ミーマン日記

週1回ディサービスに夫婦で行って、楽しく過ごしています。

151回「斑鳩里・法隆寺」の旅ハイキング

2008-06-23 23:23:24 | 万葉関係
昨日は、「斑鳩里・法隆寺」のハイキングに行って来ました。

天気は、と、めまぐるしく変わる天気でしたが、23人の人が参加されました。

集合場所では、チョットしたハプニングが有りました。

大和路快速に乗るつもりが、大雨の為に快速が無くなり、普通になり・・・八時半に集まった人だけで、普通に乗り込み、後で来られた人達を置いてけぼりと言う事態になった。

時間が早くなったから、電車の中で宇治の人や、城陽の人達に携帯で連絡を取りながら~すると京都駅で、待っておられる人からで、8人集まっていますが、どうしたら良いでしょうかと・・・

とにかく後の電車で、奈良駅まで来てもらいドッキング、良かった。

法隆寺駅で、今日のハイキングコースの説明が有った後、「吉田寺」に向け出発・・・



吉田寺(きちでんじ)

千古の歴史を秘めた日本上代文化発祥の地、斑鳩の里に吉田寺がある。
世界文化遺産の法隆寺と万葉の古歌で有名な龍田川の中間に有り、竹薮や樹木の生い茂った森の中に、ひっそりとたたずんでいる。

創建は古く天智天皇の勅願と伝えられ本堂西側に天皇の妹君、間人内親王を葬るといわれる清水の古墳がある。

永延元年(987)に恵心僧都開基した。
通称「ぽっくり往生の寺」「ぽっくり寺」と呼ばれている。

本堂には、「本尊丈六阿弥陀如来像」が正面に安置されている。

なおお堂の中には、木魚が沢山置いてあり、お参りしました。(ご利益が有りますようにとお参りした)

次に「龍田神社」に向かう・・・



龍田神社は「聖徳太子」が法隆寺並びに斑鳩宮の建立について探していた所、神社のご託宣のお勧めにより、現在地に建立したと言われている。
神社のご祭神は、「龍田彦尊」である。

お昼になり、「斑鳩町役場」の前を借りて昼食

昼食後、藤ノ木古墳に向かう

この頃になると、天気もになり雨傘を日傘に使いかわかす。




藤ノ木古墳

藤ノ木古墳は、綺麗に整備され、展示が表にあり、古墳内は立ち入り出来なかったが、センサーで中の状態が少し見えました。

古墳前で記念撮影をした。

次に向かったのが、 「法隆寺」

西大門から入り、「西円堂」(国宝)に向かう

「西円堂」(鎌倉時代)拝観コースからはずれた西院伽藍北西の小高い丘に八角造りの円堂があります。(夢殿と同じ様式のものです)

此処で万葉歌を朗詠と解説・・・

資料9  斑鳩の 因可の池の 宜しくも 君を言はねば 思ひぞ我がする
  [歌意]斑鳩の因可の池のように、宜しくも世間は君を良い様に、噂しないので、何かと物思いする事よ。    作者未詳

資料11 家にあらば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥やせる 此の旅人あわれ
   [歌意]家に居たら妻の手を枕にしているであろうに、草を枕の旅路に倒れているこの旅人よ、ああ。    作者聖徳太子

この二首が、「斑鳩」の歌と思われる。

太子の業績 推古元年(593)摂政。 推古9年(601)斑鳩宮造営。 推古11年(603)小墾田宮遷都・冠位十二階制度・憲法十七条制定。
推古15年(607)法隆寺創建 推古15年小野妹子遣隋使{607}派遣・洛陽=煬帝「聖徳太子ー親書」を託す。
翌 推古16年(608)答礼使「ハイセイセイ」来朝。
小野妹子、答礼使「ハイセイセイ」を送って第二次遣隋使となる。



法隆寺(日本で始めての世界遺産に登録された)



夢殿(奈良時代)西暦601年に堂営された斑鳩宮跡に、行信僧都と言う高僧が、聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建てた伽藍を上宮王院といいます。その中心となる建物がこの夢殿です。八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子等身の秘仏救世観音像(飛鳥時代)を安置し、その周囲には聖観音菩薩像(平安時代)、聖徳太子の孝養像(鎌倉時代)乾漆の行信僧都像(奈良時代)、平安時代に夢殿の修理をされた道詮律師の塑像(平安時代)なども安置しています。
この夢殿は中門を改造した礼堂(鎌倉時代)と廻廊に囲まれ、まさに観音の化身と伝える聖徳太子を、供養するための殿堂としてふさわしい神秘的な雰囲気を漂わせています。