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「国があっての人ではない。国より先に民族があり、民衆がいる」

2017-04-29 | 市民のくらしのなかで

高麗美術館・企画展「上田正昭と高麗美術館」が開催中

「民際」の軌跡をたどる

企画展は4月3日から7月17日まで開催中

「国があっての人ではない。国より先に民族があり、民衆がいる」

古代史における「渡来人」研究の第一人者、故・上田正昭・京都大名誉教授が残した「民際」という思想。その言葉には、国益が優先される「国際」よりも「民衆同士の交流が大切」であるという上田氏の一貫した研究姿勢が反映されている。

いま東アジア、日朝の史実にどのように向き合うべきか―。同氏の70年に及ぶ研究軌跡からそのことを語りかける企画展「上田正昭と高麗美術館」が、4月3日から7月17日まで、京都市の高麗美術館で開催されている。

色褪せた参考書、めがね、万年筆、そして原稿用紙の束。88歳で生涯を閉じるその日まで、筆をはしらせた書斎の卓上を再現した展示物が、まるで訪問者を迎えるように館内へ入るとすぐに視界に入る。そこから歩を進めていくと、上田氏の研究業績と同美術館との関わりを辿った全4章からなるブースに約80点に及ぶ朝鮮の美術品が展示されていた。

書斎本棚の再現コーナー

自身の著書や執筆に携わった書籍が並べられた本棚の再現コーナーとともに展開される第一章「帰化人から渡来人へ」。ここは、日本神話や古代史、東アジア史、部落史など様々な研究分野を横断し、後に「民際」の思想から差別や人権問題へとたどり着く「上田歴史学」の研究の道のりが、まさに数々の著書を通じて伝わる空間だ。

なかでも、古代に中国、朝鮮からやってきた人々を、日本中心史観の「帰化人」ではなく、歴史的事実に照らし、学問的裏づけをしたうえで「渡来人」と呼ぶことを提唱した同氏の学問姿勢は、当時古代史研究において革命的な追求だったという。

生前持ち歩いた手帳には自身の思いを綴った歌を書き記していた

この日、解説をした同美術館の鄭喜斗事務局長は「古事記や風土記には『渡来人』と記載され、日本書紀には日本の権力者の視点から『帰化人』と書かれた。そのことを上田先生は『戸籍のない時代に、帰化人とするのは学問上おかしいと常々話していた』と話す。

また、第一章の映像ブースでは、70年代から2000年代まで延べ1万人が参加した「朝鮮文化をたずねる旅」で、上田氏が講師を務め、日本にある朝鮮文化の遺跡を巡った当時の様子が映し出されていた。

初の一般公開となった広開土王碑拓本

第二章「日本古代から東アジアへ」へ歩みを進めると、上田氏が74年に訪中した際、中国の学者から託されたという高さ6メートルもの「広開土王碑拓本」(上田正昭所蔵)が一面に広がった。70年代中国では、その昔高句麗が中国を領土にした記念碑は中国の歴史観に反すると見なされたため「広開土王碑研究」は長い間タブーとされ、その学者は上田氏に研究を託したのだった。

雨森芳州への敬愛の念を込め書いた「芳州魂」

今回の企画展が初の一般公開となった拓本には、日本が朝鮮を侵略したことを証明する記述がなされており、鄭事務局長によると、公開された拓本は85年の「読売新聞主催・シンポジウム広開土王碑」まで内密に保管されたという。そのほかにも同展示スペースでは、東アジア全体を捉えたうえで日本古代史を研究し、後にアジア史学会を発足させるなど、古代史研究に新たな進展をもたらした上田氏の功績が随所で紹介された。

雨森芳州との出会いが描かれた「民際へのまなざし」と題された第三章の展示ブース。そこには、第9次の朝鮮通信使・渉外担当を務めた芳州の著書「交隣提醒」の複製や「雨森芳州肖像(複製)」、また現在、世界記憶遺産登録申請中の朝鮮通信使絵巻8巻や馬上才図など、朝鮮通信使の足跡を「友好・平和の証」とし、古代史を超え地方と東アジアをつなげる作業にまい進した上田氏の様子が、まるで展示品を通じて浮かび上がってくるようだった。

「互いの民族を思いやる魂の交流、心の交流」を唱え、日本の物理学者である湯川秀樹や日本の作家、随筆家、その外にも北南朝鮮や中国、在日の研究者など、まさに垣根を越え「民際」を実践しようとした上田氏。第四章「日本のなかの朝鮮文化」では、70年代から継続して同氏が試みた交流について紹介がなされた。

館内には約80点に及ぶ朝鮮の美術品が展示されている

「南へ2回行けば北にも2回行くという原則。南北の学者が中国の地から、鴨緑江を眺め肩を抱き泣いたのも、上田氏が実践した『民際』交流の場でだった」

朝鮮半島、中国など東アジア全体の中から日本の実像を捉え、差別に抗する歴史観を構築してきた歴史家・上田正昭。同氏の研究軌跡を辿った企画展は、次世代が『民際』思想を引き継ぎ歴史と向き合うことを呼びかけていた。

(韓賢珠)


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