中津川 オンブズマン・トーク

中津川市の市政を中心に内外の政治経済社会状況についてのトーク

パラリンピックに感動

2016-09-12 14:32:15 | スポーツ・教育

原 はもともとテレビ嫌いで、もっぱら活字派でした。しかし 転宅して食事をする部屋にテレビがあるので、自然に

見ることが多くなりました。

そこで リオオリンピック  体操団体金やその他名勝負をかなり見ました。凄いと思いました。卓球もバトミントンも

競歩もその他・・・。

しかしこれら競技は市民の日常とかけ離れた練成に練成を重ねたエリート達の、半ば商業主義に根差す営みだ 

と見ているところがありました。とりわけ 原 は日の丸 君が代 が大嫌いです。戦前この名のもとに、どれだけ

多数の尊い命が失われていったか、日本だけでなく地球規模で。金メダルを目指すのはいいが、日の丸 君が代

 なんていらないんです。

オリンピックに次いでパラリンピックが始まりました。これまでパラリンピックなんて見たこともありませんでした。

今回は今見つつあります。強烈な衝撃を毎日受けています。生まれながらにして片手片足のない人、事故や

病気で失ってしまった人。さらには生まれながらの精神障害者の人、目の見えない人、耳の聞こえない人  

こうした人たちのオリンピックなんです。

想うのです。  このアスリート達はここまで来るまでに、どれほどの苦しみ悲しみを乗り越えて来たことか、人生と

いう物は自分に障害やその他特別な事情がなくても、闘いの連続です。それに打ち勝って生きて行くように運命

づけられているのです。しかし このアスリート達ははじめから名だたるアスリート達ではない。単なる障害者で

あったはずです。この人たちは生きるその瞬間瞬間が、生死の境であったろうと思うのです。最近青少年の自殺

が問題になっています。この人たちは「自殺を考えない日はなかった」 また出生を恨まない日とてなかった 

 ということだってありうることだと思うのです。

 この人たちは何か偶然の機会に恵まれて、障害者のスポーツに接したと思うのです。そこで素晴らしい指導者

に出会うことも出来た。それでこのオリンピックに出場する、この爽やかな表情のアスリートになったのです。障害者

のスポーツに出会っても、良いコーチに出会っても練成の過程では、普通には考えられない苦しみや悩みや

行きつ戻りつがあったに違いない。そのすべてを乗り越えてこの人たちは今ここに立っているのです。 

 本当に偉い  無条件にそう思います。神のような人たちだ  とそう思います。

翻って自分   アタマは大いに悪いが、そして貧しい水のみ百姓の子倅だったが、一応「五体満足」に生まれ

て来た。障害を持って生れて来た人たちとなんと大きな違いだ。にもかかわらず84才の生涯  いったい何を

してきたのだ  と。  本当に悔みます。しかしもう遅い。仕方がない、悔んでパラリンピックの神のようなアスリート

を讃えて消えて行くのみです。