大橋みつるの平和ト-ク・・世直しご一緒に!

世界の変化を見ながら世直し提言
朝鮮・韓国・中国・ロシアとの友好促進
日本語版新聞紹介

NO.10 白装束で日本刀を作っていたこともあるという。おっさんのちょっちした自慢話も聞かされた。

2017-01-11 | 「私がお話し」します。

長い火箸で取り出して、鉄の台の上に載せてかなづちでたたいて形をつくる。

 その隣は松田の鍛冶屋だった、ここにはよく見に行った。

鎌、各種の鍬、包丁、日本刀まで作っていた。表は2間ほどの間口でガラス戸が4枚ほどあり入って左側にフイゴとコークスを燃やす場所、

その横にコークスがつんである。

右には出来上がった、鍬や包丁が並んでいた。土間全体が、土で作った窯のような形で裏に普通の部屋があったが、

裏に行くのにちょうつがいでとめた動く戸がはめてあった。

その戸の中に狭い引き戸がついていたが、その戸をあけてそこにすわって作業を見学するわけだ。

どんな会話をしていたのかは覚えていないが、30分~1時間見ているのだからいろんな話をしていたのだろう。

コークスが真っ赤になったところへ鉄の塊を入れる。長い火箸で取り出して、鉄の台の上に載せてかなづちでたたいて形をつくる。

冷えてきたらまたコークスの中にいれる。火力が弱ってきたら、ふいごを動かして風を送る。

この操作を何度も繰り返してだんだん鍬や包丁に変わっていく。備中ぐわは3本にわかれているので、鉄をつながなければならない。

真っ赤に焼けた2種類の鉄を重ねて手早くたたく、数回繰り返すと鍬らしくなってくる。

昔は、白装束で日本刀を作っていたこともあるという。おっさんのちょっちした自慢話も聞かされた。

5歳ほど上のAさんともう少し上のRさん姉妹がいた。Rさんは小学校の先生になった。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 軍事目的だから喜べない!経路... | トップ | 昔:三人寄れば文殊の知恵。... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

「私がお話し」します。」カテゴリの最新記事