INAXショールームは銀座の入り口にあって、住所的には京橋となる。
建物が、緩やかにカーブしていている中央通りの位置にあるため、
9階ギャラリーの窓からは、銀座の中央通りがまっすぐ見渡せる。
そう、美しい銀座を一望できる私のお気に入りスポットなのである。
特に夜景は華やかな銀座の夜の顔を映しだす。
さて、INAXレポートなる季刊誌が発行されている。
冊子そのもの自体に重みがあるのだが、内容が写真も豊富で充実していてすばらしい。
最新秋号の特集は3つ。いずれもずっしりと読み応えがある。
特に著書の解題『神殿か獄舎か』長谷川堯に関する特集 が興味深かった。
時代を画した書籍 大正を通して現代をあぶり出すとの表題がついている。
建築評論家の長谷川堯さんと建築家の内藤廣さんの対談のなかで、
気になったことをメモ的に拾い出してみると・・・
・長谷川さんは早稲田大学文学部美術史の専攻で、卒業後、
桑沢デザイン所で建築家の篠原一男さんにも学んでいた。
・1965年に平良敬一さんが創刊した『SD』に編集助手として手伝っていた。
・卒論「近代建築の空間性」で評論家デビュー。
・「日本の表現派 大正建築への一つの視点」『近代建築』1968.9~11
まったく面識のなかった東大生産技術研究所の教授だった村松貞次郎さんから、
編集部に一通の封書が届いた。お褒めの文面だった。
「自分は゛明治建築゛を研究してきたが゛大正建築゛という
あなたの歴史区画に共感できるものがある」と。
・「1890年世代」→今井兼次、村野藤吾、堀口捨巳、山田守
大正時代に建築教育を受けて、大正時代に建築家としてスタート。
・夭折した後藤慶二や蒲原重雄が生きていたら、
日本の建築の歴史は変わっていたかもしれない。
もっと違うものつくっていたろう、村野藤吾につながるような何かを持っていた。
・『後藤慶二遺稿』「過去とも将来とも付かぬ対話」1925
・サルトルとベルグソン、ベルグソンと村野藤吾の間にいたのが有島武郎。
・村野氏いわく「私のことを書くなら有島を読みなさい」
・プレゼンティストは実在する人間の現存しか信じ得るものはないという発想。
後藤慶二と村野藤吾が結びつくあたりが、なんとなく私にも理解できる。
自己の表現において、内から湧き出すエネルギーに共通性が感じられる。
しかし、村野さんから作家の有島武郎に流れるとは思いもよらなかった。
(或る女=葉子は傷つきながらも自由奔放に生きたのよね)
長谷川さんは大正建築の生き残りの建築家の一人として、
村野さんに傾いていった、最晩年はすがりついて過ごしていたとのこと。
建築家自身の自己性、独自の想像力が必要だと長谷川さんは語っている。
★中谷礼仁さんのコラム文章から。
建築を建てぬ者が、何の後ろ盾もなくペン一本で建築を批判することは、
労多く益少ない作業である。
著『神殿か獄舎か』は、まだ命を削れる余裕があった長谷川が書いた珠玉である。
この論文のプロットの白眉は「豊多摩監獄」を中心に捉えつつ、
その設計者であった後藤慶二と、そこに収監されていたアナーキスト・大杉栄
という同時代の循環・転移を指摘した部分である。
中谷さんは、厳しく豊饒な建築批判がなくなってしまって久しいのを
自らの世代の怠惰にもあると、まだ命の削れるうちに批判を生み出したいとも、
述べられている。
長谷川堯 著『神殿か獄舎か』ますます読んでみたくなった。
後藤慶二にも村野藤吾にも、よりいっそう近づきたくなった。
建物が、緩やかにカーブしていている中央通りの位置にあるため、
9階ギャラリーの窓からは、銀座の中央通りがまっすぐ見渡せる。
そう、美しい銀座を一望できる私のお気に入りスポットなのである。
特に夜景は華やかな銀座の夜の顔を映しだす。
さて、INAXレポートなる季刊誌が発行されている。
冊子そのもの自体に重みがあるのだが、内容が写真も豊富で充実していてすばらしい。
最新秋号の特集は3つ。いずれもずっしりと読み応えがある。
特に著書の解題『神殿か獄舎か』長谷川堯に関する特集 が興味深かった。
時代を画した書籍 大正を通して現代をあぶり出すとの表題がついている。
建築評論家の長谷川堯さんと建築家の内藤廣さんの対談のなかで、
気になったことをメモ的に拾い出してみると・・・
・長谷川さんは早稲田大学文学部美術史の専攻で、卒業後、
桑沢デザイン所で建築家の篠原一男さんにも学んでいた。
・1965年に平良敬一さんが創刊した『SD』に編集助手として手伝っていた。
・卒論「近代建築の空間性」で評論家デビュー。
・「日本の表現派 大正建築への一つの視点」『近代建築』1968.9~11
まったく面識のなかった東大生産技術研究所の教授だった村松貞次郎さんから、
編集部に一通の封書が届いた。お褒めの文面だった。
「自分は゛明治建築゛を研究してきたが゛大正建築゛という
あなたの歴史区画に共感できるものがある」と。
・「1890年世代」→今井兼次、村野藤吾、堀口捨巳、山田守
大正時代に建築教育を受けて、大正時代に建築家としてスタート。
・夭折した後藤慶二や蒲原重雄が生きていたら、
日本の建築の歴史は変わっていたかもしれない。
もっと違うものつくっていたろう、村野藤吾につながるような何かを持っていた。
・『後藤慶二遺稿』「過去とも将来とも付かぬ対話」1925
・サルトルとベルグソン、ベルグソンと村野藤吾の間にいたのが有島武郎。
・村野氏いわく「私のことを書くなら有島を読みなさい」
・プレゼンティストは実在する人間の現存しか信じ得るものはないという発想。
後藤慶二と村野藤吾が結びつくあたりが、なんとなく私にも理解できる。
自己の表現において、内から湧き出すエネルギーに共通性が感じられる。
しかし、村野さんから作家の有島武郎に流れるとは思いもよらなかった。
(或る女=葉子は傷つきながらも自由奔放に生きたのよね)
長谷川さんは大正建築の生き残りの建築家の一人として、
村野さんに傾いていった、最晩年はすがりついて過ごしていたとのこと。
建築家自身の自己性、独自の想像力が必要だと長谷川さんは語っている。
★中谷礼仁さんのコラム文章から。
建築を建てぬ者が、何の後ろ盾もなくペン一本で建築を批判することは、
労多く益少ない作業である。
著『神殿か獄舎か』は、まだ命を削れる余裕があった長谷川が書いた珠玉である。
この論文のプロットの白眉は「豊多摩監獄」を中心に捉えつつ、
その設計者であった後藤慶二と、そこに収監されていたアナーキスト・大杉栄
という同時代の循環・転移を指摘した部分である。
中谷さんは、厳しく豊饒な建築批判がなくなってしまって久しいのを
自らの世代の怠惰にもあると、まだ命の削れるうちに批判を生み出したいとも、
述べられている。
長谷川堯 著『神殿か獄舎か』ますます読んでみたくなった。
後藤慶二にも村野藤吾にも、よりいっそう近づきたくなった。
長谷川堯さんの『神殿か獄舎』が取り上げられていた。
ジャストタイミングだ。要点チェックすると・・。
神殿と獄舎という二つのビルディングタイプを対峙させている。
日本の近代建築を考えたときに、
明治時代の建築家は国家を背負う必要があったので、神殿タイプになる。
モニュメンタルな外側の建築。
それにたいして、
大正時代の建築家の内面性を見つめていくような態度の空間を獄舎タイプと考えた。
長谷川は獄舎はある種の「内部性」が豊かなものの代表で、肯定的な意味で論じている。
獄舎タイプの方を、神殿タイプよりもよいものとして
位置づけている。
二つの系譜を変奏すると、丹下健三対村野藤吾になる。
長谷川は一貫して、丹下健三的なものを批判して、村野藤吾的なものを擁護した。
なるほど、わかりやすい。
同時にお二人にお会いできることがあるなどと思ってもいなかったので、
なんか夢みたい、うれしかったです。
良い機会に恵まれました。
本当はもっと突っ込んだ掛け合いをみたかったですが。
五十嵐さんも長谷川さんとのご対面は初めてだったらしいです。
ああ、いいなぁ、ケンチク、楽しいなぁ。
SD選書から復刻版が出ました。
めちゃめちゃ内容が濃くて、ワクワクしながら読み進めてます。
残念ながら今回カットされた第三章も、白井さん菊竹さんの章も、いつか絶対に読みたいです。
長谷川堯さんの建築家論考集
「建築家の出自」「建築家の多感」2冊出てます。
出てるのは、とっくの昔に知ってたのですが、まだ買えていないし読めていません。
ううっ、ただいまむしょうーに読みたい。
白井晟一「呼びたてる<父>の城砦」
若き日のロマンス、巴里の恋人が芙美子さんだとは・・・。
中谷さんのところの早稲田大学研究室で白井さんに関する学習会が夏にあるのですが、専門の院生の学生さん対象で、
当然ながらこういえの。一般向けってないですよね。
どうも一般にはマニアックかしら。
こんなに魅力を感じちゃうのにな。
息子さんがいらして、自邸の虚白庵で、うらやましい~。
ああ 知りたい。知りたい。
呼びたてる父の城砦
当然ながらこういうの一般向けってないですよね。
やはり神秘的哲学的なのです。
そこが気になる。
磯崎さん同様、私には大きいひとでしょうが。
近々、また松濤美に行きます。
゛授業を編集しなさい゛
リミックス、コラージュ、カットアップ可
http://d.hatena.ne.jp/ta-nakasemi/
さすが編集長、おもしろいな。
確かにまとめなおすことは大切だ。
私もプリント資料は山ほどあるのだが・・
一冊の自分が編み出す書物・・
イメージだけでも描きたいけれど。
そうそう、長谷川さんの指導教官は板垣鷹穂さんで、定年前に早大文学部で教えられていたそう・・・。
昭和の初めの頃のモダニズムの評論家だったとのこと。
建築系クロス美術系はこの先生もよくご登場で、武蔵美系からそのままお名前タイトルのごっつい本が出ていて、
ダンディー雰囲気のお顔写真の表紙からして興味津々なのです。
読みたいのだけれど検索かけても図書館にはまだ入っていなくて、お願い、待ってるぅー。
゛白井との接触が一番多かった原先生・・
白井批評の中でやはり原の論文のひとつがダントツの到達を持っていた・・「
へぇー 気になります。どんな論文かしら。
原広司さんに初めてお会いしたときのことは忘れられない。
インパクトがあった。
お話しはムズカシカッタ、ホワイトボードには数式が飛び交って、ゼンゼンといっていいほど私にはムズカシかった。
だが、しかし、それがとてもすばらしい思えた。
用意されていた喉を潤すためのグラスのお水が、実は焼酎!?お酒ではなかろうか・・と思えるほどにだんだんと口調なめらかに乗ってきた・・。
うーん、スゴイなーと思った。
原さん、ビールは札幌ビールなんですよね・・。
それはね、米山先生からのマル秘ネタ、教えていただきました。
http://www.acetate-ed.net/blog/nakatani.php
中谷さんところの゛住宅建築゛白井さんの特集らしい、あの学習会の座談会の、ぜったい読みたいけど、クスン、お小遣いでは買えないなぁ。
わからないくせに単なる素人ケンチラクラブ、ぜいたくだもんね。
汐留で展覧会も予定されているとのこと。
それはすごく楽しみ。
先日伺った長谷川堯さんのお話はとても興味深かった。
なかでも・・
学会賞をとった内井さんの★桜台コートビレジ1970 に対して長谷川さんはその2年後当時に辛辣な批評をしたそうだ。
あれは、モダニズムじゃないか、神殿建築の。
師匠の菊竹譲りの、と思ったそうだ。
しかしどうだ、ひさしぶりに訪れてみて痛感させられた。
40年後歩いてみて思い知らされた。
物書きとして読み切れてなかった。
自分の目がふしあなだったなぁ・・と。
あれは単なる建物を越えて建築としてうったえるものがある。
実によく考えられている。
空きが出ない、今も人気のコートビレジ。
(住手が愛着を持っているのね・・)
長谷川さん、素直にしみじみと語っていらしたので、そうか、どんなにベテランと思われる目利きの眼も時を経て変わることもあるのか、そうか、気づかなかったことに気づく、そうだな、それは当然ありうるなと思った。
そのことにちょっと感動しました。
せっかくだったのになぁ。
オランダにも関西にも届くのに。
そこが「謙虚に研究の」謙虚さなのかしら、ステキにご立派です。
でも、やっぱり惜しい、面白かったから、私はここに残しておこう。
http://www.youtube.com/watch?v=7MAaa_V0HYY
★「住宅建築」白井さんの特集、手に取ったけど、やっぱり立ち読みだと落ち着かず理解できないなぁ。
「ほら、買ったあげるよ」って、どこかに心やさしきパトロンいないかなぁ・・。
→自分で買いなさい。
★レクチャー名=第6回倉方俊輔(総括)「新たなリテラシーへの20年、20冊」」
やったぁー サクラサク♪
競争率高いから半分諦めてたけど、よかった、うれし。
二月六日は米山先生の保存版のえどカルとダブルヘッダーね。
お仕事はとっとと訴えて休ませていただきますから・・。
と言いながら、翌週の13日は銀座の見学会でお休みいただかないといけないから、2週連続ドキドキ。
ケンチク系はやっぱり好き、大事。
がんばるぞ~♪
メモ★宗教学者の中沢さんは中谷礼仁さんの『国学・明治・建築家』(波乗社1993)を「この若い建築評論家は、日本の建築評論をおおう、そのような思考停止の状態に、反抗しようとし」、「言語ゲーム」の手法を用いた新しい批評を行ったと評した。
★メモ 白井建築の性的暗喩についての中谷論
聖を獲得するには俗なるもの人間的なもの(オイコス)介入 人間的な解決手段
穢してはいけないもの 対極的 → エロティック
人間の本質と建築家特有のなにものか・・
・滴々居 トイレなし
・虚白庵 トイレ4つ
・原爆堂 パイピングシステム チューブ
★懐霄館(1975長崎佐世保)のでっかい写真集を借りてきました。
そう、確かに外観エロティック・・・。
ノアビルと松濤美術館に挟まれてます。