■□弁護費用、サラ金返済一〇〇万円で助けてあげてください!
ある日のことです。東京の友人と言う人から電話がかかりました。
「民商に入っている○○というものです。親戚ではないのですが、子供のときに一緒に暮らしていた者が、寺戸町というところに住んでいます。脳血栓で倒れまして、それがサラ金に借金をしていて、奥さんも気苦労で倒れました。おばあちゃんだけ元気なのです、小学校に通う子が重度障がい児で車いすに乗っています。自分もあまりお金を持っていませんが一〇〇万円だけ出しますので、それで何とか一家を助けてやってください」
いくらかかるかわからないものを・・・出来るところまでしなければならない・・・
まずサラ金問題の解決は、弁護士に頼む必要があります。ご本人と弁護士の了解の下にお金は弁護士の口座に振り込んでもらうことにし、ご主人のお見舞いをかねて現状把握に行きました。
不幸は重なるものです。勤めておられた会社も倒産して、生活の見通しがたちません。生活保護の申請をして、とりあえず医療費を無料にし、サラ金は、どこの業者から何円借りて、何円返してという一覧表を作り弁護士に依頼しました。 子供さんの学校にも事情を話し対策をとりました。しばらくおつきあいしているうちに奥さんの病状が回復にむかい、子供さんが詩のコンクールで入賞するなど明るい出来事もあって、解決の道筋がつき、東京の依頼者にも報告できました。こんなときは二、 三ヵ月、四六時中相談者のことばかり考えていることになります。
■□「いますぐ死にたい!」「ちょっと待ち!」
「国道1号線○○陶器の清水団地の入り口、陸橋の上にいます。もう死にたい」という真夜中の電話でした。
「ちょっと待ち。左の下に喫茶店が見えるやろ。そこに入って待ちなさい。三〇分で行くから」
相手は若い娘さんです。何日か前に、向日民商から相談が持ち込まれた人で、一二時までなら電話に出る約束をしていたのです。
真夜中に私が一人で娘さんに会うわけにはいかないので、寝かけていた妻を起こし、理由を言って二人で自動車を走らせました。指定したところで小さくなって座っている女性を見つけました。いろいろ話をしているうちに落ち着いてきてもう大丈夫だと判断して向日市のアパートに連れて帰りました。
彼女とはその後五年間くらい、話し相手になっていろいろ相談を受けましたが、いまは結婚し、子供もできて、何とか独り立ちできるようになってがんばっておられます。
■□その土手は向日市ではない…
「今、夜は小畑川の土手にある軽自動車の中で寝ています」80歳くらいのご老人です。
「そらあかんで! 冬になったら死んでしまうで、本籍はどこになってるのや」
「向日市です」 「向日市に本籍があるのなら話は早い、市役所に行こう」
一緒に市役所に行くと「どこに住んでおられるのですか」と聞かれ、「小畑川の軽自動車」と話しました。
「困りましたね」 「何が困ったのや」 「その場所は長岡京市です」
「本籍が向日市にあっても、車のおかれている現住所が長岡京市? 変なことをいうな!」「お役所仕事やな。」
詰め寄っても受け付けないので、私は「わかった、長岡京市に行くから、この方の事情を担当者に伝えておいてほしい」と頼んで、長岡京市に行き、事情を話し、生活保護の手続きをしました。近くの役所も良くいきました。
何日かしてアパートの敷金・礼金、生活保護費を受け取って住宅業者を訪れ、屋根の下で暮らすことができるようになったのです。長岡京市の職員からは、「本来なら私たちがしなければならない仕事をしていただいてどうもすみません」とあいさつがありました。全部役所に頼でば良いのですが、急を要する場合は、そんな悠長なことは言ってられません。
■□ホームレスと貧困ビジネス
真夜中のことです。私の家の燃えないゴミを近くの南山児童公園前の集積所に持っていくと、缶を集めて生活している人が二、三人ウロウロしています。空き缶といえども市の管理しているものを無断で持っていくのだから、本来なら「窃盗罪」が適用されるのですが、私はその人々を訴える気はありません。暗い中で作業している人の中に、見覚えがある人がいました。
「○○さんと違いますか?」 声をかけると、「そうです」と応えがありました。
「何か事情がありそうですね? 夜はどこで寝たはりますか?」 「公園です」
「そらあかんわ? 明日昼過ぎ市役所へおいで!」
大阪で生活保護をもらって暮らしていた彼は、家を世話するという話にひっかかって、暴力団のような連中に手帳を取り上げられ、あばら家でにぎり飯程度のものを食べさせられて、生活保護費をピンはねされていました。 そこに警察の捜査が入り、手帳を取られていた者が参考人として一人ひとり呼び出されることになったそうです。ところが彼らは「叩けばほこりが出てくる」弱みをもっているし、警察が嫌いだから、呼び出される前に逃げてきたというわけです。 彼はその事件の新聞の切り抜きを持っていて私に見せました。
「苦労してたんやな、嫁も子もいたのと違うの?」と聞くと、「はように逃げられた」と言うのです。
「兄弟はどうしてるんや」 「いるけど勘当されてる。若いときに迷惑かけてるから、行ったら大喧嘩になる」
「そうか。けどいつまでも公園で寝てるわけにもいかへん、君は以前生活保護を受けていたのだから、 その続きとして向日市で申請しなおせばよい。どうするか」と聞くと「たのみます」と頭を下げました。
担当者を呼んで事情を話し、結局、向日市に近い場所にある、京都市内のアパートを借りて、京都市から生活費が届くようになりました。その後一度議員控え室に来たあとは連絡もありませんが、どうしているか心配しています。