新訳・「ティファニーで朝食を」

2011-08-08 17:31:42 | Weblog



どちらかといえば小説より、オードリー・ヘップバーンの

映画で有名な

トルーマン・カポーティの小説、

「ティファニーで朝食を」の新訳が出ていることは知っていたのだが、

そんなに興味をそそられてもいなかったのだ、実は。

当たり前だが、翻訳が新しくなるからといって話の筋が変わる訳ではないし。

そうは言っても新訳は村上春樹なのでいいよな、

・・・そのうち読もうかな、と思っていた。


今回、「夏の旅」に出る前に図書館でこの

村上春樹訳「ティファニーで朝食を」を見つけて、

旅をしながら読むのにぴったりかもと思って持ってきたのだった。

というような感じで、そんなに期待せずに読んだのです。


しかし読んでみたらかなり良かった。

ストレートに心を打つと同時に、

じんわりと心にしみる。

カポーティの文章だけが漂わせることの出来る、

深く混迷しているのに透明感のある感じ。


旧訳が悪い、というのではないが、新訳はとにかく

絶妙に美しくわかりやすい。

そういえば春樹さん、カポーティの文章に関しては熱烈な賛美者だった。

腕によりをかけて・・。って感じで翻訳に挑んだのであろう。


ストーリー的にも、旧訳よりスッとわかりやすかったのはきっと、

翻訳のこととは別に、

トルーマン・カポーティという人のことを、

以前より俺が知っているからかもしれない。



核心に近いことなのだけれど、

この小説の語り手「僕」が何故最後まで、魅力的なヒロイン

「ホリー」のオトコにならないのか?

というのがどうしても、もどかしく思ってしまっていたところなのだけれど・・・


「僕」には作者、カポーティが投影されていて、

そのカポーティは「ゲイ」なのだ。、というか「ゲイ」であるということは

カポーティの重要なアイデンティティなのだ。

「ホリー」といい仲になるわけないよな、「友情」は育まれたとしても。


「ホリー」の奔放にセクシャルな感じが新訳ではよく出ていて、

そのことだけでもこの小説が翻訳し直された意義があると思う。


カポーティはこの小説が映画化される際、「ホリー」役には

近しい友人でもあったあのマリリン・モンローを推薦していた。

オードリーも可愛くていいけど、イメージがだいぶ違うよね。

映画版は原作とはずいぶん遠いものになってしまってるようだ。

俺は映画版「ティファニー」には、あまり興味がない。



それにしても。

旅の途中に読むのにぴったりの本だったよ。


「ホリー」のアパートメントの表札には

「ミス・ホリデー・ゴライトリー・トラヴェリング」

(「トラヴェリング」は、「旅行中」の意)

って書いてあるんだから。





、というところで。

「片山道郎・サマー・トラヴェリング」続行中。






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