恵理の日記帳

平凡な日々の中で、ささやかな出来事を書いています。

昨日の報恩講

2018-10-29 22:35:19 | Weblog

 午後1時半からの報恩講に、幼馴染(1学年下ですが、たった4ヶ月違い)と出かけました

境内に入って志を御納めして、ひとりがけ用のリクライニングシートに座って御喋りの花を咲かせました

近所のご高齢の方達や、寺世話さんたちも雑談しながら笑い声をたててみえました(#^^#)

定刻になって、5人の住職様たちの御姿が!そして、この御寺の住職様のお経が始まりました

 

約1時間経って、ご住職様たちが奥に入られた後、生姜のよく効いた甘酒を頂きました

そして、温かいお茶を配っていただいてから、ご説教が始まりました    

              『王舎城の悲劇』

マガダ国、ビンバシャラ王とイダイケ夫人、その子のアジャセ太子の御話です

何不自由なく恵まれた裕福な暮らしをしているのに、イダイケ夫人は「たったひとつの不満(?)があった」

それは、子宝に恵まれなかったこと。

占い師に見てもらった時「三年待てば、子供が授かる」との御告げが!

さる高名な方が三年間の修行を終えた後に亡くなって、我が子に生まれ変わってくるということなのです

二人は、その三年が待てなかった!早く我が子が欲しかったから、大変惨いことをしてしてしまった!

そのことで、王舎城に次から次へと「悪いこと=悲劇」が起こってしまうのです

 

「私は今まで、一切悪いことはしていない。真面目に清く正しく生きて来た」という人でも・・自分では気付かないうちに、誰かを傷つけているかも知れない

「私は、自然由来の環境に良い洗剤を使っている」という人でも、その洗剤を作るために後進国の山林を破壊しているかも知れない

リヤカーで行商をして苦労した人が、人に喜んでもらうにはどうしたら良いかと考えて・・

 御店を持って、従業員よりも早く出勤してトイレ掃除をし、利益が出たら従業員に渡して、自分は少し残ったお金を頂く・・

そうしているうちに、御店はドンドン大きくなって、スーパーのようになっていった

その陰で、小さな八百屋さんが店じまいをして、老夫婦の生きがいがなくなってしまったとしたら?

そのように考えると、人間の「何と無力で罪深いことか・・」 だからこそ、唱える「南無阿弥陀仏」と

             そのような貴重な御説教だったのです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2 コメント

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同じですよ。 (夢子)
2018-10-31 17:48:30
えりさん同じですよ。王舎城の悲劇のお話でした。
そして、韋提希婦人のお話でした。
信心の浅い私には余り良く分かりませんでしたが、
「お念仏」を唱えなさいかな。

何でも「南無阿弥陀仏」(なまんだぶ)ですね。
浄土真宗です。

これからもお説教があればお参りしますね。
夢子さんへ・・ (えり)
2018-11-01 19:39:54
このお話は、実話だったそうですね
アニメや、絵本などにもなっているそうですね

昔の御話ではなく、現代社会と少しも変わらないそうです
子どもを授かって、産んでおきながら・・
虐待したり、命まで奪ってしまう鬼のような親だって存在しているのですね
南無阿弥陀仏、我が家は真宗高田派です
親鸞さまです

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