キッチン・トランスレーターつれづれ日記

つれづれなるままに日々のよしなしごとを綴ります。本、風景や花や料理、愛犬の写真などをご紹介。

彦根城

2018-09-06 09:27:27 | 歴史
               

               先の高取城址とは異なり、彦根城は創建当時のまま残り、しかも

               国宝に指定されています。代々徳川の譜代だった井伊家の居城で

               す。すんなりと今に残っているかと言うと、そうでもなく、明治

               時代に取り壊し寸前まで行ったのですが、明治天皇が彦根を巡幸
             
               されたとき、取り壊さぬようにとおっしゃったので、廃城を免れ

               たのだとか。今に残る他の城も、多かれ少なかれそのような憂き

               目にあってきたのでしょうね。今となっては地元の観光資源で、

               大活躍です。台風21号で被害を受けたようですが、大丈夫かな?

               

               

               お堀めぐりの屋形船まで出ています。

               

               しかし、彦根城と言えば何といってもひこにゃんです。日本全国数

               多くいるゆるキャラの中でも断然かわいい!この日も、西瓜を持っ

               て、だたブラブラしているだけでしたが、まさに「ゆるい」感じに

               癒される―!

               

               

               彦根第二代藩主を雷雨から救った招き猫が、井伊の赤備えの兜をか

               ぶった姿です。せんとくんよりかわいいかな?くまモンといい勝負。

               彦根城に毎日登場しています。ひこにゃんのスケジュールに合わせ

               てお城を訪れる人も多いそう。井伊直弼もびっくりでしょう。「軟

               弱な」って怒るかな?ゆるキャラなんて軟弱の極みですからね。時

               代が変われば、色々変るものです。
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高取城址

2018-09-05 11:08:28 | 歴史
              

              奈良高取町にある高取城址は、備中松山城、美濃岩村城と並んで

              日本三大山城の一つです。明治に廃城になって、建物は残ってい

              ませんが、高取山全体に残っているその石垣の壮大さ堅固さから

              難攻不落の大城であったことがうかがえます。1332年に地方の豪

              族越智氏が築き、その後本田氏、植村氏に受け継がれて明治に至っ

              たのだそうです。

                 

              「日本最強の城」という旗指物が随所にあって、興味をひかれた

              ので行ってみたのですが、やはりなかなか手ごわかった。

              

              そんなに距離はないものの、足場が悪く、しかも酷暑!「マムシ、

              スズメバチに注意」という看板が随所に。汗だくで登りました。

              

              

              

              それも、登ってみると報われました。素晴らしい石垣!石垣だけ

              でもこんなにすごいのに、明治時代に取り壊されなければ、どん

              なにか、壮大な姿を見ることができたでしょうか。「夏草やつわ

              ものどもが夢のあと」ですね。荒城の月のメロディーが頭の中で

              鳴り響きました。

              

              夏らしい青々とした眺望が開けていました。     
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なっちゃん、合掌造りの里を行く2

2018-09-03 14:40:00 | ペット
             

             昨日とは打って変わり雨に煙る合掌造りの里。ここは飛騨

             白川郷です。昨日訪れた五箇山菅沼集落より数倍規模が大

             きく、観光客、それも外国人客が土砂降りの中をぞろぞろ

             歩いていました。

             

             

             

             それでも、規模が大きいだけに見ごたえがあります。

             

             お土産物も充実しています。

                  

             緑と茶色の景色の中に、ピンクのサンパラソルがきれいでした。

             

             ちっちゃな可愛い合掌造りの前にたたずむなっちゃん。

             

             暑いより、ましなのでしょうね。雨の中をずぶぬれで、貧相な

             姿になりながら、それでも元気に歩き回りました。和の柴犬の

             なっちゃんは合掌造りによく似合います。    
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なっちゃん、合掌造りの里を行く1

2018-09-03 11:39:01 | ペット
            

            

            八月末の暑い日、なっちゃんは川崎から関越道、上信越道、北陸道

            を行く長い旅に出ました。途中のサービスエリアでは、紺碧の空に

            もくもく入道雲。夕立が来るかも。

            

            午後四時ごろ、最初の合掌造りの里、富山五箇山の菅沼集落に到着。

            

            俯瞰すると、とてもこじんまりした美しい光景です。ここは日本で一

            番古い民謡と言われる「こきりこ節」の里でもあります。哀愁を帯び

            たひなびたメロディーと竹の楽器ささらの音を、どこかで聞いたこと

            があるような。中学校の音楽の教科書に載っていたかも。

            

            

            

            

            色づき始めた稲と黄色い花と薄と、江戸時代にタイムスリップした

            ような晩夏の集落に、爽やかな風が吹いていました。     
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甘樫丘

2018-09-02 15:13:11 | 歴史
             

             その麓に蘇我蝦夷、入鹿親子が大邸宅を構えていたという奈良県高市郡

             明日香村の甘樫丘は、標高148メートルの緩やかな丘です。畝傍山、耳

             成山、香具山の大和三山をはじめ、大津皇子の眠る二上山などを遥か

             に見晴らすことができます。上の写真は畝傍山越しに二上山が青く霞

             んでいます。香具山は残念ながら木々に隠れて良く見えませんでした。

             
             

             

             大和三山はいずれも標高200メートルにも満たない小山ですが、万葉集

             の中大兄皇子の「香具山は畝傍ををしと耳成とあらそふらしき神代より

             かくあるらし、、、」という歌は、弟の大海人皇子と額田王をめぐる争

             い歌ったものだとか。中大兄皇子は自分をこの耳成山になぞらえたので

             しょうか?それとも香具山に?

             

             丘の上に至る道は気持ちよく整備されていて、万葉の時代の植生の説明
      
             などもあります。

             

                 

             

             でも、私がここを訪れたかった一番の目的はこの碑を見ることで下した。

             「釆女の 袖吹きかへす 明日香風、都をとおみ、いたづらに吹く」

             非常に有名な志貴皇子の歌です。都が藤原京へと移り、寂しくなった明
            
             日香を歌ったものだそうです。字は万葉学者の犬養孝先生です。もう何

             十年も前、今は亡き犬養先生と大勢の学生たちと一緒にここを訪れ、先

             生が独特の節回しでこの歌を歌われるのを聞きました。それ以来長い時

             が過ぎ、色々なことが変りましたが、丘の上から見る景色はあの時のま

             まです。私も釆女のように風に吹かれて、しばし佇みました。

             

             丘を下りると、飛鳥川が静かに流れていました。

               明日香川瀬々の玉藻のうち靡き心は妹に寄りにけるかも 
                                (万葉集 十三巻 三二六七)
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