ドミニカ共和国時代の同志はもうほとんど70歳以上となった。JICAボランティアにもどうやら定年というか、お務めできない年齢制限なるものがあるようだ。同志はこれが最後とザンビアで頑張っているが9月には任期を終え帰国となる。
今回私にとってアフリカは初めての地だ。どうしても行ってみたいと若干の無理をして先発の2グループに遅れて合流した。第1グループはビクトリアの滝をメインとしてその後帰国。第2グループはビクトリアの滝と南アフリカのケープタウンを観光して帰国。第3は私だが、ケープタウンで合流しザンビアを訪問して帰国の途につくというものである。共通するのは皆ザンビア赴任の同志の激励でザンビアには入国したというものである。
私は南アフリカ共和国のケープタウンで合流し、喜望峰など観光したあとザンビアの首都ルサカへ。空港で迎えに来てくれた同志はありがたかった。単独では決して訪問する事など夢にも思わない気がしたからだ。大体想像したアフリカの小さな国だが、細かい点ではこれまでと異なることもあった。英語が共通でみな流暢だ。道路は日本と同じで車は左側通行だ。これは、南アフリカでも見られた。英国の植民地時代の交通システムを踏襲している。
旅行期間は2017年の6月だった。
今回私にとってアフリカは初めての地だ。どうしても行ってみたいと若干の無理をして先発の2グループに遅れて合流した。第1グループはビクトリアの滝をメインとしてその後帰国。第2グループはビクトリアの滝と南アフリカのケープタウンを観光して帰国。第3は私だが、ケープタウンで合流しザンビアを訪問して帰国の途につくというものである。共通するのは皆ザンビア赴任の同志の激励でザンビアには入国したというものである。
私は南アフリカ共和国のケープタウンで合流し、喜望峰など観光したあとザンビアの首都ルサカへ。空港で迎えに来てくれた同志はありがたかった。単独では決して訪問する事など夢にも思わない気がしたからだ。大体想像したアフリカの小さな国だが、細かい点ではこれまでと異なることもあった。英語が共通でみな流暢だ。道路は日本と同じで車は左側通行だ。これは、南アフリカでも見られた。英国の植民地時代の交通システムを踏襲している。
旅行期間は2017年の6月だった。
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