☆物語の冒頭で、主人公の杏奈が自分の境遇を、「輪の外の人間だ」と呟く。
社会との疎外感を、やや外界への敵愾心さえ持って生きている女の子。
だが、結論から言うと、彼女が、輪の内外ではなく、もっとぶっとい「輪」、杏奈がそのものを構成するマスターピースの一つであったことが分かる物語。
監督は、米林宏昌で、ジブリ作品では近年稀な「まとまった作品」の『借りぐらしのアリエッティ』を作っている。
『アリエッティ』は、脚本が宮崎駿だからこそ爆発的に良い点もあったが、今回は、脚本も米林監督で、より完成度が高まっている。
予告編の印象では、杏奈が喘息の療養先の海辺の入江の豪邸を眺めつつ知り合う美しい少女マーニーが、実は、孤独な杏奈の作り出した幻想の少女、ってのが物語のオチだと思っていた。
私は、原作本を知らないので・・・。
幻想の世界に没入していく杏奈は、あたかも『トトロ』や『千と千尋』のようで、つくづく、ジブリは異界に誘われる少女の話が好きだなと思ったものだ。
それだけでなく、いろんな箇所で、米林監督は、これまでのジブリ作品のイメージを踏襲していく。
かのように見えた。
が、杏奈は、異世界に入っていくだけではなかった。
作中で、示される宮崎アニメ特有の重力も、例えば、杏奈が一人でボートに乗り込んだときの慣性の数々に代表されるように、小規模にリアルに表現される。
重力と言うのは、丹念に描くと、空を滑空するというような派手なものでなくても、観る者を心地よくさせることを示してくれている。
米林監督は、必ずしも、模倣だけでとどまっていない監督なのだ。
杏奈は、それでも、自分の周囲の者への可能性を信じている気配がある。
冒頭の、自分の描いた絵を見てくれようとする先生や、お祭りに向かう中で、自分に興味を持っているような現地の子らに、頬をあからめて接しようとする。
が、そのたびに、邪魔が入る。
余談だが、ここで面白いのが、祭りの前に、杏奈が現地の子の質問に答えようとして、邪魔が入るのだが、その時、ちょうど、杏奈の前をいく別の現地の子らが、別のお喋りをしている会話が聞こえるのだが、そこで「なんで同じことを繰り返すかなぁ」とか言っているのだ。
アニメと言うのは、画面の隅々まで、人の意志が及ぶ、脚本もそう。
だから、「杏奈が外界に踏み出そうとすると入る邪魔」が繰り返された時、そこで「なんで同じことを繰り返すかなぁ」とのセリフが出てきたかを考えると、米林監督の無意識が読み込めるのである。
細かいことだが、これは確かだと思う^^;
さて、マーニーについてだが、あんまし書くとネタバレになってしまうで、あんまし書かないが、金髪碧眼の美少女である。
夢見がちな中二病患者ならば、誰もが一度は思い描く、「自分だけのために塔にとらわれたお姫様」だ^^
ただ、私は、物語の初めから、杏奈のほうが美少女だぞと思っていた。
それは、私がショートカットの娘が好きなのとは関係なく、マーニーよりも杏奈のほうがシャープな顔立ちだからだ。
私は変態なので、杏奈の、ちょいとずるっとしたカラー部から覗ける、年齢を考えるとブラ、だが、その太さを考えるとスポーツブラ・・・、のストラップが始終見えているだけでグッとくるのだ。
マーニーよりも杏奈のほうが美形、それは、ちょいと物語の持つ流れを考えると失敗じゃないか・・・? と思いきや、それさえも、真相を知ると合点がいき、
幼少時の、両親がなくなり、引き取り手のない杏奈が胸に抱いている人形がマーニーそっくりであることも、ミスディレクションと分かるのだ。
もっとも、杏奈の性格は、「エヴァンゲリオン」のシンジ君的でもあるので、美形であっても、すぐには魅かれない。
また、考えようによっては、マーニーは、形式化された「まど☆マギ」の暁美ほむらの、より物語的に洗練された形ともいえる。
(2014/07/19)