そろそろ遅い夏休みをとろうかとおもい、いろいろ調べています。
近江八幡へ行こうかとおもっています。
そこで宿を探していたら、
「武佐(むさ)」というところに江戸時代から400年続いている旅籠がありました。
この旅籠の紹介文に
「江戸時代、中山道66番目の宿場、武佐宿は川越藩の飛び地で松平藩であった」
と書いてありました。
驚きました、こんなところで川越藩がでてくるとは。
堅曹さんの日記の最初に川越藩の領地名がかいてあり、
「近江の内、郡名不詳」となっています。
ここのことだったんですね。 ( 追伸参照)
ということは、堅曹さんが京都へ行った時(文久4年 1864)には、
この藩領地の「武佐」で泊まっていたかもしれません。
ここは当時のこの旅籠もそうですが、本陣跡(下川家)や高札場跡などもあり、
古い宿場町の面影を色濃くのこしているそうです。
宿の案内文には「古い謡曲の本などもあり、歴史を語りたい方は是非」
と書かれているので、これは泊まるしかないでしょう。
早速に予約をしました。
追伸:夢酔い人Kさんから教えていただきました。
「川越藩の松平」というのは、堅曹さんの藩主である松平大和守ではなく、
幕末最後の川越藩主、松平周防守のことではないか。
武佐の地に松平周防守の陣屋跡があるのでそうだとおもう、ということでした。
堅曹さんのいた川越藩の領地ではないということです。
よく調べもしないで、早とちりのまま書いてしまい、大変失礼しました。
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