Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

亀井三千代 HP/Michiyo Kamei official web site 

https://michika-6.wixsite.com/michiyokamei

油壺2(磯遊び)

2011年05月17日 09時05分04秒 | 旅行


磯遊び
長年の夢がついに実現した。

これは…

虫ですか?

ふしふしです。

保護色なので
一見わかりにくいですが
この分節で見分けられます。

分節性は脊椎動物の特徴の一つですが
虫にとってはどういう意味があるんだろう…
う~~ん

ふしふしの周囲には
無数の繊毛が生え、
これで移動するのかもしれない…
頭はどっちだろう?
っていうか、頭あるのかな

さすがに触る勇気はないが、
ダンゴムシみたいに丸くもなりそうだ。


こんなのもいっぱいいます。
わかめの色をした
イソギンチャクのような…
なんでしょうね。

ゆらゆらしています。

そして

うっかり踏みそうになった
うちあげられた脳のような…海草ですか?

ああ!
磯は楽しすぎる!!

波は常に強く
とどまることがない。


よく言われることだが、
抵抗してふんばると
やはりもっていかれそうになる。


その動きの中に生きるものは
もまれて頑丈になるというよりは

柔らかく

揺れて

自由な形

動きそのもの。

でも、岩の付着部
踏みとどまるその一点は
意外と強いのかもしれない。

強さと柔らかさ
奴らは両方だ。


油壺1(アシカとBacon)

2011年05月16日 08時50分58秒 | 旅行



油壺マリンパークにいく。

マリンパークが本来の目的ではなくて
本当は、何年も前から
ただ、磯遊びがしたかっただけ。
その思いを果たしに海へ行った。

でもなぜかマリンパーク

そしてなぜかアシカショー



さらにこれを見ながら
なぜか
フランシス・ベーコン*¹の絵を思い出す。


確か、17、18才のころ、
ベーコンの画集を見て感銘を受け
本気で絵を描く人になりたいと思った。

今でも物故の中では
一番好きな画家だ。
(そんな自分が、実は微妙だと思うが…)


アシカは完璧に芸をするけれど
口を開くと
ものすごく怖い顔になる。

手加減なく開くので、
のどの奥まで見えて、
顔面がまるきりピンク色の内蔵になる

ビー玉のような眼
…ヒゲと牙

野生なのだ。

お子様用に、しこまれた芸のさなか
彼ら本来の野生が垣間見られて
たまらなくおもしろかった。

久しぶりに興奮しました。

今度は動物園に行ってみたい。

*1 Francis Bacon (1909-1992)
*2 Triptych,1986-87  

        
    Francis Bacon: Centre Georges Pompidou 1996, p.218-221


高尾太り

2011年05月02日 11時01分41秒 | 旅行



天国のようなこの光景は
高尾山の奥、
城山山頂

といっても、植林されたもの。
この木のほかにも
スイセンやチューリップなど
斜面は輝くばかり、
お花畑が広がる。

毎年、この時期に高尾に入る。
私の山開き。
年の初めは絶対に高尾と決めている。

路の途中の寺や神社で
その年の安全を祈りながら、
家族や友人の無事を祈りながら登る。

テレビドラマやミシュランのおかげで、
高尾の山頂までは、すごい人、人…

でもその奥は
ぐっと人も減り
山らしくなる。



写真だと伝わらないけれど、
山の中では、
鳥の声がずっと聞こえていい気持ち。

路で一人きりになった時、

急に風が吹いてきて
ざわざわ木々をゆらして
その風が頬を包んで
あまりにもやさしくて気持ちよくて
目を閉じた。

自然に涙が出る

身体の中まで
吹き抜けていったようだ。




城山山頂で恒例の
なめこ汁とおでん。

写真にすると質素ですが、
これは、本当に美味しいんですよ!!

山頂でのお食事は
最高に贅沢!
最高に幸せ。。。


下山途中でみごとな八重桜に出会う。


今年は、地震のせいで
何となく落ち着かなく
気づいたら桜は終わっていた。
この山で
今年の桜をちゃんと見たように思う。

ぼんぼんとした重み。
円くてかわいい。

たとえようもない

「美しい」という言葉では
おさまりきらない。

ここに来てよかった。



完全に山を降りて
山菜とろろそばを食べる。

なめこ汁ほどの感激はないが
そばを食べないと登山は終われない。

なぜか2Kg
太りました。

なぜでしょうか…


京都にて2

2010年12月07日 09時05分47秒 | 旅行



天龍寺のもみじ
その赤を堪能。

もみじの赤ってすごく綺麗。

京都は街のあちらこちらでもみじが見られる。
日を浴びて、赤く燃える。

秋になると皆で紅葉、行楽…
あたりまえすぎて
今まであまり気にしていなかったのだが。

そういえば先日、上海から一時帰国した恩師が
日本の紅葉を見てため息をついた。
上海では紅葉をまだ見ていないのだそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天龍寺では加山又造の「雲龍図」を見る。
第一印象、線が漫画っぽい、なんて言うと怒られちゃうかな?
ごめんなさい!
でもこれ
ほめ言葉です。

天龍寺のあと、上村松園展を見に行く。
東京で見逃した展覧会だ。

顔に輪郭がない…霞のような髪。
目をこらしても捉えられない描かれた女性達の瞳。
それとは対照的な着物のボリューム。
いやぁ本当に凄い!
凝視しすぎて、気分が悪くなる。
すみません、これもほめ言葉です…。



その美術館のすぐ近くに、祇園饅頭というお店発見。
できたての「くりもち」をいただく。
うまっ!最高!屈託がな~い!
絵とはちがうなあ…。


京都にて1

2010年12月06日 08時43分24秒 | 旅行




京都に帰りました。
父の納骨。やはりぴんとこない。
悲しみはない。
私はよほどの不感症なのだろうか。

私は京都が大好きだ。
その風土を肌が覚えている。
この場所でこの自然の中で遊び、成長した。
今でも京都で暮らしたいと本気で思っている。

父に対して一つ思うことがある。
京都に帰りたかっただろうな、と。
父は東京の小さなマンションの中で死んだ。
全く仕方がないのだけど…。

父は京都の人間だった。
京都の風土がたっぷりとしみこんだ人だった。
これはぬぐえるものではない。
タクシーの中で東山を見たとき、
こみ上げる涙。
父に見せたいと本気で思った。



猫ひなたぼっこ。哲学の道にて。
法然院から永観堂へなつかしい道をゆっくり歩く。

自然と顔がほころぶ。
幸せな時間。


神社で目が回る

2010年08月02日 12時11分33秒 | 旅行

家族で旅行に出た。

出羽三山をめぐる。

出羽三山とは、山形県の信仰の山、
羽黒山・月山・湯殿山の3つを合わせた呼び名だ。

それぞれ、現世・死・来世(復活)を表すのだそうだ。

初日に羽黒山、山麓の宿に泊まる。
朝4時頃、ヒグラシの大合唱で目が覚めた。
朝もやでかすかに白んだ空、まだ黒い森の中から
その鳴き声が霧のように聞こえてくる。

どんなに、大合唱でも決してうるさいわけではない。
何かとても懐かしい声。

ヒグラシ達にすっかり呼ばれて、散歩に出ることにした。
いてもたってもいられなかった。

少し歩くと、すぐに神社に出てしまった。
赤い鳥居にうっそうと木々が被さって、
そこが入口なのだとやっとわかる。
奥がよく見えないが道は確かに続いている。

森の中、まだ薄暗く怖かったが
お参りせずに通り過ぎるのは、無視するみたいでもっと怖かった。
出会った以上はお参りせねば・・・
とりあえず、境内に入りることにした。

右側には、かたちの違う数個の石がまつられていて、
中央にはとても小さなほこらが一つあった。
ほこらの扉はしまっていたのでお賽銭箱がない。
どうしよう。。。
ヒグラシの声にすっぽり包まれて
距離感がとれなくなっていた。
怖くて、その空間が自分を中心にぐるぐる回って感じられた。

目が回る。

やっと神社から出て、道を変えて散歩を続ける。
黒々とした森にかこまれた静かな里。
少しずつ明るくなりやがてわかったのだが
森の中には無数のお墓が点在していた。
どの森にもそれはあった。

それこそ小さなほこらやお地蔵様は、歩けば当るくらいたくさんある。
なんて土地なんだろう。
周辺の山、森や木々のすべてが信仰の対象で、
しかも死者とともに生活しているようにも思えた。

その価値観の違いをかみしめる。

でも、やはり…どこか懐かしさを覚えた。