それはとても素敵なことだ。

2018-03-08 22:49:30 | Weblog


そう、確かに

何も思わなければ私は 存在していないのと同じかもしれない。

特に

このような、現実に存在しているのかいないのか今ひとつ判別がつきかねる電脳空間に、

私の「思い」みたいなものをアップすることが習慣のようになってしまってからは、

ここにアップしていないときの「私」は、存在していないようなものだ・・・・

などと感じてしまうことがある。


だがその反面



過去の「思い」も生々しく、しかもいつまでもいつまでもこの電脳空間に残っていて、

いつ何時でもアクセス可能・・・・ときた。

もしも「私」の存在が 現実的に現実世界で、突然何かの拍子に消失してしまったとしても

ここに私の「思い」が残っている限り、

「私」の全体が消えてしまうことはないのだな・・・・などと感じて、

それは半分怖いことのような気がしてしまう。


だって「思い」など、消えて当然のものだから。

消えずに残ってしまった時点で、それは別の意味を持ち始める。

生々しければ生々しいほど、その傾向は顕著だ。



でも


「楽曲」の中にパッケージされれば、話は違ってくる。

何と言うか・・・・・・「思い」は楽曲にとっては原動力、というか

原初のチカラではあるが、「それがすべて」ではないからだ。

楽曲的世界では

メロディも、ビートも、ギターリフも、ベースラインも、コーラスの和声も、

「思い」と同等のチカラを持って

楽曲を構成し、支えてくれる。


だから「思い」は 

まるで博物館の中の「太古の琥珀に捉えられた昆虫」のようになんの痛みもなく穏やかに

その姿を晒すことが出来るのだ。

ガラスケースの中のイノセント。


いや、「何の痛みもなく」ってワケにもいかないかな?

しかし「痛み」は、薄れて行く。

大事なのはそこで、

「痛み」が薄れたからと言って、楽曲が光を失うことはないのだ。



それはとても素敵なことだ。








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