めんどりと赤ワイン♪

ヨガ講師で1級建築士で主婦の日々を、ゆるく、たまにマニアックに書いてみよう。

3日目午後サン・パウ病院

2014-08-28 20:48:03 | 特別
私たちは、
サン・パウが公開されているのを知らず「周りから見るだけ」のつもりだった。


「地球上で最も美しい病院の一つ」と言われるサン・パウ病院。
産業に沸き、しのぎを削るバルセロナ建築界の中でも、
政界にも足場があり、影響力のあったモンタネールの後年の都市計画的作品。
バルセロナの街区道路は碁盤の目状に都市計画されている。
直角交の道路に対し45度に突っ切る道路(ガウディーアヴェニュー)の山側先にサン・パウ病院。
道路計画からモンタネールの作品。街区区割りの3×3=9ブロック分が敷地で14万5000㎡。
患者1人につき145㎡を見積もっている。つまり患者数は1000人(私計算)。
ちなみに日本の現代の病院建築の資料を調べてみた。
1000人規模で敷地面積7万6400㎡が最大だった。

完全左右対称形の美しい病院。市民平等にこの施設の恩恵を受けられたのだろうか。



門柱(左)


門扉



3つあり真ん中の1つが開いていて難なく入れた。
(4年間の修復工事を終えて今年2月に公開された)




管理棟でチケット購入   8€ 1200円位


ロッカー室天井

焼き物タイルワーク

階段

段鼻同じくタイルワーク

階段灯




階段トップライト天井のステンドグラス。

見とれてしまうほど美しく、彼の音楽堂を想い起こす。
カタルーニャ音楽堂は、カテドラル近くの今のホテルから間近なのに時間指定が必要などあり、
とうとう行けなかった。
廊下部の天井(タイルのモザイクワーク)
  






公共建築なのに、本当に贅沢でため息が出るほど美しいです。

レクチャールーム


公開されている病室





修復前の部屋



使い続けられたモノの包容力にほっとする。化粧前の人のよう。


サン・パウの敷地はほぼ正方形で、1つの対角線を軸として左右対称に病棟が配置され、
それらをつなぐ機能動線は地下にある。地上は樹木を配置し患者の目を和ませる庭。
庭による治癒効果は計算のうち。庭には薬草畑もあり、まるでリゾートホテルだ。

モンタネールは48棟を計画したが資金問題等あり完成は27棟。
そのうち16棟がモンタネールとその息子によって設計された。
銀行家パウ・ジルが建設のために残した遺産は10棟建設で底をついたとある。
底をつく前に「少しでも節約しなくちゃ」という意思はみじんも感じられない。



地下通路

病院っぽい。トップライトやライトアップは修復時のものと思う。

庭の真ん中に出てくる階段


外は真っ白な位な真夏の光




屋根と煙突







怪獣や動物

翼竜


鳩とコウモリ


翼のある天使
























3日目 サグラダ・ファミリア( 内部へ)

2014-08-27 13:13:47 | 特別
わずかに木漏れ日の落ちる、深い森。 


  
左が「生誕の門」側、  右が「受難の門」側


祭壇側





ステンドグラス








ステンドグラスの色を映し出す、壁。




天を仰ぐ


どこまでが自然光でどこまでが照明器具なのか。光が内部空間を演出している。


柱の断面は、

床に近い部分が6角形だが天井に近くなると24角形(ほぼ円)に変化していく。
その様子を見て下さい。(天井に向かって撮影)

森のように感じるのはこの柱のせい。天に近くなるほど枝分かれしている。

最近の日本の建築界でも「森のような」「樹のような」という表現をよく聞く。
ここは本当に森のようだ。100年前から育ち始めた森。

模型室



受難の門



ファサードの冠部が工事真っ最中。

サグラダファミリアの敷地内で現場から5歩、歩いた場所にガウディーがつくった学校がある。

室内。室内の大きさ(縦、横、高さ)に安心感がある。
観光客達はおとなも子どもも椅子に座ったり黒板を見たり楽しそう。
天井の形の通りの屋根形状。
建物の長手方向の軒先が波型で反対側は山と谷が入れ違いになる。
それが交差する部分は一直線になる。(室内に見える)
これならレンガで、比較的おおきな床を支えられる。




職人の子供たちが受けるべき教育を(内容をみるとシュタイナー教育に近い)
提供出来ていたのがすごい。
親にとって、自分の子供たちがちゃんとした教育を受けられるのが最大の安心事。
しかも、仕事場のすぐそばで。
子供たちは親の仕事ぶりや仕事の進行を見ながら、触れながら育って行く。
きっと今の子育て世代もうらやましい環境に違いない。
「100年前より現在の方がいい」というのは幻想らしい。


外壁に張り付く愛すべき生き物たち。







ガウディー通りから振り返る





サグラダ・ファミリアを背にしてこの道をまっすぐ先へ行くと、サン・パウ病院がある。
行きたいけれど。もう、疲れたし。
とりあえずお腹すいたしお昼ご飯。






郷土料理パエリアを食べて少し元気になった。サン・パウ行こう。
振り返るとやっぱり。


この通りはすてきだ。

サグラダ・ファミリア2014年8月8日金曜日
写真  D=118枚 M=148枚 計266枚









3日目 サグラダ・ファミリア(塔の上へ)

2014-08-27 11:12:20 | 特別
エレベーターは事前予約が必要で時間指定も必要。
誕生の門をはいってすぐ右のエレベーターに乗る。
その奥の部屋で、荷物を預ける。

エレベーター管理のおじさん。ご機嫌がいい。


この部屋が「ロザリオの間」
戦争で破壊され50年間封印され、外尾氏が修復した部屋。現在ロッカー室



悪魔との心の中での葛藤。

小さな少女は金貨の入った袋で悪魔から誘惑を受けている。



青年は悪魔から爆弾を手渡されかけている。
心の迷いが(受け取るか否か)その指に表れている。

上の2つの彫刻については外尾氏の解説による。

エレベーターは金属のカプセル状で近代的。乗るのは4人。
とてもよく管理されている。

変わる視線を楽しみながら階段塔を降りる。

以下外尾氏作品
パンと小麦


ブドウとワイン




実りの果実






果実とそれを育てる葉(塔の胴の部分)




ほどけかかるヨハネ福音書(?)だが雨樋の役割を持つ


柱のように見えるが雨樋の役割を持つ。


これも。


これは雨樋ではないかも知れない。


塔内部の見上げ

完成時には、ここにパイプ状の鐘が吊り下げられるのだそうだ。

そしてこの下向きの無数の穴からバルセロナの街に、
柔らかで深い音色が届けられるのだそうだ。

想像して鳥肌が立つ。
下向きの庇はもちろん雨を処理するためだが、
音を下方の街に届ける機能も併せ持つ。
その証拠に1番したの穴の下にもある。

時々こんなベランダに出られる。怖くて出られないが。

上に乗っている大きな丸いもの。左右で違うが何だろう?

たくさんのコンクリート



クレーンを支える重りらしい。

トーレ・アグバールがまた見える。(ジャン・ヌーヴェル)

ツルリとしていてきれいな建物。


糸杉まで降りてきた。




階段が美しい。
段表(見下ろし)


段裏(見上げ)


1日何千人という人が降りる階段

これなら自然が造ったモノに負けない。



バルセロナ3日目サグラダ・ファミリア(外部)

2014-08-26 19:28:05 | 特別
ここサグラダファミリアに35年間彫刻を彫り続ける外尾悦郎氏が
横浜の私たちの街に、今年(2014年4月9日)講演に来て下さった。
身体も大きいが人も大きく若い人たちは随分と力を得たようだった。
私も本を読み、彼のこと、彼を通してのガウディーを知った。


先ずは


生誕の門を支える、こちらはウミガメ。雨水を吐き出す穴がわかるかな?

日本に居る時にチケット予約をしてあったのでスムーズに中に入れた。

真下から見上げると


中央部の鍾乳洞の中は「マリアの戴冠」


まっすぐ上に目を上げると希望の象徴の糸杉にたくさんの白い鳩が飛んでいる。
糸杉には、見えにくいが7本の梯子が掛っていて中には
白いペリカンの母子(相当遠くへ行かないと見えない)がいる。


生誕の門、上部


イエスの生誕を喜ぶ天使たち(以下全て外尾氏の作品)
外尾氏がこの地に自分の根を伸ばしかけた頃、
カタルーニャにはまだ、フランコ政権時の後遺症が色濃く
カトリックの聖堂に献金や応援をはばかる風が残っていたらしい。


ハープの天使

このハープの天使製作費は事実上建築主任によって献金され、外尾氏が鎚を振るった。
天使の完成が献金の速度を上げ、その他の天使たちの完成を導いた。
「一歩、そしてまた一歩」だ。


ファゴットの天使

この2人は古典音楽


ヴァイオリン、マンドリン。

外尾氏の奥様はピアニストだがこのヴァイオリン天使のモデルとなっている。
伝統音楽


タンバリンと笛

民族音楽


後は合唱の子供たち9人。

小さな男の子はイエスを見ようとして転げ落ちそうだし、
年上のやさしいおねえさんが抱きとめていたりする。
普段の子供たちの様子の一瞬を切り取ったようでとても楽しい。
15体が外尾氏の彫刻。

その下の扉も。わたしが本を読んだ頃は製作中と書いてあったが出来ていたのでびっくり。
製作は外尾氏の弟子という根を外尾氏と同じ方法で伸ばし始めている日本の女性。


まさにこの夏の暑さにぐんぐん伸びるつたの先っぽ。



目を近ずけると、目が離せない。











特に子供目線に、いるわいるわたくさんの生きもの達。配慮がにくい。



建物と色が同じで見にくいが生誕を告げるラッパを高らかに吹く天使が好きだ。

ガウディーの頃の作品と思う。


生誕の門ファサード

生誕の門真ん中の柱の頭部にイエスの誕生場面、馬と牛がいる。
(小さくて見えない)

生誕の門はガウディーにとって最重要部分の1つ。外尾悦郎氏によって完成された。

教会の外回りを1時間と少し見たところで10時45分の予約を取ってあったエレベーターで
塔の上まで上がる。


2014年8月8日金曜日

















ラッパ

2日目の夕方 バルセロナ・パビリオン

2014-08-24 12:24:59 | 特別
結構疲れていたし、
グエル公園から青ライン周遊バスで帰ってホテルでシャワーを浴びて
お休みしてからゆっくり夕食にしよう。

と、話していたのに。

フランセスク・マシア広場で赤いラインに乗り換え
バルセロナ・パビリオンへ。18時






建築家 ミース・ファン・デル・ローエ。  "Less is More"の発言者。
「要素が少ないほど美しい」の意。
私たち世代はまさにこの教育を受けているし今の私の思想もここにある。
日本の美学にも一致する。

石壁(1枚板!厚さ20センチくらい)は立っているが、独立していて、
ガラス部分も内部空間と外部空間を隔てるモノではなく外と中は通じている。
室内になっているのはミュージアムショップだけ。
この浅い水をたたえ、どこまでも水平方向に延びようとする建物は、
おととし訪れた金沢の鈴木大拙館と共通する。
人が多いので静かな写真が取れなかった。
池に延びる黄色い板は展示中の作家の作品。本来はないもの。



スペイン広場に戻る途中、ちょっと気になる建物があり、ついつられて入った。
 Caixa(カイシャ)フォーラム 



 
やはりモデルニスモ時代の繊維工場跡をリニューアルした美術館らしい。
入り口部の設計は磯崎新氏とのこと。




スペイン広場の元、闘牛場を商業施設にリニューアルされた建物。




1階部分に見える赤い、筋交いみたいな斜めの鉄骨の柱で上のレンガ構造を支えている。
ヘラクレスのようにがんばっているが、遠くからはめだたないし近くでは鉄骨しか見えない。



それにしても、すごい。
レンガをざっくり切っている断面が見える。


最上階には軽い食事屋さんが並んでいた。
モンジュイックの丘が見渡せる眺めのいい最上階。






赤ラインは全行程の4分の3残っていた。
バスに乗り夕方の丘からバルセロナの港湾地区を眺めながら夜を迎える。







港湾地区の巨大な彫刻


アメリカ大陸を発見したコロンブス像
スペインが世界に植民地を持ち、飛ぶ鳥落とす勢いの大国だった頃なんだ。



このバスがこの日の最終バスでカタルーニャ広場についたのは22時近かった。
今日の気温。



ホテルに帰りシャワーを浴び、やっと、ホテル近くで夕食!23時半!
ま、日本にいる時もさほど変わらない時間帯ですが。




エビのオリーヴオイル焼き、オリーヴのピクルス、アンチョビカナッペ、
ゴートチーズ、イベリコブタのソーセージ、シーザーズサラダ。
もちろんビール、白ワイン。
スペインでは白ワインが普通においしい。香りがいい。

疲れて食欲がないと思っていたが後で見ると良く食べている。

ホテルでもう1度浴槽にお湯を満たし足をマッサージしてBED IN。
即落。

バスツアー、バルセロナパビリオン他
2014年8月7日木曜日
写真 D=57枚 J=78枚















2日目の午後 グエル公園

2014-08-23 15:37:35 | 特別
周遊バスで1・5周。
グエル公園で降りる。
バスを降りて、近くの小さなイタリアンの店で昼食。午後2時。
サラダ、ラザニア等とアクア・コン・ガス(炭酸水)
まだ、炎天下の歩きなのでアルコールは控えた、と思う。


バス停側からの入り口にはこんなエスカレーターがついている。


バスの中でお話した2人の日本の女の子たちが言っていた通り
チケットがないと中に入れない、とのこと。
チケットをゲットするまで、まだまだ時間がかかりそう。

ちいさな男の子は観光より水遊びがいいよね。


後でわかったのだがチケットが必要なのは
中央階段部とドーリア柱で支えられた、
ジュジョール(ガウディーの愛弟子)のモザイクワークの広場だけ。

そんなわけでグエル公園のてっぺんまでゆっくり探索できた。


外に一歩出れば強烈な太陽の光。なのに一歩ここに足を踏みいれると静かな日陰と風がある。
  

色は左の写真が正しい。



この空間にやさしい音楽まである。


インドのシタール的な。
観光で疲れた足を投げ出して聞いている人達が拍手で答え、


鳩だって聞きに来ていた。

別な段には


違うミュージシャン


この上にはそれぞれ人工地盤がある。





谷には橋もかかっていて


チケットがないと入れないところは遠くから見学。







こんなところに住んだら楽しいと思う。
そうガウディとグエルはここをイギリス式自然あふれる高級分譲住宅地として開発していたのだ。
住んだのはガウディ―とグエルともう1軒弁護士さんだけだったとか。
計画はその時点では失敗と言えるがグエル氏のような実業家はたくさんの成功と
たくさんの失敗があるのだろう。
ガウディーは亡くなる2年前までここに住んでいた。


ピンクのとてもかわいらしい家。
ガウディ―が住んでいたって想像できますか?

Eグエルが住んでいた家はわからなかったが
Eグエルはここで亡くなったそうだ。
あんなに豪華な宮殿のような邸宅をたくさん持っている、
大富豪でも亡くなる時はこんな場所が安らぐのだろうか。

こんな階段を



どんどん上がっていくと頂上の広場に出る。
すごく見晴らしがいい!
バルセロナ街全体が見える。

トウモロコシみたいなトーレ・アグバール(設計ジャン・ヌーヴェル  2005年完)


サグラダ・ファミリア。

階段の途中には

これは覚えておいて下さい。明日たくさん遭遇できます♡

最後に正面入り口へ降りた。



正面門扉から中を見る。グエル公園の心臓部(有料部分)



階段途中のこの円盤の向こう側に有名なトカゲ(イモリかサンショウウオに近いと思うが)がいる。

門扉  シュロの葉をパターン化した鋳鉄製


門番小屋となんだったか。わかったら書きます。




ディズニーランドはこれをモデルにしたという。砂糖菓子建物の詳細。






グエル公園 2014年8月7日木曜日
写真 D=79枚 M=84枚 J=65枚














2日目お昼辺り 周遊バス

2014-08-22 00:50:19 | 特別
バルセロナ周遊バスには3系統ある。
赤と青と緑。
赤は西区域、モンジュイック(バルセロナ万博地区)中心、
青は北区域(丘方面ガウディ建築物)中心、
緑は南区域、海方面バルセロナの近隣リゾート地区中心にそれぞれ回る。

乗り放題、乗り降り自由。1日券27ユーロ(3800円)、2日券35ユーロ(5000円)。
このバカンス時期には5分おき以上に出ていて観光客満載で通りをめぐっている。
私たちが乗ったのは青ライン。バスも横腹がブルーに塗ってあるので分かり易い。

青ライン、その87パーセントはガウディめぐり。
バルセロナ観光に来て、
サグラダ・ファミリやカサ・バトリョを見ない人はほぼいない。
これらの建物を見に集まる人の数は大抵でない。

カタルーニャ広場からバスは出発しグラシア通りを走る。
「先ずぅ、左に見えますのがぁ~、
ガウディ作 カサバトリョでございます。」



左隣、カダファルク作 カサ・アマトリェール。


その2軒おいて左(写真には映っていない角地の建物)は
モンタネール作のカサ・リュオ・モレラです。

そのバトリョ側も当時たくさんの建物を作っている建築家の作品。

建築の激戦地区。ので考えさせられる。

片やガウディーは、今の時代の寵児。
片やモンタネールは今から100年前の寵児。
リュイス・ドメニク・イ・モンタネールは、父が大きな印刷業者。  
裕福な家に生まれマドリードに建築を学び成績優秀。
バルセロナに戻り、若く(25歳)して建築学校で教鞭を取り(ガウディは彼の生徒だったそうな。)
たくさんの数の建築を設計している。
バルセロナ万博(1929年)でも全て統括の位置にいた。
政治家としても活躍。
このあと、私たちが観るサン・パウ病院も彼の企画、都市計画の基で造られたが
コンセプトの意思も高い。建築に品を感じるのは私だけではないだろう。
こんなに、人として持つべき能力を全て兼ね備えて時代をリードしても、なお
今はガウディのライバル的評価しか得ていない。

能力なのか、時代の流れなのか 情報の力なのか。
私的には今の評価は少し均衡を欠いていると思う。
情報はいつだってそうだ。
少しある方向に傾くと、だーっとその方向しかなくなってしまう。

カサ・バトリョを見学する人々


これは赤ラインバス


カサ・バトリョの角を曲がるとアントニ・タピエス美術館がある。
小さな建物(モンタネール作を改装
後半バルセロナ滞在の時、夜食事の後、前をよく通ったが写真なし


周遊バスの続きを。
もう少しグラシア通りを直進して右にカサミラ(ラ・ペドゥレーラ)写真なし

修復工事中で中は見学できるが外壁は復元の絵での仮囲いが全面を覆っている。
カサ・ミラを右折して碁盤の目のバルセロナ市を45度西上がりに貫くディアゴナル通りを突っ切って、

タラダス邸 P.カダファルク作 同時代




サグラダファミリア教会(アントニガウディ)1883年の着工からず~っと工事中。
(戦争で中断もあった。)
見学の人々



サグラダファミリアは明日ゆっくり見るのでバスの2階からの目線で工事中の映像を軽~く見ます。




  

左のバラ窓(?)上部に横杭が2本ささって足場を支えている。

見えるかな?




こんな現場小屋。




まさに工事が進行中。つち音が聞こえる建設現場。
2026年(ガウディー没後100年)には完成予定とか。
生まれた時から、この音を聞いて育ってきたバルセロナ、カタルーニア人達、
つち音がなくなっても生きていける?


私は工事中の建物が好きです。廃墟はもっと好きです。



かわいいトラムに会い


グエル別邸、の門番小屋と門扉




大きな口を開けて家を守る竜。ありふれた建築資材で出来ている。
指1本で軽ーく開くのだそうだ。


バスでは、日本語というボタンはある。が(壊れていて)解説は聞けない。
その他の言葉なら聞けるのだが私のほうがNG。


バルセロナ2日目の朝

2014-08-21 14:27:06 | 特別

朝、部屋から見えるカテドラル♡


ブエノスディアス!「今日もいい天気ね。」


まずは、カテドラルにごあいさつ詣に。
昨夜のにぎわいはなく、ものごいの人が2人ほど入り口にいるだけだった。


毎週末には「サルダーナ」というカタルーニャ民族舞踊を輪になって踊るらしい。
残念ながら私たちはこの日曜日にはマドリードに行っていて遭遇できなかった。

13世紀から6世紀かけて完成されたカテドラル。
  




ステンドグラス



回廊に四方を囲まれた中庭にガチョウを飼っている。


どこかで「わー!あひる?動物園みたい!」ちいさな男の子の日本語が聞こえてくる。
都市で、人間以外の動物に会えるとうれしいのは大人も子供も一緒ね。





今日のミッションは、周遊バスに乗ってバルセロナ全体を大まかに知ること。
まずは、ホテルから近い地下鉄の駅「ジャウマ 1(プリメール)」から乗り、
「カタルーニャ広場」で降りること。ほんの3つだ。

と、その前に朝食しなくちゃ。
レタスやトマトを挟んだイタリアンサンドイッチとコーヒーを注文した。が、
このコーヒーに困った。
「エスプレッソ?カプチーノ?」と聞かれるが、どちらも朝からは飲みたくない。
「普通のコーヒー。砂糖もクリームもいらない。」これが分かってもらえない。
仕方なくカプチーノをオーダーした。
隣では私の欲しいコーヒーを飲んでいる人がいるのになぜ?


でもおいしかった。朝のそよ風に白いパラソルがつくる日陰。
街路での朝食はいい。
でも、日本みたいにお手拭きは出てこない、冷たいお水も出てこない。
今回日本から濡れティッシュを持って行ったので大丈夫。

この蛍光グリーンの制服を着た清掃の人たちが大勢、常時街を清掃している。
若い女性も多い。夏季アルバイトかな。
だからバルセロナは観光客がひしめいているのにきれいだ。
ただ、雨が降らないので街全体が臭い。



いざ、地下鉄に乗らん。
こちらに来る前、バルセロナの地下鉄で数人の強盗に囲まれた人の話を聞いていたので少し緊張して。

この地下鉄切符で大汗をかいた。
ベンディングマシンから切符が出てこない。
見かねたらしく駅員さんが助けに来てくれた。
私たちが格闘していたのは、カード専門用機械だとわかった。
それはわかった。が、投入したお金を返して欲しい。
それも分かってもらえて、
大きな機械のおおきな扉を開けると私が投入した2人分の4.3ユ―ロが床に転がり出てきた。
ムチェスグラシアス!

そして、まだ、難関が待っていた。
改札が通れない。
夫はスムーズに入れたが私のバーが開かない。
あきらめてもう1度切符を買い直し、今度はOKでした。
原因は?
私は、切符を通したのと違うレーンのバーを一生懸命押していたのだった。
あーぁ、2.15€損した。
でも、面白かった。

カタルーニャ広場に出て、バスのチケットを買う場所を探した。
ネットで予約はしてある。「ネットの地図ではこの辺りの筈なんだが・・。」
結局、
ビルを清掃している人に聞いて、
広場の半地下に通じる、大きなオレンジ色の「i」の看板教えてもらいました。

やっと、バルセロナ周遊バス待ちのライン並んで、2階の太陽サンサンの席に座れた。
旅先では、一つひとつに時間がかかる。そうとわかれば、分かるまでの過程を楽しめる。


白人たちはなぜあんなに太陽を恐れないんだろう?真夏なのに。
みんな、UVなんてへっちゃら!という感じ。
日傘はささないし殆ど裸同然で観光している。

手袋なんてとんでもない!   実際に、そう聞かれた。
「日本の女性は手袋している人が多いけれど、どうして?」
「Sun protectよ」と答えたが、「暑くないの?」とたたみ聞かれ、
「暑くないことはないけれど日焼け原因のシミのほうが怖いの」
といいたかったが、とっさには浮かばず
「う~ん、そうでもないわ」と答えた。

私たちが若い時にはチリチリと太陽に焼かれる感触を楽しんでいた。
毎年2回は。若い肌はきれいに焼けるし。
今の日本の若い女性たちからは狂気の沙汰扱いされるだろう。
ま、確かにこの年になって後悔しているが。


大切なことわざ「郷に入れば郷に従え」"When you in Rome,~あと何だっけ?You do Romans do.かな。」
という訳で。
次は、太陽サンサン、UV(Ultra Vaiolet)サンサンの、でも、視界抜群の車窓からリポート!



               8月7日木曜日バルセロナ







羽田からバルセロナへ

2014-08-20 01:40:50 | 特別
建築家アントニ・ガウディーのグエル教会が印象に大きく、
今回旅記録の初めに書いたが時間を巻き戻し始めから始めよう。

6日午前10時半に羽田空港を発ち、シャルルドゴール空港16時着。夏時間なので時差-7時間。



18時発でバルセロナの空港着19時30分。ここは時差がない。
ドゴールでは「気温17度、雨。」のアナウンスがありびっくり。横浜は33度だったのに。
空港の中で過ごしたのでその気温は肌で感じられなかったがバルセロナはちゃんと夏でした。


ホテルは旧市街にあり、なんと目の前がカテドラル!






朝起きてこのカテドラルがベッドから見えるなんて、なんて幸せ!
ちなみに夜10時の明るさ。


荷物を放り投げて、ささ、タパス(つまみ)、セルベッサ(ビール)、ワイン!!!!




旧市街は道がクモの巣状、ひとつ入る道を間違えればとんでもない場所に行きつく。
で、帰りはとんでもない場所を迷路をうろうろ、ホテルにやっとの思いで帰りつく。
あーー、たのしかった。
途中清掃車が狭い道いっぱいに水を撒きながらブラシ回しながら前から来る。「え?!どうしよう」
ビルの入り口の柵のドアを開けて「入れ」と言ってくれる。
一瞬の躊躇はあったが遠慮なくお邪魔した。
清掃車は過ぎ去り、おかげでびしょびしょにならず、「ムチャスグラシアス!」

街路灯はLEDに換えてあるものが多かった。ガラスも外してある。(奥の5個)


これはガラスが付いている。


ガラスは残した方がいいと思う。
夜に照明が灯っていても、逆光の夕日にガラスが白く光るのも風情がある。

夜の旧市街




カテドラルの前広場の夜。
たくさんの人が集まって、音楽したり道芸したりおしゃべりしたり愛し合ったり 
階段でくつろいでいる。




ところで、こちらのトイレには必ず「ビデ」が付いている。



日本では殆どのところにうウォッシュレットが付いているせいもあり、
ビデは苦手意識がある。
トイレとは逆向きに使用、だが、う~んいまいち。慣れない。
比べれば、ウォッシュレットがいいが電気が来ないと使えない。


コロニア・グエル  Ⅲ

2014-08-19 13:57:10 | 特別
「名所旧跡」の保存が、点ではなく立体的なのだ。
観光写真に惹かれてやってきた人は「見た」というより、
「体感した」という満足感が得られる。
その量は3乗に比例する。

広大な工場跡地の駅に近いところはOFFICEとしてすてきにリニューアルされて現役。



住宅街の散歩中の出会い。


この家の子らしい。


もう1っ匹も


排水枡を覗いたり


雨水出口に溜まった枯葉を掻きだしたり


しぐさのかわいいこと!
ギュッと抱きしめてきた。
「イヤー」と言われたが。

お母さん猫はぐっすり。





コロニア・グエルの駅。ガラス張りのモダンな駅。







駅から教会までこんな風にブルーの足跡がついているので迷うことはない。


すずかけの並木に風の渡る音を聞きながらの気持ちのいい道。



PS/コロニア・グエル行き8月13日水曜日
  この日 モンセラートまで行く予定をここだけにした。

写真 D=189枚  M=197枚 計386枚