

また新しい人生を頂けるように一生懸命人生を考えて

終わってみたらあれも愛だったこれも愛だったって思えるのだから

嘘つきの口だけの愛を語るやつなんて祟ってしまえっ(ダメだってばっ💦)

そして心から愛して時間を使い、心を使ってくれた人と愛し愛される時間を楽しんで。

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松田聖子&神田沙也加 いくつの夜明けを数えたら

2010年カウントダウンライブ 著作権者:UMG 転載はご遠慮願います。未经作者授权,禁止转载。 この動画に広告が表示されておりますが、収益...

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さぁみなさん、今年も色々な事でこの世は動いておりました。そして地上の私たちに生きる素晴らしさ、温かさ、そして表面の愛の冷たさを教えてくれた2021年だったように思います。

一瞬が重なり今があり思いが重なり人生になっていく。

色々な事に傷つきあらゆる所に助けを求めても答えがあるのは自分の中なのです。

共振させる人、自分のヴェールを共に手を取る存在を探したいと仰る方に出会い、違う自分を探され着地されるお手伝いが出来るのをこれからも楽しみにしております。

皆様が幸せな2022を迎えられること、想像しお祈りしております。

今年ご縁を頂いた皆様に、どんな時も皆様の笑顔を思い出し祈っております。

本当に有難うございました。また、お手紙、lineやメール等お待ちしておりますね。

私は皆様にお会い出来ることが生き甲斐で幸せです。

いつも。

   2021年 12月

                      みどり。


叔父さんに桃色片思い~ちらちらって目があえば胸がきゅるるんから色々あってLOVE涙色まで~

2021年11月26日 | blog

11月も終わりでございます、寒いでございますわね、ご縁の皆様

こたつを出し、ストーブを出しましてヌクヌクと暖を取り、ツイッターではご報告しましたがひょんなことからやってきたほぼ55インチのテレビで秋ドラマを楽しみ、幼い時から大好きな某歌劇団のCS放送を嗜ませて頂きながらこの秋を過ごさせて頂いております。

ほぼ50インチの我が家のテレビがなぜかレコーダーの接触不良ということで不調で、某歌劇団の某妖精にハマり某妖精の録画を取りだめ、部屋で某妖精のお舞いになるお姿、お歌いになるお姿を見せて頂く事でエネルギーを廻す事を覚えた私は録画が見れないという事にむせび泣き食事もとる事が出来なくはない、位に落ち込んでいたのでございます。その某妖精でさえ、私にとってまさかの課題の一部だった、というオチでございますがこれはインターネットには書けない事なのでお会いした時にお聞きください、ませませ。

人生なんて思うようになんてならない。

生きていて楽しい日が人生数日あるかないか、本当はそんなものだと最近とみに思うのです。

はい。突然どうしたでございますよね?なんですかね、人生は楽しい事で溢れている、私もそう思いますがそれは超豪華な旅行に行ったとか、しつらいも素晴らしくてお味も良いレストランに行ったとか、思い通りの背格好であるとか。素晴らしい仕事をしている、とか。長い人生で必要な事、大事な思い出ではあるけれど長い意味ではあまり意味が無いのかもしれない、そう思うのです。ここで私が呟いていてどれだけの方の胸に落ちるのかは分かりませんが、続くお話の中で必要な事なので、ここはひとつ、読んで頂ければと思います。

前回のブログの続きでございます、もしまだ読んで頂けていないお友達、ご縁の方はぜひ、読んで頂ければと思います。超長文ですがこちらになります。

君は薔薇より美しい、私、そう思うよ~目に見えない翼拡げて静かに君は変わった~ - 洗心庵 霊能 常世/霊能師・みどり公式ブログ

そして叔父のお話なのでございますけれど。

叔父の家に出向き、驚愕の事実を知る、の巻きをお送りしたいのですがこれがですよ…。実はあの日からまた進展がありまして…。叔父、伝えたかった事があったようで暫く滞在しておりました💦

それは自宅前の線路が複線化されるようで現在工事中なのですがどうやら無人の筈の叔父の家に工事の車やなんやらを現在の持ち主の方の了承を得ているのかいないのか知りませんが、バイクや車がドドドドーンとおかれており、大事なお庭のエントランスにも資材がドドドーンと…。

これは偶然、さとみさんと滋賀の日吉大社のライトアップに参らせて頂いた際に、帰りにいつも行く宇治のカフェ、ドトール珈琲農園に出向き、そこで叔父の話になり、と、なると行ってみていいかな?と車で15分程の伏見の叔父の家に様子を見に行ったのでございます。するとどうでしょう。夜9時すぎでしたが電気が煌々と焚かれた叔父の家の前で大掛かりなロープが張り巡らされ沢山のガードマンが通行止めの迂回を誘導しており、寒い中光る指示棒?警備棒?を振り地域の安全を守っておられました。

なる程・・・。ここより今の場所の方がご供養も足りているし良いご住職に護られているって事を知らせてくれた・・・のと同時に「もう一つの人生」を選ばなかったわが一族にどちらを選んでいても与えられる試練や課題の重さは同じで大変なものなのだと叔父が教えてくれたと胸に落ちたのです。

そして心に残る印象深い出来事は来世に続く愛された証なのだと。

お金で愛情は買えない事、思いは買えない事を叔父家族は知っていたのでしょう。心から出る笑顔や優しさがどれだけ自分を豊かにし、幸せにするかを知っていたのでしょう。

今、私も本当に心から思うのです。思いと言葉と行動が人を幸せにすると。

叔父はあまりお話をしないし、庭いじりが大好きでDIYが大好きで作業場を作って何かしらを作っていた人でしたが、私に大事な思い出を残してくれているのです。

まだ3歳位の時でしょうか、父の車に乗り、叔父の家から自宅に帰る時に見送ってくれていた叔父が私の乗っていた側の車のドアを閉めてくれたのですが、私の手が挟まってしまって火が付いたように私が泣いたのです、いや、そんなところに手を置いていた私も悪いのです、本当にごめんなさい、猛おじさん…。

そして叔母秀さんに「猛、ちょっと何しているの」と怒っている叔母の声を聞きながら声には出しておられないけれど「本当にどうしよう、どうしよう」と動揺しながら泣く私を見ていた叔父の顔が今でも忘れられないのです。あぁ、私は大事に思われていたのだな、愛されていたのだなって・・・。

人生であんな思いの沢山入った目で私を見てくれたのはあの叔父の目以来かも…とも思える目でした。

あ、違う、母方の祖父が入院した日に私を見送ってくれていた時の目もあんな目だったな。

この二人に共通しているのは戦争に行っている事、そして私をとても大事に思ってくれていた事。

この叔父、今気づいたのですがきっと私と同じ心の鏡を持っていたのですよね。

父であるやっちゃんの家族の未来、みどりちゃんの未来を見ていたのでしょうね、きっと。だからこの心、性質だから金銭的には苦労のないようにと思うと共に、やっちゃんとやっちゃん家族の未来を共に近いところで生きたかったから養女のお話を下さったのではないかと。。。実際兄は本当にキラキラとした人生で商社マンとして人生を謳歌し娘はキー局のテレビ局に就職と文句ない人生ですわ、本当に。

でもね、私にはそんなキラキラした人生は無いしお人に話せるような豪華な思い出はないけれど、巫女みどりにならせて頂いてから沢山の人の幸せに関わってきました。同じだけ悲しみにも関わってきました。

そして人生の闇に対峙し戦わなければいけない時にのみ、大きな決断の時にのみ近づき神の名に縋り、神の名を汚す人間にも出会いました。

が、しかし。

どんな時も神さんは私のお願いを聞き叶えて下さっている。

私を一人にしないで欲しい、いつも思いのある環境に置いて欲しい。

そして奇跡というものを味合わせて欲しいと。

勿論積み上げた上に起きる奇跡で急にお金が降ってくる、とかではないですよ。

これからも私に必要なご縁と喜びと苦難を神さんは与えて下さる。そして苦難の道を支えてくれるお供を与えて下さっている。

あの日の叔父の手を詰めて痛がる私への心配と泣いている姿が可愛いと思っているけれど口に出せない顔、そして入院した日に喉を切開して声が出ないのに病院の下まで見送るとメモに大きく何度も書き、車いすを用意してくれとナースコールを押す祖父の顔。

そして今、強く私を大事に思ってくれている人々の顔…。

これ、死を意識したりすると強く浮かぶのです。

去年の入院の時、ICUで看護師さんに「みどりさん、ゼリーだけでも食べよう、みんな美味しいっていうゼリーがあるの、きっとみどりさんも美味しいと思う!」と言って下さった時の涙を浮かべた下さった方の顔も最近よく浮かびます。

でも芯になっているのは口に出せないけれど心から大事と思ってくれている叔父や祖父の顔。

勿論、今回は出てこない父方祖母の母方祖母のあの顔この顔も・・・。

どうぞまだ存命の父がこの叔父の思い描いていた人生を少しでも生きられますように。

人生の喜びがこれからの人生に積み重ねられますように。

天に還った時、父の一族、叔父の一族と賑やかに過ごせるような私も学び深い人生でありますように。

そして。

お友達同士でお出で頂く方がお互い理解されて若い時から一緒に生きて来られたのだなと思う光、オーラを出しておられるのを見せて頂くととても嬉しいし私もお友達になったような気持ちになります。

天で選ばれたタイミングで私たちはお会いしているのですね、いつもお二人の笑顔を思い出しています。

反対に。

お友達は楽しそうに見えているけれど、そのお友達だって本当は深い悩みがあるかもしれません。人は誰でも楽しい事も辛い事もあるのだから。やっかみひがみ、それも神さんが私たちに与えられた愛の表現思いの表現なのかもしれません。だから手放した方が良い感情は手放して心軽く生きていきましょうよ。一緒に。

お話会で霊的なお話に慣れておられない方に、長くご縁を頂き参加して下さっている方が該当者の方に優しく

「お話、あなたのお家のわんこの話になっていますよ」

「さっきのお話、もしかしてあなたのお話ではない?もう一度聞いてみたら?」

等と話しかけて下さっているのを見た時もとても嬉しかったです。

私が来世に持っていく大事な思い出です、いつもありがとうございます。

本当にありがとうございます。

私たちのまだ行きついていない幸せを知り、想像し導こうという魂、先祖が誰にもいる。

私たちの姿を見守る存在がある。私もご縁のあなたの事を心から想像して祈っています。いつも。

 


君は薔薇より美しい、私、そう思うよ~目に見えない翼拡げて静かに君は変わった~

2021年11月07日 | blog

今年の季節の移り変わりについていけないなぁ。

例年だと9月か10月にはキンモクセイの香りが漂い、紅葉に向けて街の空気が変わる、そんな雰囲気なのに、今年は秋の気配が遅く、キンモクセイの香りだぁ、と思うと同時にすでに寒い、がやってきた。そんな感じでございますね。みなさま、お元気でいらっしゃいますか?みどりでござぃます。

11月のテーマソング、君は薔薇より美しい、お送りさせて頂きます

君は薔薇より美しい / 布施明(1979) - YouTube

今夜も素敵な布施明さんですの司会の方の声が素敵。

いつも頑張っているお母さんへ。その姿は薔薇より美しいです。

薔薇の香りが周りを癒し新しい状況を作ってくれますよう支えさせて頂きます。

季節は秋。食欲の秋を楽しむには少し歳を重ねてしまった訳でございますが、美味しいお肉を目の前に胃の重さを感じて3枚食べれたら良しとしよう、等と思いつつ6枚食べてしまう、そんな秋を過ごさせて頂いております。年齢を重ねると言いますが、本当の意味で年齢を重ねるってなんと深い言葉なのだと唸り、某城には怨念の霊が城を取り巻いているだの、ナニナニ川添いには逃げ遅れた魂が助けを求めて彷徨っているだの、私の幼い頃にはお昼の番組やゴールデンタイムに堂々とTVショーで放送していたのでございますわ。今の怖い話系のTVってお風呂で表す所なら観光地の足湯みたいなもので今一つ信ぴょう性に欠けていて入り込めないのですよね。

と、そんなピンポンパン世代の頑張らなくちゃエイジのご縁の皆様に本日ご紹介したいお話は正に°˖✧常世巫女みどりグランドロマン二幕二六場の開演でございます°˖✧と言わせて下さい、的な産まれ落ちる前から決まっていた筈?の人生から少しづつ逸れ、次の世代に因縁が繋がり夫々の人生に光になり、陰になり形作る様を文字から感じて頂き「本当に怖いのは生きている人間」その先にある意味を受け取って頂ければと思います。

そしてここでピンポンパン体操をご紹介させて下さい。

ピンポンパン体操

 

youtube#video

 

体操ありがとう、体操ありがとう、みんなでいいましょ、アリガトウゴザイマスーーーッツ。

カエルになりましょ、大蛇になりましょ、カラスになりましょ。

そして最後はやっぱりアリガトウゴザイマスーッーーッ。

霊能師としでの最終形態、理想郷、ジパングですわ。

何が起きてもアリガトウゴザイマースッ。

奇跡と共に歩むには令和の時代は私達には厳しすぎたのでございます。

何でも偶然、科学万能。医学の発展。そして祈りと因縁解除のすべてが調和して奇跡だと思うのですけれど。

でもね、信じて下さり繋がって下さる方の中で万分の一の奇跡は起き続けている。

いつも。

だから同じお役割の皆様、一緒に花も泉も枯れ果てても伝え続けたいです。

恨みと憎しみの現象の裏にあるもの、因縁とは愛の反転であることを。

そんなこんなで。本題へ参らせて頂きます🌸

今年の9月のお話なのでございます。

夢の中で父の叔父にあたる猛叔父さんなる方が出て来られたのです。

笑顔でお洒落なセーターを着て、生活していない部屋を掃除しないといけないよと珈琲を手で挽きながらお話をしつつ夢の中で私の家兼なんらかのお店、恐らくみるくほぅる(少しの間させて頂いていたミラクルなカフェ)だったと思うのですがそのお店のソファで常連のおじ様、お兄様たちに混じりお話されている夢を見たのでございます。私は叔父です、と常連さんに紹介しながら叔父の淹れる珈琲のお客さんになっていた。そんな夢だったのです。そしていい感じだなぁ、と目が覚める瞬間にこれは何かお伝えになられたい事があるのだなと思い、そういえば忙しさにかまけて叔父叔母のお墓参りに行っていない事に気が付き、目がしっかり覚めたタイミングですぐに実家の母に連絡をして叔父のお墓に参りたい、実はカクカクシカジカなんだと伝えてみたのです。すると超3次元の母から不思議ぃ、すぐ事情の分かりそうな親戚に連絡するぅ、との返信がありお墓の場所を教えて頂き「皆さん相続も滞りなく済まされてあんじょうしてはるみたいよ」と。ふーん。あんじょう、ねぇ。なんか引っかかるなぁと思いながらも、日程を合わせ母とお祀りして下さっているお寺さんに足を運ばせて頂いたのです。

伏見稲荷さんに近いお寺さんと言うことでお昼を母と同行してくれた廣瀬と3人で伏見稲荷の老舗祢ざねやさんでうなぎ丼と肝吸いの定食を頂きました。控えめに表現して焼き加減味付け最高でしたっ。

http://www.fusimi-inari.com/?p=154

そして秋のしっとりとした柔らかい空気と幼い時に育った伏見の懐かしい空気、叔父叔母の思い出に押されながら初めて参らせて頂くお寺さん、伏見のご縁のお客様、そして叔父叔母の思いを受け取り伝えたいから教えて下さいねと祈りつつ歩いていると、広大な墓地が目の前にっ!これは大変な事になったなと山の斜面全体がお墓でどうもお寺ごとにエリアが分かれているっぽいけれどここで波長を合わせたら倒れてしまうと思い、母にお寺に電話して叔父さんのお名前を言って場所を教えて貰って欲しいと話して休んでいると連絡がつき、お寺に来てください、お祀りしている場所をお教えしますということでお寺さんへ。

するとでございますよ。しーんとした澄んだ空気の中にご住職さんが待って居て下さり、お寺のお世話をされている方に場所をお伝えになられ奥に消えて行かれたのです。

お庭が綺麗に整えられている姿を望む本堂を超え、お連れ頂いたのがまさかの納骨堂だったのです。

あの、駅前の300坪以上の土地を持ち薔薇を育て大きな栗の木があり池のあったお家の叔父叔母が。

納骨堂に入っておられる・・・。

お子さんがおられないご夫婦だったので仕方がないという考え方も勿論あるのですがあの大きなお家を相続された方、せめて何か他に方法は無かったのかと心を落とし、遺骨の場所を見つけたいと肉の目で探しているとオビタダシイ数の仏さんの数にこれをひとつづつ確認していたら倒れると思いつつ、真ん中におられる弘法大師さんに「私は猛さんと秀さんの姪です、今日は恥ずかしながら初めてお参りさせて頂きます、おじとおばにお繋ぎ頂きたいのです、私の心が正しければ教えてください」とお願いしつつ見回していると旧字体で苗字とお名前が記されている骨壺が並んで目の前に°˖✧✧˖

ジーザースと思いつつ母と廣瀬に叔父さんと叔母さんと叔父さんのお母さん見つけたと声をかけると、母がアイフォンのカメラを立ち上げ、パシャパシャ記念撮影をしだし羨ましい程の3次元的感性だと思い他の仏様に申し訳ない旨をお伝えしたところ、こちらのお寺のご供養が足りておられるようで「ごゆっくり」との言葉に安心し、母と廣瀬とお線香、お花を差し上げているとお寺のお世話をしておられる方が様子を見に来て下さり「お住さんがお困りではないかとお声かけてあげてとの事で」と納骨堂まで様子を見に来て下さったのです。

丁度今、叔父たちを見つけた所です、ありがとうございますとご挨拶させて頂いた所、もし何かお住さんにお聞きしたい事がおありなら、お電話頂けたらお時間調整出来ますよとの有難いお申し出にではまたよろしくお願いしますとお話し、これはまだ続きがあるなと考えながら納骨堂を後にしお庭をみながら歩いていると母が、折角だから、叔父さんの家を見て帰らない?と。

このお寺からクルマで10分位の場所に大好きな叔父の家があるのです。

小さい頃に祖父、祖母が住んでいたお家。

この家は叔父の家だったのですが叔父の妻にあたる叔母、秀さんが私の父の母、私からみて祖母と仲の良いいとこ同士で、叔父と叔母に乞われて祖父である勲一家が同居していたのです。

この勲一家の四男であるのが私の父であるやっちゃんなのでございます。

祖父である勲さんの一家は一姫五太郎で兄弟も程よく年が離れており一姫である叔母は当時外交官の妻として海外赴任に同行し日本人の常識で超えられない海外の常識を奥歯を食いしばり耐えた話でお馴染み、といったソフィスケイトな人生を歩み、父の兄弟たちもそれなりの方も、それなりでない気味の方もおられる感じでございますが皆さんお人に迷惑を掛ける事もなくお家を構え家族をやしなっておられるので良しとしましょう、といった感じです。

そして叔父猛さんは祖父勲一家を呼びよせ同居する時恐らく心に決めていたのでしょう。

「男の子を養子に欲しい」と。

実際、父は叔父夫婦に養子に来てくれないかと何度か言われていたそうですが頑として母である祖母はるさんが首を縦に振らなかったそうです。

そして猛叔父さんがいつも話していた事を幼さない時に聞いていて、思い出すのが「やっちゃんは優しいからなぁ」なのです。叔父夫妻、本当に父を息子にしたかったのだと思います。そして時は流れ、やっちゃんは奥さんを貰い、家族を持つのです。そこで産まれたのが兄、ヒコちゃんと私、みどりちゃんです。

愛嬌のヒコちゃん、優しいみどりちゃんとして祖母はるさんにやっちゃんの子供たちは溺愛されて育ち、祖父勲さんが天寿を全うした頃、猛さん夫妻はやっちゃん夫妻に言うのです。

この家に一緒に住まないかと。

父、やっちゃん妻せっちゃんにお伺いを立てると即答されます。

「私は財産より自由を取ります。嫌。」と。

もうっ、この時実は現在JRの駅がある場所の目の前にある叔父の持ものも含む土地が打ち出の小槌である事がほんのり地域の住人達に広がり始めていた時期だったのにも関わらず、母は即座にお断りするのでございます。

そして父やっちゃんは自分の家を建て、家族と祖母はるさんとの生活を育むのです。

父が興した会社も苦労と努力の花と実が溢れてその実を楽しむ生活を送らせて頂いていたみどり15歳の春。みどりの心にアラフィフになる今でも心に刺さる事件が起きるのでございます。

「みどりちゃんの高校の支度、うちでさせてくれないか」と。

高校は正直パッとしようのない凡な所しか引っかからず、パッとしがちな勲一族にとって恥ずかしい人、それがみどり、そんな感じで高校入学を喜んでくれたのは母方の大祖父元軍医、のち町の医者になった順造さんと後妻の某教団の巫女さんであった松枝さんだけで、比較的、いや、本人史上最高に寒々しい生活を送っていた私は叔父夫妻の入学のお祝いをするからとお家に招いて下さり、ご馳走を用意して待っていて下さった事がとても嬉しかったのです。

そして近所のお魚やさんでお願いして下さった立派な鯛のお刺身やお寿司に動揺している時に叔母が重い口を開いたのですよね。

「みどりちゃん、うちの子に欲しいんやけど、どうかなと猛と言うてるの。」と。

実はお刺身やお魚系のお寿司が苦手でお魚系で食べれるのがツナサラダだけの私にとってこのお祝いのお膳を笑顔でありがとうございます、頂きますというのはなかなかの試練だったのでこのご提案に頭が付いてこず、反応が出来なかったのを覚えています。

そして母の「あー、みどりですか、無理無理、この子にはそんなの無理」

という言葉がまさに宙に舞ったのと、蛍光灯の明かりの色を今でも鮮明に覚えています。

叔父さんと叔母さんのでも。。。という思いもぐるぐると廻っていたのも。

そして時は過ぎて令和3年、秋の日差しの入る納骨堂にいる叔父叔母、叔父母の形をみて心が揺れ動き、私が養子に入っていれば、あのお家をこうして、ああして、父と父の兄弟とこうしてああして、そして叔父と叔母さん達にはこんなご供養をしてさしあげて、と想像が溢れ、父やっちゃんの幼い時を叔父叔母が見ていてこの子が欲しいと思われていた事、幼い私の中にやっちゃんを見つけておられた事、恐らく祖母はるさんには相談を持ち掛けていたのかもと、そういえばよく一緒に叔父叔母の家に祖母はるさんと遊びに行っていた事、私の大好きなプリンをいつも作って待っていて下さった事、大きな箱にいれてお土産に持たせて頂いていた事を思い出し、有ったかもしれないもう一つの人生に思いを馳せ、最終着地点は私が生きている間、叔父夫妻を思い続けるし手も合わすし祈るし話すし、報告するし、掛けて下さった思いを大事にします、いつかあの世でお会いした時にお礼を言いたいし、次の世では近い存在で生まれて来たい、そんな思いの着地点です。

 

長くなりました。このお話には続きがあります。

みどりとみどり母、廣瀬と叔父家に行きなるほどの事実を知る、の巻きです。

宜しければまた、読みに来てくださいね。

経験から学び、生かし、美しい縁の誰かの人生に昇華させ花開く姿を見守るのが私の人生です。

どうぞご縁の方の希望の一つに私たちの縁がありますようにと今日も祈り励みます。

それでは皆様、寒くなりますが無理はちょっとだけにして下さいね。

あなたが心配や不安で泣いている時、私も泣いている。

どうしてあげたら笑うのか、いつも考えています。