中津川 オンブズマン・トーク

中津川市の市政を中心に内外の政治経済社会状況についてのトーク

地元中津川高山放課後学童保育と仲良くなれそう。

2016-09-03 13:12:22 | 日記

原 は84才の高齢で、家内が病弱だったので子供なく、現在一人暮らしです。15年春の3期目の市議会議員選挙

に落選して(前回悠々6位で当選しているのに何故落選したか今もってわからない)現実に「終活」を考えなければ

ならなくなりました。そこで中津川市坂下の持ち家を売却し借家に入り、そこでいよいよいけなくなったら介護付き

有料老人ホームのお世話になり、そこで看取ってもらい(兄弟も全員亡くなって看取ってくれる身寄りがないので)

あとは葬式も通夜もなし、15年も前から岐阜大学へ献体登録済、遺体を引き取ってもらえる  という段取りをつけ

ているのです。

そこでこの5月から坂下矢渕から、この高山に借家して、暮らしているのです。どうしてここにしたか、一軒家で広い

空き地がついていること、、恵那山への眺望が最高。周囲は自然が一杯、終日鳥の声や虫の声、誰からも覗かれる

ことがなくて呑気。

さてそこで越してくるや家の周囲の空き地(元農地もしくは山地)を開墾して、菜園や花壇を作りました。

大変苦労しましたが、成功過程にあります。 トウモロコシは本人が焼いて齧るのを楽しみにしていたのに、

ひと足先に、シグマとやらにやられました。スイカもそうです。もぐのはまだ早いと思っているうちに、やっぱり

シグマでした。彼らはきように種を残して中身をすっかり。それでもスイカは数個自分で食べることができました。

うまい防護策を考えたからです。ああその美味しかったこと。

次に枝豆がたくさん実りました。自分も食べました(ビールが美味かった)。そこで思い出したこと  坂下矢渕時代に

枝豆がたくさん出来たので、家の前にあった坂下学童放課後保育にオヤツに差し入れて喜ばれたこと。そーだここ

高山にも学童保育はあるに違いない。差し入れに行ってみよう  と。

昨日枝豆を一抱え収穫して行ってみました。原は見ず知らずの人間ですから受け取りを断られると思いきや歓迎

でした。そればかりか 原 は北海道時代から放課後学童保育に重大な関心を持っていましたので、そんなことを

話すといたく共感され感激しました。

こうして仲良くなりました。この次はサツマイモを差し入れたいと言うとそれも歓迎するとのことです。何故なら子供達

には甘いスナックよりも自然のオヤツの方が断然好ましいからです。

こうして原は85才の老人ですがこのブロクでボヤ居ているばかりでなく、凄い意義のある仕事を見つけました。

これからさらに畑を広げて学童たちのオヤツつくりにいそしみます。(自分楽しみの花壇作りの話はいずれまた)。