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連載3、 向日市議会選挙、挑戦のあゆみ あらゆる反共攻撃を突破する知恵!

2019-11-12 | あらゆる差別を許さない

              複数議席へ若さで挑戦  1967年 定数26 

           2人当選  計1073票 得票率11・12%

 一九六三年に一議席から二議席への挑戦をして議席を失った日本共産党は、四年後の一九六七年に雪辱を果たし、大橋・西山の二人が当選し町議員団が誕生しました。

 人口が増え、若い親子が住み始めたころでした。議会は法律や慣例で縛られていて、新しいことを持ち込むのは大変だという面は否定できませんが、若さと行動力で次々と新風を吹き込んでいきました。

 大橋満・二七歳、 三菱製紙株式会社勤務、 西山昌子・三六歳、 専売公社(当時)勤務。二人とも現場労働者でしたから、組織・運動・学習、上司や会社側との交渉、要求実現の楽しみや苦しみを日常的に味わってきていましたので、その延長線上として議員活動に取り組みました。

 いま思い出せば、毎日、議員団会議(打ち合わせと行動)をしていたように思います。様々な要求を掲げた住民運動は自分たちの要求とも一致していました。楽しかったし、周囲の人々も、共産党の議会活動とタイアップして要求が実現し、行政が変わるという喜びを体験したのでした。

 しかし、議会での共産党に対する風当たりは強く、何か異質の動物が入ってきたような取り扱いでした。私は、自分たちに対する風当たりを、戦争に反対し、いのちをかけてたたかった戦前からの共産党の歴史に比べれば、やさしいものだと思っていましたし、職場ですでに「大資本」の反共攻撃を身にしみて経験しており、免疫ができていました。それに私たちは、議会内の慣習はほとんど知りませんでしたから、こわいもの知らずで、よくないと気がついたところは口に出し改善することを目標にしていました。

 ■□宴会政治はやめよ!

 一九六七年八月一六日の「臨時議会」が初めての議会でした。そこで「初議会にあたり各議員に申し入れます」という文書を出し、たたかいの火ぶたが切られました。

 それは、①飲み食い政治をやめましょう。②常任委員会は公開で。③議事録を全議員に配布・市民に公開を!の三点です。町理事者が行う「各種の接待」にはじまり、また、議員研修会や行政視察後は、旅費扱いで「全員で宴会」。なれあいの「飲み食い政治」が慣習になっていたのです。

 一九六七年九月、初本議会で町長への一般質問に立ちました。

 西山昌子議員は、町立乳幼児保育所及び学童保育所、汲み取り問題について質問し、改善を提起。私は、暮らしと健康、地方自治を守る立場から、町長の基本姿勢をただしました。

 その年の視察時に議長は、共産党の申し入れに応え「これからは、一人銚子一本ずつとします」と宣言しました。当然雰囲気は悪くなり、その矛先が私たち二人に向けられます。私も人間ですから砂のご飯を食べているような気にさせられましたが、これが「階級闘争?!」だと、平然とした顔で同席していたのです。なかにはお膳を持って自室へ行く議員までいました。

 その直後から、「議会運営」での嫌がらせが始まりました。

「近代的な議会は、会派ごとに運営されている」「向日町も会派は三名以上で構成し、議会運営委員は各会派から選出する」「町長への一般質問は代表制をとる。質問時間は、答弁を含めて三〇分とする」というのです。完全な反共シフトです。共産党=市民の発言を封じてきたのです。

 さあ!皆さんならどう戦いますか。27歳のわたしと36歳の西山さんの知恵の出しどころです。続きはNO4へ



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