人は感情のいきものです。
生活していく中で、喜怒哀楽のさまざまな感情をもちます。
望ましいのは、その感情を表にあらわすことができることです。
聞き手がおり、誰かが聞いてくれて、共感してくれると、話した側の感情が終息していきます。
これにより、その人は過去と区切りをつけるかとができるのです。
例えば、腹が立つことがあり、怒りという感情が湧き上がったとき、その怒りの感情を誰かが聞いてくれることで、「ああ、なんだかスッキリした」となるように。
しかし、感情を誰にも聞いてもらうことなく、共感されることがなかったら、区切りがつけれず、いつまでも過去をひきずることになります。
その感情が喜びや楽しい感情のときは、まだいいのですが、悲しさや寂しさ、怒りなどの場合は、心の中に残り、負の効果を生み出します。
心が苦しく、ときには折れそうになる。我慢する。それが積み重なってくると、溜め込むことができずに発散するとか、爆発したりします。
私も経験上、そのような生徒と接したことがあります。壁を蹴って悔しがったり、泣きながら足踏みをしたりする生徒に何度か出会いました。
がまんにがまんを続けてきた生徒ほど、平素はおとなしいので、その爆発し具合は凄まじいものです。
わけがわからない人は、それを「突然にキレた」たいう言い方で表現します。
その意味で、「キレる」は、たとえば回路が不具合になり、切れるというものではありません。
たくさんの水を溜め込んでいるところに、次の水が注ぎこみ、ダムが決壊して、水が怒涛となって放出されるという状態が「キレた」ということです。
大人は、比較的、この感情のコントロールを気がつかないうちに、うまくやっている場合が多いのですが、中学生はそうはいかないことが普通です。
ですから、負の感情を子どもの中に残さないことが肝要です。
そのためにも、教師や親は、子どもの話を聞く(聴く)、そして感情を共有する必要があるのです。
家庭でなら、母や父に、その日に学校であったことを聞いてほしいという場合には、耳を傾けてください。
聞くだけでいい場合もありますし、必要に応じて自分の経験談を語ることで、子どもは自分の感情に区切りをつけることができます。
それまでのことを切り離し、明日のことを考えることができるのです。