中津川 オンブズマン・トーク

中津川市の市政を中心に内外の政治経済社会状況についてのトーク

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高木金鵄君が亡くなりました。

2017-08-26 20:24:10 | 無農薬野菜栽培

坂下上鐘在住の 高木金鵄君 が さる7/21  車での自損事故で、殆ど即死状態で亡くなりました。 まだ80歳前の若さでした。自損事故とは・・・自分の軽で坂下神社の参拝道路を上から宮前通りに向かって降りて行き、宮前通りで右折したのですが、曲がり切れずに殆ど直角に近い状態で突っ込んでしまったようです。住宅の壁もしくは石垣に激突したようです。相当な運転経歴を持っていたのにどうしたことか・・・一旦停止のブレイキを強くふまなければならないのに、逆にアクセルを強く踏んでしまったのではないかと推察するのみです。

私と高木君の付き合いは20年にも及びます。はじめは坂下ゴルフクラブでてした。原かあんまり下手でしたので、練習場でアドバイスしてくれたのです。しかし原は一向に上達せず、現在はやめてしまっています。生涯100を切ることはできませんでした。そうしている間に 原は坂下町会議員、中津川市議会議員に出ました。原は昭和一桁生まれで、まるでアナログ人間でした。しかし議員になるとすべて手書き文書ではすまなくなり、ワープロやパソコンを使わなければならならなくなりました。そこで高木君が手ほどきをしてくれました。最低の文書は打てるようになったのです。

原はかって関西の巨大企業の労働組合の専従幹部でした。思想的にかなりハッキリしていたので、会社から憎まれ、組合内部に反対派が生まれ、役員を引きづり降ろされ、北海道「網走」へ「遠島」され、会社に在席しながら数年にわたって撤回の裁判を闘いました。のち会社と和解をし、60歳の定年まで勤めて、平成4年に定年退職して坂下に戻り家をたてて、議員活動などをはじめたのです。高木君ははじめは原の下手くそゴルフのレッスンアドバイサーでしたが、原の議員活動についても手伝ってくれるようになり、選挙など大変助けてもらいました。

こうした時、原は経歴からいまでも思想的には 「過激」 ですが、高木君はインターネットから広く政治情報を仕入れており、原よりとても穏健でした。しかし原の「過激」(思想上でのみ)にも逆らうことなく、原を助けてくれました。原はおととし中津川市議会議員を落選しましたが、その後付いても 「急にボケてはいけない」 ということで、このブロクを勧めてくれ、お陰で原は、サボリサボリですが、悪戦苦闘しているわけです。

高木君は残念なことになりましたが、心から冥福を祈るのみです。同時に原は コノブロクを続けられるかどうか?

 

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