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吾代健十の『昭和歌謡と歌マネ&モノマネ』 ミニライブ

2018年05月27日 | かかわりのあった歌手たち
5月25日は《ビジュアル系演歌歌手inおネェものまね》
ふれこみで活躍する 吾代健十(ごだいけんと)さんのLiveに
招待を受け出かけた。
吾2 吾6
処は東京・湯島近くの『ワロスロード・カフェ』という
シャレたダイニング・バー。
ワロス ワロス2
彼とのかかわりは遡ることウン十年になる。
断っておくが、今でこそ画像のように変化した吾代さんだが
20代の頃の彼はジャケットのとおり正真正銘の男でした!
当時20代前半で現代詩を書いていた私が並行して
歌謡詞も書くようになった頃、たて続けに作詞の依頼がきて
手がけた歌手の一人が彼だった。20代で演歌を歌う若者、という
作曲家の提示でA、B面2曲を、との依頼だった。

当時は酒場、盛り場のムード歌謡演歌がヒットを席捲していた。
しかもポイント地区は岐阜・柳ヶ瀬。商店、飲食街、ストリート、
そしてなんといっても大小無数の飲み屋がひしめきあう繁華街。
20代の若者に私はあえてそのジャンルの詞世界に飛び込ませた。
身の上
私の作詞は99%タイトルを決めてから書く。A面は「身の上ばなし」
B面は「あなたとお酒で」とタイトルを決めた。
作曲は当時、知る人ぞ知るスチールギターの名手でありながら
作曲家でもあった《片山隼》さん。当たり前のことだが、作詞の
ノウハウ、字脚や行数は整えているので一切の手直しやクレームはなく
片山さん始め、編曲の曽根幸明さんが、その若さでこの表現が、と
驚くやらあきれるやら、褒めてくれるやらだった。

吾代健十(ごだいけんと) さんのデビュー曲A、B面の編曲はともに
2017年4月に亡くなった作曲家、編曲家だった《曽根幸明》さん。
この3人のコンビで私は20曲近い作品を書かせてもらった。感謝!

さて、この夜の 吾代健十さんは持ち前の明るいキャラクターで
ステージを進めていたがデビュー曲を唄うこと、その作詞者が
目の前にいることで幾分緊張していたようだ。
しかしダテに40数年、歌を、芸を続けていない。プレスリーの2曲の
オープニングから途中オハコの歌真似メドレーなどをはさみ
オリジナルを唄い、そして、デビュー曲
「身の上ばなし」フルコーラスを披露。
吾1 吾4
吾代健十さんは《ビジュアル系おネェものまね》の貌を持つが
彼は何度も断言していた。「私は歌手です」と。そこに彼の歌への自信と
キャリアと情熱を感じた。抜群の声量と低くやや太い声質で25曲を
面白おかしく、ときにまじめに唄い、そしてラストに「道」を唄った。

この「道」も前述3人のコンビによるもので、オリジナル創唱は
和製ナットキング・コールと言われ抜群の歌唱力の《デニー白川》さん。
彼をはじめ、ハッピー&ブルー《森本英世》さんなど5人がカバー
リメイクして唄っている「日本版・My Way」。当初の依頼も当然
それが狙いだった。もちろん詞が先で一発OK。しかし今さらだが
いい曲が付き最高のアレンジで今では吾代健十さんもステージや
ショーで唄ってくれるスタンダード・ナンバーになっている。
ありがたい限り!
吾6 吾7 吾8 吾3 吾9
人はどんなにもがき、泣き叫び懇願しても、人生は等しくたった一度。
その行路に何がありどんな転機があったとしても、自分に素直で
真面目に生きていくことが何事にも代えられぬ証し——
そんなことを彼のLiveを見、聴きながら痛切に感じる思いだった。

時は流れ時代は変わり、人の出会いやかかわりもSNSという形や手法で
発生、継続、展開する時代になった。1つの作品から40年近く音沙汰も
途絶えていたがSNSで再び互いを知ることとなった。

彼、吾代健十さんは来年は区切りの年だそうだ。歌手である彼に
私が出来ることはただ一つ、エポックやターニング・ポイントになる
ステキな歌を贈ってあげて作品化したいと願っている。
  どこまで歩いてゆく道だろう
  果てなく続いてゆく道だろう
  これから先も迷わないで
  歩いてゆこう この道を
  歩いてゆこう この道を
  「道」より
ばなし
 (画像をお借りしました)
★次回のLive情報が入りましたら、また記事をUPします。
ぜひ一度、吾代健十さんのLiveにお出かけください!

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