フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

2回目のボルドーで観光用のトラムに乗せてもらい、そしてアルカションへ。

2021-10-14 08:47:02 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

ボルドー到着。

2012年にピアニストのアンリさんと一緒に来て以来だ。

待ち合わせまで、少し時間があったので、外に出てみた。彼が座っていた思い出の場所を見ると、重い病気の彼が最後の力を振り絞って一緒に来てくれたことが思い出される。

ここに腰掛けて迎えを待っていたアンリさん↓

 

そろそろ時間だ。

どんな人だろうと思ってみていたら、やってきた!!あの人たちだ。とすぐ分かった。

お母さんはニコニコしていて、お父さんはシャイなのか、表情はあまり変わらない。

 

一昨日のガンツジュニアからのメールでは、「迎えに行けなくなったが、ローランスの両親はボルドーで待っている。そして街を案内して、彼らの住むアルカションに連れて行ってくれる。また翌日はアルカションから列車でボルドーに向かってくれたら、ボルドーで今度はローランスのお兄さん夫妻が待っていて、僕たちの住むナントまで送り届けてくれる」ということだ。

 

まあ、とにかく、任せるしかない。

 

ボルドー到着後すぐにしたのは、駅の窓口でボルドー・ナント間の列車のキャンセル、そしてアルカションー・ボルドーまでのチケットの予約だった。

もちろん両親が同行してくれたのでスムーズにできた。

 

それから街歩きが始まった。

アンリさんの姪のカトリーヌ夫妻と2012年に歩いているのでだいたいはわかっていたので、それをなぞるような感じだった。

ちがっていたのは、雨が降り出したこともあり、観光用のトラムに乗り街を一周したことだろう。

お母さんのフランソワーズは、ぽっちゃりしていて気さくそうに見えるが、リタイアするまでパリで公認会計士をしていたというから驚きだ。

 

お父さんのジャン・クロードは、エンジニアだったと思うが寡黙な感じだ。

リタイア後、海辺のアルカションに引っ越しシニアライフを過ごしているようである。

 

二人と街歩きが終わり、駐車しているスーパーのトイレに入り、出てきて、「あっ、ジャケットを忘れた!!」と思った。

そして、すぐに戻ったが、トイレの中にかけたジャケットはなくなっていた。

それがフランスだ、仕方がないとあきらめようとしたところ、フランソワーズが「聞いてみましょう」と忘れ物センターのようなところに行き、聞いてくれた。

すると、誰かが届けてくれたようで、「届いている」とのことで安堵した。

あーよかった!!とフランソワーズと私はにっこり微笑んだのだが、J・クロードは、「忘れた!!」と言った時、黙ってはいたが、「あーあ。」という表情をしていた。

そして、見つかった時もポーカーフェイスで、「そんなことはまれだよ」と言わんばかりの顔だったのが今でも思い出される。

そんな不注意なことはありえないと思っていたのではないか、と想像される。

 

そんな彼の運転でアルカションへと向かう。アルカションも2012年にアンリモルガンさんの姪のカトリーヌとフランク夫妻とともに訪れている。(その時は船に乗ったり、ピラ砂丘も)

アルカションは高級リゾート地として知られ、中流階級以上の人たちが別荘を持っていたり、成功した人たちが、終の棲家として住んでいるところで、どれも立派なお屋敷ばかりだ。

 

市役所↓

広場↓

海辺↓ ここでガンツジュニア夫妻は結婚式の後、記念撮影をしていたとい写真を両親のガンツ夫妻から送付されていたことが思い出される。↓

 

 


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