私の中学生のときの思い出です。
当時は、日本でフォークソングが歌われ、ギターが流行りだしたころでした。
音楽の授業でも、いわゆるクラッシックギターを生徒が一人1台弾く授業でした。
学校が人数分の新品ギターを購入しました。
私はギターを手に取り、EmやAmのコードを練習していました。
練習し終わり、ギターを机に立てかけました。
すると、そのギターはスーと右に傾き、床に倒れました。
それとともに、ギターのネックが折れ、二つに折れ、弦でかろうじてつながっている状態でした。
みんなが驚き、教室は騒ぎになりました。
そのとき、音楽担当の先生は、職員室にいました。
「えらいことをしてしまった」。
私は職員室に行き、音楽の先生に謝りました。
その先生は、烈火のごとく私を叱りつけました。
折ったのは自分。叱られるのは、中学生なりに覚悟していました。
しかし、その先生の私への叱責は、私がふざけて遊んでいて、ギターを破損したと決めつけていました。
私は納得できませんでした。ギターを壊したのは申し訳なかった。でも、ふざけていたのではない。
先生からの決めつけに、私は反発を覚えました。
今になって思いますが、音楽の時間に先生は教室におらず、職員室にいたのです。
また、ギターを購入して生徒が初めて弾くのに、ギターの置き方の指導をしていなかったと思います。
ギターのネックを折ったのは、たしかに私の過失です。それは謝らなければなりません。
今なら、教室にいなかったことや事前の指導をしていなかった先生の責任も問われます。
しかし、当時はそういうことは、誰も言いませんでした。
私は、ふざけていたのではないことを、先生に言いました。
でも、先生はなかなか信じてくれませんでした。
私は、「あんな教師にはならない」とひそかに誓いました。
以前、ブログに書きましたが、小学生のときには須磨の海でもらったタコを、先生に取り上げられて、教室の水槽の中で殺されました。
そのときも、私は、「あんな教師にはならない」と思っていました。
この経験から、私が目指した教師は、「あんな教師にはならない」という反面教師でした。
そこで、教師になって今思うのはあの中学時代、先生は私にどう言えばよかったのかです。
私なら次のように言葉をかけます。
「きみのやったことは、失敗だ。それは反省しなさい。でも、きみが失敗したから、ほかの子が学ぶことができたと思うよ。」
「だから、きみはいつまでもおちこんでいたらあかん。みんなのために、代表して失敗したんだと思いなさい」
40年以上前の出来事ですが、いまの時代でも、三中生でも、こう言われた中学生は顔を上げ、笑顔になれると信じています。