中津川 オンブズマン・トーク

中津川市の市政を中心に内外の政治経済社会状況についてのトーク

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5月21日満85歳になりました。

2017-05-25 14:00:13 | 日記

 

いろいろあってしばらくご無沙汰申し訳なし。首題の通り満85歳です。同級生の男子の

半数は死去しました。残り半数のその半数は、杖、補聴器、車椅子のお世話になってい

ますが、原は杖なし、車(ポンコツの軽乗用車)の運転は悠々、老眼鏡のお世話にはなっ

ていますが、新聞4紙毎日精読、ブロクで安倍首相を野次っている始末です。畑は約100

坪に増やしました。まだまだ一杯報告したいが、とりあえずここまで。


 草ぼうぼうの土地を野菜の獲れる畑に変身させています。5月23日の野菜畑です。

85歳になったので、「終活」のために矢ブチの持ち家を売却、高山のこの家を借家しました。

広い空き地が付いているので、菜園をしたり、花を咲かせて高齢独居を慰めるのです。


      左かぼちゃ20本。40個採って福祉施設へ寄付のつもり。


   ソラマメが実ってきました。放課後学童保育の良い子達にオヤツとして、と考えていま

    すが、果たして食べてくれるか?

 


下キャベツとブロッコリー、よくできました。写真は収穫して福祉法人へ寄付した後です。




玉ねぎ300本。よく出来ましたが、マルチの穴から延びるスギナは取りきれませんでした。

玉ねぎこれも寄付します。


ニンニクを100本ほど。自分のアンチエイジングの薬です。焼肉いため肉にはたっぷり使います。

 


空き地がまだまだ広いので、直経1m程のスポット開墾をして丈高い黄金のヒマワリを植え、

 地上にはスイカ30本を植えて這わせ、夏に60個を採るつもり。軽トラをレンタルして、学童

 保育所や福祉施設に配り歩きたい。



 


 左は軸を食べる西洋野菜(名前失念ボケタ)幼苗。右はネギ(他にもたくさんある)。福祉施設

 (職員ともで80名)はネギはいくらでも必要ということです。

 

じゃがいも3畝。60K採るつもり。男爵とメークイン半々。玉ねぎ人参と併せてカレーの材料。

福祉施設へ。左奥は夏大根とにんじん。


左の人参はカレーの材料。間引きの暇がありません。


ねぎ小松菜ほうれん草です。このねぎは下仁田ねぎ。秋焼き鳥の材料にしてもらうつもり。


さつま芋40本を植えました。だが日照り続き、枯れてしまいました。25日久しぶりに雨。急拠

苗を買いなおして植え直ししました。昨年学童保育の子供にも、福祉施設にも大好評でした。

畑が赤土であるので焼き芋がとてもおいしいのです。



何がなんだかわからないような野菜畑ですが、あと1ヵ月経てばはっきりとわかって

きます。ご期待ください。

 

 

 


 

 

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早速 来客2人

2017-01-08 12:05:36 | 日記

正月に古くからの知り合い、かっての戦友、など30人ほどから年賀状を貰いましたので、

近況報告を兼ねてその返書を3日前に送りました。同時にこのブロクに自己紹介を兼ね

て載せた次第です。

そうしたところ今日8 日 (日)朝から年賀状の返書(ブロク内容と同じ)を受け取った2人の

友人(一人は中津川、一人は山口)が早速来てくれました。 「原さんのそうした生活が見

たい」というのです。

幸いこの広い土地にまず花壇を設けて、ここへ来たのが5月でしたから、アジサイの花壇

を作ったこと、坂下病院の2階の花壇をベコニャやひまわりで一杯にした経験から、それら

を植え、さらにちょっとしゃれて、バラのアーチも作り、秋に向けて山茶花を20本も植えて

今赤い花が咲いていること、さらには学童保育の子供たちのオヤツに、ブルーベリーを

20本も植えたこと、開墾した野菜畑などを案内して見せました。そうしたところ2人は 「さす

が原さん」ということで、ほめてくれました。

家に上がってお茶を飲む間に、この独居老人の 「終活」 の話になり、 「原は 献体 で、

通夜も葬儀もなしだ」 が問題になり、「原さんはいろいろ人のためになった人だから、通夜

や葬儀ぐらいやらなきや」 ということでした。 とこんな話に花を咲かせました。これまで転

を知らせていなくて、また消息も知らせていなくて、訪れる人とてなかったのですが、おか

げでさっそく楽しい時間を持つことができました。 今後も  

「どーれ」  ということで、来て下さる方がおられましたら、大歓迎したいと思います。

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到来年賀状に対する返書  そのまま

2017-01-08 04:43:00 | 日記

          〒508-0204  岐阜県中津川市高山87-11   原昌男 発 

      (自宅IP電話/FAX : 050-1159-9314   携帯:090-1624-1292 )

  (E Mail : mhara521@yahoo.co.jp  ブログ : 中津川 オンブズマン・トーク

 皆    様

 年賀状を有難うございました。ご家族お揃いでよいお正月をお迎えになり、何よりと

存じます。私儀も天皇陛下より1歳年上で今年85才になります。学校同級生男子は

半数が亡くなりました。 が私は幸い杖なしで歩きまわり、背中も腰も曲がっておらず、

痛くもありません。目も老眼の他ははっきり見え、耳も問題なく聞こえます。車の運転

免許証も手放していません。軽自動車を乗り回しています。ヒヤリハットの運転もあり

ません。従って認知症にはなっていないつもりです。また昨日血圧測定をしたところ、

上125下75でした。バッチリです。母方の祖母は98才まで生き、母は94才まで生きま

した。「俺も継ぐか・・・」とうそぶいていますが、精神が素直でないから到底無理でしょう。

 1昨年4月の市議会議員選挙で、最下位得票数で落選しました(得票 前回の2分1)。

政務調査費など何も悪いことはしていないので不可解でした。しかし1年してその謎も

解けました。原昌男の選挙は 「選挙の主張は月3回ほど市全戸に折り込んでいるオン

ブズマン新聞の通りです。よろしかったら票をお願いします」 でした。 しかしこの態度

ではこの田舎では通らないと言うことです。ひたすら深くお辞儀して、半ば憐れみを込

めて、票を乞い願わなければならないと言うことです。原はそんな選挙は選挙民を愚弄

することだから、いっさいしなかったのです。落選の原因はそのあたりでしたから、今は

かえってサバサバしています。同時に85才ですからすべてから引退です。

 こうしてこの歳になりました。家内は一生病弱で12年前に亡くなりました。子供も従っ

て孫もありません。5人居た兄弟もすべて亡くなり、数人居る甥や姪も地元には居りませ

ん。今や文字通り天涯孤独の独居老人です。従ってそろそろ 「終活」 を考えなけれ

ばなりません。そこで会社定年後にこの故郷坂下で建て、20年余住んで来た家を処分

しなければならなくなりました。処分して介護看護看取り付き有料老人ホーム行きを考

えました。だがまだ少し早いので、その前に1戸建てを借家してと言うことにし、前記 

 中津川市高山  のこの住所に借家して転居しました。昨年5月のことです。 

転居案内をしていなくて申し訳ありません。こうしてしばらく住んで、介護看護看取りを

要するようになった時はそうした有料老人ホームへ移ります。そこで最後の看取りをし

てもらって、通夜も葬式もなし、10年も前から岐阜大(医)へ献体登録していますから、

遺体をとりに来てもらい、解剖がすんだら火葬さえしてくれます。墓はすでに亡き家内

の墓が京都の寺に永代供養付きであります。墓石には亡家内の名前と並んで昌男の

名前も刻んでありますから、遺骨を放り込んでもらうだけです。そののち墓を参ってくれ

る人はだれも居ないと思っていましたが、永代供養付きですから寺の坊さんが1年1回

お経を読んでくれると言うことです。

生前碌なことしていないから、地獄行きにきまっていると思っていましたが、プロがお経

上げてくれると言うのですから、もしかしたら極楽へ行けるかもです。

 さてこの一戸建て借家ですが、海抜約500M、恵那山に向かい合う展望絶佳の地に

ります。地元の開発業者は「中津川の軽井沢」とか言っています。広い空き地がつい

いますので、早速花壇を作ってひまわりやバラを植えて楽しみ、菜園を20坪ばかり開

して無農薬野菜作りを始めました。自分用にです。しかし独居のことですから、消費

追いつきません。そこで近くにあの惨劇のあった相模原市「やまゆり園」様の福祉施

があり、50人ほどを収容しているので、そこえ貰ってもらえないかを頼んだところ、大

びで貰ってくれると言うのです。昨年中に5回ほど各種野菜を運びました。たびに施

長が礼を言ってくれます。野菜が高いから助かるとおっしゃるのです。また近くにこ

地の「放課後学童保育所」があります。枝豆がとれた時、持って行って「子供のオヤ

は甘い菓子ばかりではまずいと思う。枝豆のような素朴な故郷の味をこそ」と勧めま

た。ここも指導員たちが大喜び。その後サツマイモも持って行きました。こうしてもう

残の身でしかない原昌男も偉い働きがいを見つけました。欣喜しています。この冬

畑を倍増するつもりです。

無農薬で品種も量も一段と増やします。こうなるとボケてはいられないなあー です。

 今大体こんな生活をしていますが、しかしかって高校生の頃 「万国の労働者 団

せよ」  スローガンに感激し、会社就職後は早い時期に労働組合幹部になり、女

差別反対、臨時工精度は許さない等運動をやりまくり、会社から憎まれ、組合内に

反対派が生まれ、役員から引きづり降ろされ、遠く網走まで島流しにされました。

屈せず島流しに応じながら、撤回の裁判を闘いました。退職後も故郷で請われて町

会議員や市会議員をやり、孤立を恐れず一貫して無所属 「市民派」 。許せないこと

が幾つもあって、町長や市長や岐阜県知事を相手に裁判を闘いました。私(原告)の

側は弁護士なしの全部本人訴訟、被告席には弁護士が5人と云うこともありました。

歳はとりましたが、この「血」は変えられません。幸い昨年前記のような終生までの新

たな仕事が出来ました。しかし世界の政治情勢について、関心は燃え上がるばかり

です。地球は世紀の大変動の時期に入ったと見ます。アメリカの大統領選、フィリピ

ンの大統領選、イギリスに始まるEUの危機。中国の体制さえ明日をもしれないと思

ています。韓国の大デモはどうですか、頼もしいですね。その韓国、釜山に新た

慰安婦像が押し建てられたという。凄い。日本帝国主義のこの許せない恥ずかし

悪行は、地球のすみずみまで永久に刻印されておくべきなのです。

それにしても安倍政府はひどいですね。何とかして葬ることはできないのか。

原も畑は手ぬかりなくやりますが、中津川でのデモの時は一人ですが今年からは

ず参加するつもりです。会社定年退職後もこんなに永きわたって年賀状を賜り嬉

くて、近況報告を申し上げました。まだまだ10年やそこいらは、元気でやるつもり

すから他事ながらご安心ください。同時にお互いにです。

また原はインターネットにブロク [中津川 オンブズマン・トーク] を持っています。

とぎれとぎれですが、近況を報告したり、安倍政権を品悪くやじったり、自分の頼り

なをさぼやいたりしています。ついでがありましたら覗いて見て下さい。

終わりに重ねて本年1年のご多幸を祈念申し上げております。                

                                                                                                   敬具

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山中で日本猿の群れに遭遇しました。

2016-12-03 18:31:46 | 日記

お昼ころ坂下に所要があって、山中のR256を車で走っていました。前方を日本猿の10頭ばかりの群れが左から出てきて、R256を

そそくさと横断して右の山の中に消えて行きました。これだけならこれまでも遭遇した経験があり、別に何とも思いませんが、今日の

場合その行列の最後尾は、子供を連れたお母さん猿だったことです。

子供猿は2頭でした。1頭は人間でいえば1~2才くらいの感じで、母親の背中にしがみついていました。もう1匹の子猿は3~4才と

いう感じで子供を背負った母親にぴったり寄り添って歩いていました。 母親の背中の子猿は、母親の背中の真ん中に背筋をピン

と建ててまたがっているのではなくて、背中最後尾にまるでズリ落ちそうに懸命にしがみついていると言う感じでした。しかしお猿の

オンブはこれが普通なのだと思います。 こうしてお母さん猿は小さい子を背中に、上の子の手を引いて、群れの最後尾を・・・でした。

前を行った10頭ばかりは、子供を連れていません。ボス的なオス猿や雌雄の若者たちだったのでしょう・・・普通で軽やかでした。

そう見えました。しかし唯一子ずれのお母さんは背中の子に神経を使い、上の子の手を引いて・・・大変だろうと思いました。

そこで思った事  お猿の世界でも 子供を産むのはオンナ、だからオンナが子供の世話をする。男も時には子供と遊んでやるが、

一か所に滞留したりするときだけ。責任がない。女はおむつの世話から食べることから、しつけから何から何まで・・・本当に大変です。

この点人間も猿も同じです。人間の世界では、子供産みから家族の食事仕たくから、あとかた付けまで普通に女の仕事です。新聞を

読む暇もない。従ってものの見方が狭くなることがある。この事が今日問題の  「格差社会」  を作る根本の "もと" になっている

のではないか。 またこの事に発していわゆる社会主義国家が崩壊し、また現在も崩壊の危機にあるのではないか?・・・・と。

そうすると人間のこの社会はどうしても、真に平等で、格差のない社会はあり得ない  ということになるのではないか。  チェゲバラは、

そのことに耐えられなくて、フィデルと袂を分かってアフリカに赴き、最後はボリビァの山中に消えたのではないか。人間は本当に

可能なのか・・・が、今日の想いです。

 

 

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地元中津川高山放課後学童保育と仲良くなれそう。

2016-09-03 13:12:22 | 日記

原 は84才の高齢で、家内が病弱だったので子供なく、現在一人暮らしです。15年春の3期目の市議会議員選挙

に落選して(前回悠々6位で当選しているのに何故落選したか今もってわからない)現実に「終活」を考えなければ

ならなくなりました。そこで中津川市坂下の持ち家を売却し借家に入り、そこでいよいよいけなくなったら介護付き

有料老人ホームのお世話になり、そこで看取ってもらい(兄弟も全員亡くなって看取ってくれる身寄りがないので)

あとは葬式も通夜もなし、15年も前から岐阜大学へ献体登録済、遺体を引き取ってもらえる  という段取りをつけ

ているのです。

そこでこの5月から坂下矢渕から、この高山に借家して、暮らしているのです。どうしてここにしたか、一軒家で広い

空き地がついていること、、恵那山への眺望が最高。周囲は自然が一杯、終日鳥の声や虫の声、誰からも覗かれる

ことがなくて呑気。

さてそこで越してくるや家の周囲の空き地(元農地もしくは山地)を開墾して、菜園や花壇を作りました。

大変苦労しましたが、成功過程にあります。 トウモロコシは本人が焼いて齧るのを楽しみにしていたのに、

ひと足先に、シグマとやらにやられました。スイカもそうです。もぐのはまだ早いと思っているうちに、やっぱり

シグマでした。彼らはきように種を残して中身をすっかり。それでもスイカは数個自分で食べることができました。

うまい防護策を考えたからです。ああその美味しかったこと。

次に枝豆がたくさん実りました。自分も食べました(ビールが美味かった)。そこで思い出したこと  坂下矢渕時代に

枝豆がたくさん出来たので、家の前にあった坂下学童放課後保育にオヤツに差し入れて喜ばれたこと。そーだここ

高山にも学童保育はあるに違いない。差し入れに行ってみよう  と。

昨日枝豆を一抱え収穫して行ってみました。原は見ず知らずの人間ですから受け取りを断られると思いきや歓迎

でした。そればかりか 原 は北海道時代から放課後学童保育に重大な関心を持っていましたので、そんなことを

話すといたく共感され感激しました。

こうして仲良くなりました。この次はサツマイモを差し入れたいと言うとそれも歓迎するとのことです。何故なら子供達

には甘いスナックよりも自然のオヤツの方が断然好ましいからです。

こうして原は85才の老人ですがこのブロクでボヤ居ているばかりでなく、凄い意義のある仕事を見つけました。

これからさらに畑を広げて学童たちのオヤツつくりにいそしみます。(自分楽しみの花壇作りの話はいずれまた)。

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