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到着ロビーの欄干に立っていた活動家たちが横断幕を広げた。「Welcome Lulendo family!空港を離れ、我々の元に来た難民ルレンド氏一家を歓迎します」

2019-10-13 | あらゆる差別を許さない

287日間の仁川空港での抑留の末、

韓国に“入国”したルレンド氏一家

登録:2019-10-12 05:57 修正:2019-10-12 08:23

アンゴラ政府にコンゴ出身だとして迫害・拘禁され 
韓国に来たが、「難民認定の事由ない」と審査さえ拒否され、空港で寝泊まり 
先月、裁判所「差し迫った状況の余地がある」…11日昼、到着ロビーに足を踏み入れ 
「韓国で私たちを助けてくださった方々に感謝します」 

 
コンゴ出身のアンゴラ人として差別と迫害を受けたとし、難民申請を行ったものの、287日間にわたり仁川空港に抑留されていたルレンド・ウンクカ氏家族6人が、11日午後、仁川空港1ターミナルの到着ロビーで出迎えた人たちに手を振っている=カン・チャングァン先任記者//ハンギョレ新聞社

 仁川(インチョン)国際空港の入国ゲートが開くと、照れくさそうに4人の子どもがもじもじと歩いて出てきた。その後を追って、ルレンド・ウンクカ氏と妻のボベテ氏が姿を現した。「ルレンド!」「ハロー!」入口で待っていた人々が歓迎の拍手を送った。真先にルレンド氏に駆けつけたのは、難民人権運動家のホン・ジュミン韓国ディアコニア牧師だった。ホン牧師の胸に抱かれたルレンド氏が涙を流した。到着ロビーの欄干に立っていた活動家たちが横断幕を広げた。「Welcome Lulendo family!空港を離れ、我々の元に来た難民ルレンド氏一家を歓迎します」

 287日がたっていた。昨年12月28日、仁川空港に降り立ったルレンド氏夫妻は、11日午後4時に到着ロビーを出るまで4人の子どもたちを連れて空港の免税区域にある乗り換え客向けの便宜施設の片隅で寝泊まりした。コンゴ出身のアンゴラ人である彼らは、コンゴ出身者に対するアンゴラ政府の迫害から逃れるため韓国に来た。ルレンド氏夫妻はアンゴラ警察に拘禁と拷問を受けたが、韓国の出入国事務所は「難民と認める事由がない」として、難民として認められる審査の機会さえ与えなかった。子どもを育てる地を探して韓国まで来たが、ルレンド氏一家は空港という新しい監獄に閉じ込められた。

 彼らを助けた韓国人がいなかったわけではない。空港で寝泊まりしている間、「ルレンド氏一家と共に行動する人たち」の活動家たちが食べ物や生活必需品を支援した。しかし、「難民村」のように最小限の生計を立てるレベルだった。寝床がなく、廊下の片隅にソファーを繋げて生活しており、10歳未満の4人の子どもたちは9カ月間にわたり、きちんとした教育も受けられなかった。ルレンド氏一家を支援してきたトゥリメディアのチェ・ユンド編集長は、「ルレンド氏の妻は歯痛がひどいにもかかわらず、まともな治療を受けることができず、痛み止めで我慢してきた」と語った。人道主義実践医師協議会が検診した結果、家族全員の健康状態が「応急状況」にあることが明らかになった。

 彼らが空港を“脱出”できたのは、裁判所が先月27日、ルレンド氏一家の切迫した事情を認めたからだ。法務省出入国管理事務所外国人庁を相手取って起こした行政訴訟で、ソウル高裁は請求を棄却した原審を破棄し、「アンゴラ政府の迫害から逃れようとする切迫した状況と見る余地もある」として、難民審査を受ける道を開いた。そのため、ルレンド氏一家は最高裁の確定判決が出るまで一時的に韓国で滞在できるようになった。

 ついに入国ゲートに立ったルレンド氏は、「子どもは学校に行かせ、(私は)他の人たちのように働きたい。韓国で私たちを助けてくださった方々に感謝する」と話しながら、微笑んだ。行くあてのないルレンド氏一家は入国後、京畿道安山(アンサン)の救世郡休憩所に1カ月ほど滞在することにした。人道的な理由から子どもたちを学校に行かせることは許されるが、まだ難民として認められておらず求職活動ができないため、生計は「難民共同行動」の募金に依存せざるを得ない。

 韓国に来てから9カ月ぶりに韓国の風景を初めて見るようになったルレンド氏一家がこの日、真先に向かったのは“サムギョプサルの店”だった。「難民と手を繋いで」キム・オジン代表は、「空港にいる間、ルレンド氏一家はきちんとしたたんぱく質の摂取ができなかった」とし、「ルレンド氏一家が空港の中にいる時、サムギョプサルが食べたいと言っていたので、近くにある焼き肉屋を予約した」と話した。

仁川空港/チョン・グァンジュン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
 

ある異邦人の痛ましい帰郷

登録:2019-10-12 10:14 修正:2019-10-12 16:18
 
 
ティエルの最後の荷づくりをしていた友達がそっと近づいてティエルの手をしっかり握っている//ハンギョレ新聞社

 「こんなにたくさんの人々が私を助けてくれるとは思いもしませんでした。身に染みるほどありがたいその気持ちを、そっくり抱いて故郷に帰ります」

 それぞれ異なる千万の人生が広がるソウル。アパートが連なるある町の路地の小さなワンルームの家で、ティエル(仮名)に会った。「コリアンドリーム」を抱いて韓国行きを敢行した多くの移住労働者たちのように、2001年、彼女も故国に残った家族とのより良い明日を夢見て人生の第2章を開いた。しかし今、ティエルは病気の体で帰郷を準備している。

 未登録移住労働者だったティエルは、これ以上痛みが耐えられなくなるほどになってやっと友達と病院を訪れ、子宮頚部がんステージ4の診断を受けた。医療陣は、抗がん治療を受ければ期待できる余生は2年、治療を放棄した場合は1年程度と見た。希望を失わなかったので、病症だけを考えるなら韓国で治療を受ける方がましだった。しかし、今も工場で3交代で働く仲間たちが、睡眠時間を割いて無理して彼女の面倒を見ており、治療を始めればかかる費用も負担できない状況で、最善を選択することは困難だったのだろう。ティエルは帰国を選んだ。

 韓国に到着したティエルが、この巨大な都市に跡も残さず浸透したように、彼女の旅立ちも日の出とともに消える朝露のようなものだろう。しかし、ジャケオ神父は彼女をそのように見送ることはできなかった。ジャケオ神父は、地域の様々な社会的弱者やマイノリティたちに奉仕する聖公会の龍山ナヌム(分かち合い)の家の院長司祭だ。仕事はあふれるほどだが財政はいつも足りず、団体は活動家までも減らしている状況であったし、コミュニティの中にはティエルのほかに他の患者たちもいた。

 
3交代勤務のなか睡眠時間を割いてティエルの世話をしている友達が彼女のようすをうかがっている//ハンギョレ新聞社

 しかし、ジャケオ神父はいろいろと悩んだ末に、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)にティエルの話を慎重に取り上げた。彼女が帰る本国は韓国に比べて医療環境が非常に悪い所なので、彼女のために最大限多くのお金を集め渡すつもりだと、それすらなければ本国で彼女が迎える命の最期の期間はもっとつらいだろうと。ティエルを保護するため、本名や国籍、正確な年齢も明らかにしなかった。しかし、話はシェアされてコメントが続いた。顔も知らない異邦人の安らぎを望む人々の思いが集まった。

 ティエルを訪ねた日、彼女は友人らに助けてもらいながら最後の荷物をまとめていた。韓国での暮らしは彼女にどのように記憶されるだろうか。彼女に何が残っただろうか。それでも彼女が故郷まで持っていきたい最も大切な何かが一つでもあるだろうか。キャリーバッグに衣類などこまごました生活道具だけが一つひとつ入れられていくのを見ながら、尋ねてみた。「韓国で出会った『人たち』」だと、ティエルは答えた。今彼女のそばで守ってくれる友達や龍山ナヌムの家のファミリー、顔も見たことのない自分のために気持ちを集めてくれた多くの韓国の人々を一人ひとり数えながら、ティエルは泣いた。手を休めてベッドに横になった彼女をなぐさめていた友人が、ティエルの手をしっかり握った。

 ティエルが直面した状況を初めて知った9月のある日、ジャケオ神父は「力のない人々の暮らしと権利はいつも後に押しやられる」と残念がった。しかし、「私たちは『今まさにここで』私たちの暮らしと権利を守り抜く」と立ち上がった彼に、多くの人々が手を差し出して力を添えた。もっと大きな“私たち”に快くなってくれた人々に、ティエルとジャケオ神父は心の底から感謝の気持ちを伝えている。今日差し出したあなたの手のぬくもりが、人々の心に火種として移り、いつか人生のある瞬間に再びあなたと出会うことを心から祈りながら。

イ・ジョンア記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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