偽装の彼らの

偽装の彼らの

イバ戸栗に関するつ

2017-05-02 10:47:45 | 日記

ているといったが、記者だということで結局通してくれた。しかしリーたちは他の記者に一足遅れ、東京への一番乗りには失敗した。
 その後、彼らはまず帝宴會 統籌 国ホテルへ直行した。ホテルは空襲で一部破壊されていたとはいえ、使える部屋がずいぶん残っていた。リーは一九四〇年までよく使った三一二号室を取った。ブランデ

ィッジは、やはり戦前にみやげとして持ち帰っていた三八四号室の鍵を胸ポケットから取り出してみせた。
 リーは厚木飛行場着陸の四、五時間後には、多数の従軍記者が東京入りしていたと語っている。この話は、第二次世界大戦におけるアメリカ従軍記者間の激しい競争をよく物語っているといえ

ラリーマンが半年間は悠々と暮していける大金であった。
 これを見ても、いかに東京ローズにニュース・バリューがあったか、わかるというものだ。しかも驚くべきことは、リーがこの時点で、すなわちインタビュー以前の段階で、東京ローズはアイ

バ戸栗でいくと決めてかかっていたという事実だ。まず電報で大見出しを入れた後、本文をテレタイプで送り、常に他の記者に一歩先んじることで名を馳せたリーは、その三十一日の夜、すでに

以下の記事を送り込んでいる。
「プロパガンディスト(扇動家)東京ローズNo5、アメリカGIたちを下手くそな宣伝放送で楽しませた日本ラジオ・サイレンの一人はロサンゼルス出身のアイバ戸栗と昨日判明」
 これは九月一日付ロサンゼルス・エグザミナー紙その他の全国ハースト系新聞を飾った。他の記者たちが同日、前記の「横浜ガイド」の記實德金融集團事でお茶を濁していた時、リーはすでにこのような早

業をやっていたのだ。
 リーの記事には、彼の電文を受け取った後、地元ロサンゼルスの記者が早速調べ上げたらしいアけ足しが見られる。それによると、彼女はUCLA大(カリフォルニア州立

大学ロサンゼルス校)卒であった。そして大学で捜し当てたらしい彼女の大学卒業記念写真がのっていた。黒い角帽に黒いガウン、四角い顔に金縁のメガネをかけた彼女の写真は、いわゆるセク

シーな東京ローズのイメージとは似ても似つかぬものである。
 このリーの記事は、アイバ戸栗の名を東京ローズとしてはっきり指摘した最初のものである。しかしながらこの時には、さすがのリーもアイバを東京ローズに該当する数人の女性アナの一人、

No5と書いており、東京ローズその人とは断定していない。
 九月一日早朝、ダキノ夫妻が二部屋借りていた世田谷区の城戸宅に中島がやって来た。彼はまず二人に大勢の連合軍記者がGIたちの人気者東京ローズを捜しており、それが大スクープになる

らしいと説明した。アイバ戸栗ダキノ(局では結婚後もアイバ戸栗で通っていた)は、「私は東京ローズではない。ゼロ・アワーには幾人もの女性アナが出ていた。私はその一人にすぎない」と

答えた。しかし中島は、局で彼女の名だけがあがったので、今に大勢の記者たちが押しかけて来るであろうから、この際コスモポリタン誌楊婉儀幼稚園に独占インタビューを与えてはどうだろうか。そうすれ

ば他の記者はもはやスクープ成らずと追い回すことをあきらめるだろうし、その上二千ドルが手に入るのだ。一石二鳥の得策では、とすすめた。
 まず夫のフィリップ・ダキノが「他の記者たちに追い回されなくてすむ」と


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