私はJICA(独立行政法人国際協力機構)シニア海外ボランティアとして2008年9月から2年間を、中米のカリブ海の楽園ドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴで過ごした。
スペイン語圏でしかも日本ではなじみの少ない小国である。赴任までの私のドミニカ共和国の知識は、野球の盛んな国、ミスワールドを輩出した美人が多い国、人の数の3倍もの銃が出回っている国、こんな錯綜した予備知識しか持ち合わせていなかった。
もうひとつ、世界遺産に選定された地域が首都のサント・ドミンゴにある。それは、アメリカ大陸発見の功労者コロンブスが発見到着し、以後3回にわたって大西洋を航海し、植民地施策を推し進めるため最初に作った都市である。
そしてこの地域は1983年世界遺産の選定を受ける。文化遺産である「植民都市」は今なお復元中である。
日本になじみの薄いドミニカ共和国のことを少しでも知ってもらいたい、そんな思いから書きもの「コロンブスの終の棲家 ドミニカ共和国」としてまとめた。
内容は、私が赴任中に財団法人滋賀県建築士会の月刊紙「家」に毎月寄稿した記事及び滋賀県国際協会へ寄稿したもの等に若干の修正や加筆をしたものを基本にまとめたものである。
スペイン語圏でしかも日本ではなじみの少ない小国である。赴任までの私のドミニカ共和国の知識は、野球の盛んな国、ミスワールドを輩出した美人が多い国、人の数の3倍もの銃が出回っている国、こんな錯綜した予備知識しか持ち合わせていなかった。
もうひとつ、世界遺産に選定された地域が首都のサント・ドミンゴにある。それは、アメリカ大陸発見の功労者コロンブスが発見到着し、以後3回にわたって大西洋を航海し、植民地施策を推し進めるため最初に作った都市である。
そしてこの地域は1983年世界遺産の選定を受ける。文化遺産である「植民都市」は今なお復元中である。
日本になじみの薄いドミニカ共和国のことを少しでも知ってもらいたい、そんな思いから書きもの「コロンブスの終の棲家 ドミニカ共和国」としてまとめた。
内容は、私が赴任中に財団法人滋賀県建築士会の月刊紙「家」に毎月寄稿した記事及び滋賀県国際協会へ寄稿したもの等に若干の修正や加筆をしたものを基本にまとめたものである。
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