幸福の芽 happy sprout みろく maitri

《心の時代へのパラダイムシフト》 自分の心をつかんで幸せになりませんか。幸福の芽を探して一歩前に出てみませんか。

「慈悲」の力

2011-01-03 03:50:00 | みろく 仏教
「心の科学2心の法則」については
また続けて書いていきたい。
今日は「組織づくり」について書きたいと思いながら、
優先的に大切なものを書いていく。
組織づくりについては「現代のコミュニティ」で
少し書いているがボランティア活動、特定非営利法人など、
組織を作るときのリーダーの考え方、注意していかなくては
ならないことを書いてみたかった。
そして継続するにはリーダーという立場の人が
その一代限りの組織とするのか、永続的にするのかを
最初から考えて活動をしていかなくてはならないと思う。
後日、書いていきたい。


このブログに「Master of Master」と書かれた
Inspirationがよく書かれているが、
既に長く語られている宗教や
現在ある数多くの宗教で言われる「Master」と
違いがあるだろうか。
通常宗教上の「Master」という存在があるが
「Master of Master」と書かれているのは
一言で言えば「地球神」である。
現存の他宗教でこの「地球神」のことを書かれていると
「地球神」自体は意識としてひとつなので内容が
重なってくることもあると思う。
そういう現象が起きているならそれぞれで内容、意味合いが
同じか、受け手で異なることがあるのかもしれない。

私のInspirationは「Master of Master」と書かれて
いるときは直接頂いているInspirationで書かれているので
この世界の人から頂いているものではないし、
誰かに操られて?書いているものでもない。
直接いただいている。
ブログを書く前から頂いていたので自分自身で驚きは
ないのだが考えてみたら大きなことだと本日あらためて考えた。
知人には話をしているが宗教を仕事としてしている人と
このブログの話をしたことはない。
だから誰かにとられそうということが起きるのか。
でもこのブログに手を出したらいけないと思う。


昨日、どなかたからかInspirationで「慈悲」の力について
尋ねられたので答えた。

弥勒は「慈しみ」という意味があると読んだことがある。
「慈悲」は弱いものか。
人が人に慈悲の行為をしようとするとき、あるいは社会に
対してや福祉などで慈悲というものを現そうとするとき、
ともすれば「優しさ」や「慈しみ」などの行為は
強くないもの、むしろ弱いものに感じるだろうか。
しかし、私が思う「慈悲」は非常に強いものに思う。

人がひとり慈悲の行為を行うことも非常にたいへんな力が
必要だと思う。
人が人に行為としてする「慈悲」は一人ひとりは
小さな思い、行為かもしれないがこれが集合となり、
また循環し始めたら大きなものとなる。
まして「慈悲」というものは仏性の中で最大の力を
発揮するものだと思う。
「慈悲」の行為を支えるのは信仰であり、だからこそ
仏さまの「慈悲」の力が大きく動くものだと思う。

信仰に裏づけされた「慈悲」は最大の力を発するとき
それは大きな力となると思う。





*追記
「地球神」という表現について書き添える。
大きくこの星としての地球文明を創る神としての
「地球神」という意味だったが、
以前このブログに書いたことがある「地球意識」は
「地球意識」と書いたほうがよいのではないかと思う。

心を深く向けてみた。メッセージのみを書くと
「私が大きく動くときは根本神仏の意志が働いているのだ」
ということだった。





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