堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

中山道 武佐宿

2008-08-23 03:31:21 | 旅行

そろそろ遅い夏休みをとろうかとおもい、いろいろ調べています。

近江八幡へ行こうかとおもっています。


そこで宿を探していたら、

「武佐(むさ)」というところに江戸時代から400年続いている旅籠がありました。


この旅籠の紹介文に

「江戸時代、中山道66番目の宿場、武佐宿は川越藩の飛び地で松平藩であった」

と書いてありました。


驚きました、こんなところで川越藩がでてくるとは。

堅曹さんの日記の最初に川越藩の領地名がかいてあり、

「近江の内、郡名不詳」となっています。

ここのことだったんですね      ( 追伸参照)


ということは、堅曹さんが京都へ行った時(文久4年 1864)には、

この藩領地の「武佐」で泊まっていたかもしれません。



ここは当時のこの旅籠もそうですが、本陣跡(下川家)や高札場跡などもあり、

古い宿場町の面影を色濃くのこしているそうです。


宿の案内文には「古い謡曲の本などもあり、歴史を語りたい方は是非」

と書かれているので、これは泊まるしかないでしょう。


早速に予約をしました。


追伸:夢酔い人Kさんから教えていただきました。

   「川越藩の松平」というのは、堅曹さんの藩主である松平大和守ではなく、

   幕末最後の川越藩主、松平周防守のことではないか。

   武佐の地に松平周防守の陣屋跡があるのでそうだとおもう、ということでした。

   堅曹さんのいた川越藩の領地ではないということです。

   よく調べもしないで、早とちりのまま書いてしまい、大変失礼しました。


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