この寒さで…ブログネタも底をついたので、⑤さんにSOSを出したら早速届きました。
長崎出張のついでに、軍艦島を訪れたそうです。
折りしも、今日の朝刊サンデー版「世界文化遺産登録を目指す近代日本の産業遺産」に載っていたので説明を抜粋させていただきます。
この角度から見ると軍艦
外から見る
廃墟でも崩れるにまかせる。
陸に上がってよっそうの茶碗蒸し
リンガーさんの家(?)
端島炭鉱(はしまたんこう)
面積約6万3000㎡の小さな海底炭鉱の島。1890年から本格的に採掘を開始、明治末には八幡製鉄所に原料炭を供給。
1974年に閉山、無人島になった。大正期以降、当時では画期的な鉄筋コンクリートの高層住宅が建ち、最盛期の1960年には
約5300人が住んでいた。人口密度は当時の東京都区部の9倍。学校や病院、映画館などすべてが揃っていた。
外観が軍艦に似ていることから軍艦島と呼ばれる。(中日新聞サンデー版 世界と日本 大図解シリーズNo.1127より)
中日新聞さん、⑤さんありがとうございました
長崎出張のついでに、軍艦島を訪れたそうです。
折りしも、今日の朝刊サンデー版「世界文化遺産登録を目指す近代日本の産業遺産」に載っていたので説明を抜粋させていただきます。
この角度から見ると軍艦
外から見る
廃墟でも崩れるにまかせる。
陸に上がってよっそうの茶碗蒸し
リンガーさんの家(?)
端島炭鉱(はしまたんこう)
面積約6万3000㎡の小さな海底炭鉱の島。1890年から本格的に採掘を開始、明治末には八幡製鉄所に原料炭を供給。
1974年に閉山、無人島になった。大正期以降、当時では画期的な鉄筋コンクリートの高層住宅が建ち、最盛期の1960年には
約5300人が住んでいた。人口密度は当時の東京都区部の9倍。学校や病院、映画館などすべてが揃っていた。
外観が軍艦に似ていることから軍艦島と呼ばれる。(中日新聞サンデー版 世界と日本 大図解シリーズNo.1127より)
中日新聞さん、⑤さんありがとうございました