ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

人造電気

2008年12月24日 09時39分35秒 | 雑感
人が敷石を踏みつけることによって電気を起こすことができるらしい。
また、音の振動によっても電気を起こすことができるらしい。
そうすると気まぐれな自然の風などに頼ることも無く安定した電気を供給することができるようになるだろう。
都会の人通りの多い道路や、高速道路や工場などの騒音など利用できるから。
人間自体が、あるいは人間が作る環境自体がエネルギーの資源になるということは画期的なことではないだろうか。
これはもっといろんなことに利用できそうだ。

椅子に座ると体重でモーターを回して電気を起こす。
これなんかすぐ利用できそうな気がする。
映画館やコンサート、学校の授業、会議など長時間、継続的に座るときなど、ただ座るだけではもったいない。
電気を起こしてホールや会場で使用する電気代くらいは利用者でまかなうことができるだろう。
それに座ってるだけで十分役に立っているので授業や会議で安心して居眠りができる。
とりわけメタボ人間は人一倍電気を供給することができるので、これからは自信を持って生きることができるだろう。
今までは道路が傷む元凶ではないか、とか地球温暖化の一因ではないか、とかあらぬ疑いをかけられてきっと気に病んでいただろうから。

メタボが気になりだすとほしくなるのが万歩計。でもあれってちょっとむなしいね。数字が上がったからといって結局何の役にも立たないから。そこで歩くと充電できる機能をつけたらどうだろう?
今日は何歩、歩いた・・・。ではなく今日は何ワット歩いた!
そしてその分を携帯に充電する。それで歩いたらもう携帯機は充電する必要は無くなる。これなら誰だって楽しく歩くことができるだろう。

すぐ切れる人間は、今までは危険なだけだったけど、これもこれからはもっと有効に利用できるようになる。
切れてる時と切れてない時の体温の差は人一倍大きいだろうからこの温度差を利用して電気を起こさせる。
そして絶えず怒らせておくと安定した電気が得られる。
もっともそのうち怒るのがバカらしくなって切れるのを止めるようになるかもしれない。
それでいかに怒りを継続させるかがこれからの課題になるだろう

貧乏ゆすりも利用しない手はない。
無駄に足をゆするのでなく、その運動を利用して電気を起こす、そしてその電気を売ったら金にもなる。
これからは「貧乏ゆすり」ではなく「金持ちゆすり」と呼ばれるようになるだろう。
しかし貧乏ゆすりは安定したエネルギーの供給源になるのはちょっと難しい。
水力発電や原子力発電に対する火力発電としての位置づけが適当だろう。

そこで安定した供給源として、まぶたの運動を利用してはどうだろう?
人はいつもまぶたの上下運動をする。
この動きを無駄にするのはもったいない。
この動きを利用して電気を起こすとまさに無尽蔵にエネルギーを得ることができる。

しかしせっかくの瞼の運動も寝てるときは利用できない。
でも寝てる時でも人は息をする。
そこで鼻の先にチューブをつけて空気の出し入れを利用して小さなプロペラを回して電気を起こすようにしよう。
すると一日中安定した電気を供給できる。
これで世界のエネルギー問題も温暖化問題もすべて解決するだろう。
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