mickey3のパラオ便り

わたしの経験した米国研修から12年、第二の人生はJICAシニア海外ボランティア。太平洋の楽園パラオからお便り送ります。

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同志を訪ねてザンビアへ、そしてアフリカ初訪問

2017-09-09 09:36:53 | JICAボランティアその後
 ドミニカ共和国時代の同志はもうほとんど70歳以上となった。JICAボランティアにもどうやら定年というか、お務めできない年齢制限なるものがあるようだ。同志はこれが最後とザンビアで頑張っているが9月には任期を終え帰国となる。

 今回私にとってアフリカは初めての地だ。どうしても行ってみたいと若干の無理をして先発の2グループに遅れて合流した。第1グループはビクトリアの滝をメインとしてその後帰国。第2グループはビクトリアの滝と南アフリカのケープタウンを観光して帰国。第3は私だが、ケープタウンで合流しザンビアを訪問して帰国の途につくというものである。共通するのは皆ザンビア赴任の同志の激励でザンビアには入国したというものである。

 私は南アフリカ共和国のケープタウンで合流し、喜望峰など観光したあとザンビアの首都ルサカへ。空港で迎えに来てくれた同志はありがたかった。単独では決して訪問する事など夢にも思わない気がしたからだ。大体想像したアフリカの小さな国だが、細かい点ではこれまでと異なることもあった。英語が共通でみな流暢だ。道路は日本と同じで車は左側通行だ。これは、南アフリカでも見られた。英国の植民地時代の交通システムを踏襲している。
 旅行期間は2017年の6月だった。
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同志を訪ねて南米のチリへ

2017-09-09 09:13:14 | JICAボランティアその後
 2015年4月JICAボランティアの同志を訪ねてチリを訪問した。
ドミニカ共和国時代の同志宅でしばらくお世話になった。チリはヨーロッパを彷彿とさせる近代国家のようだった。こざっぱりとした町並みや高層ビルが林立する市街地など目を見張るばかりだ。スペイン語も綺麗で人々も洗練されているように感じた。
 同志は赴任してほぼ1年が経過した頃である。今回の訪問で同伴したのはこれもドミニカ共和国時代の同志である。
 
 首都サンチアゴの同志のうちに到着早々小さな地震が起こった。大騒ぎでニュースもしきりにそのことを放送していた。同じような時期に日本で大きな地震が九州の熊本で発生したとのニュースがあった。24時間ほど後に同じような規模の本震があったので「前震」と呼ばれた。チリは日本と同じように地震国でこれまで起こった世界最大の地震は1960年に起こった超巨大のチリ地震でマグニチュード9.5である。彼の勤務先を訪問した時も話題はもっぱら日本の熊本で起こった地震であった。
 有名なワインの産地国として有名なチリで多くのワインが日本に輸入されていて馴染みが深いワイナリーの訪問、世界遺産の街ラスパライソなど訪問した。  
 
 帰路には念願のマチュピチュ訪問を果たした。ペルーでは、パラオ赴任時に駒ヶ根訓練所で一緒だった同志にお世話になった。彼はSVとして首都のリマで活動しているが2度目のJICAボランティアで青年協力隊の経験者でもある。
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里帰り

2015-10-26 16:14:34 | パラオ
 青年協力隊の隊員がかつて赴任した国に行く事を「里帰り」と言う。一般的な表現は旅行に行くと言うのだが、二年間という青春時代の長い期間を異文化の地で過ごした経験はかけがえがなく尊い。ちょうど生まれ育った地にもどるときに使う言葉「帰省する」に近い感覚なのだろう。行くより帰るが感覚的に相応しいようだ。

 私は、任期を終え日本へ戻る時にまたパラオに戻ってこようと思っていた。隊員は3ヶ月ごとに迎える隊員と任期を終え帰国する隊員がいるので自分の知った隊員がいるあいだに「里帰り」はしたいと思っていた。特に今回は四月の天皇皇后訪問の少し前に帰国した。そんな思いもあった。

 お世話になったコロール州の職場の訪問や懐かしい協力隊の仲間との会食など一週間ほどの滞在はあっという間だった。慣れ親しんだ常夏の砂浜、透き通った海での海水浴などかつて過ごした時を懐かしみ楽しんだ。

 私のパラオでの2年間の活動の一旦はいくつかの新聞や記事等で紹介されている。パラオのブログの最後にまとめて例規したい。参考になれば嬉しい限りだ。
・パラオの日本大使館のHPにて紹介されたものである。
 パラオで活躍するJICAボランティア(和文)(英文)

・着任して早い時期に投稿したものである。
 世界HOTアングル

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災害がないと思っていたパラオ

2015-02-19 09:54:39 | パラオ
 2012年12月はこの国には災難だった。この国では珍しく大きな台風が襲い木々がなぎ倒され家屋の倒壊などが見られた。特に被害がひどかったのはパラオの南部で、アンガウル島やペリリュー島がその犠牲になった。
 周りを芝生で覆われた大きな敷地にぽつんと立つ平屋建ての建物はアンガル島の典型的な戸建ての住宅である。基礎だけ残った家屋の傍らのバラックの小屋で生活している人に出会った。基礎だけ残して吹き飛ばした台風Bopha、そのすさまじさを思い知らされた。赴任して暫くしてアンガウル島を訪れ半年ほど前の台風被害を目のあたりにしたのが懐かしい思い出となった。
戸建住宅の周りに、大きなヤシの木などが林立している。見なれた景観だが、これはこれで危険だそうである。大きなヤシの木が台風によって倒れてくると貧弱な木造の家屋は簡単に壊れるからだ。
さてこの台風であるが凡そ15年ぶりだと言う。さらに、もっと大きな台風となると50年以上も前になるそうである。日本のように毎年のようにやってくる台風とは縁が無い、否薄いのである。
 
 そして翌年2013年11月台風Haiyanが襲った。今度は北部のカヤンゲル島である。学校をはじめ多くの建物がなぎ倒された。そしてこの台風はフィリピンへ向かい甚大な被害をもたらしたので世界中に広く知られることとなった。
 台風はこうした南太平洋の沖、はるか沖縄の南東域が多くの台風の発生域だが、パラオは発生域から少し外れるせいか、この国では台風とは無縁である。否、無縁だった。
 
 その後聞いた話では地震とも無縁だと思っていたが5年ほど前にあったようだと言う。目から鱗だった。
 2014年は幸いにして台風などは無かった。私は安堵した。
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小学生にも落第?

2015-01-27 09:23:51 | パラオ
 ボランティアにもいろんな職種があるが、JICAが派遣するパラオで最も多い職種は教育職である。私が着任して共にボランティア期間を共有した隊員はこれまで30人近いが、そのうち教育関係は半数近くを占める。小学校や高等学校あるいは教育省などに赴任している。
 ここでの教育のしくみは、Elementary School 8年間が基本的な就学年数で日本の小学生と中学生が少し混じったようだ。その後High Schoolで中学高等学校相当が4年間、その後は2年制の短期大学パラオコミュニティカレッジPalau Community Collegeがある。4年生大学はこの国には無いのでそれ以上の高等教育は外国に行くが、歴史的なつながりや地理的な関係でグアムの大学が多いようだ。
 初めて聞いたときに驚いたのは、Elementary Schoolで留年/落第があると言う。この国特有の、私には驚きだったのは言うまでもない。
 画像は、離島を除いてもっとも北に位置する小学校である。ここにも隊員がいたことがある。
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