ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

水晶

2018年08月16日 18時36分12秒 | ニュースの中から
「周防大島町家房で行方不明になっていた、防府市の藤本理稀(よしき)ちゃん(2)が3日ぶりに見つかった。2歳になったばかりの幼い子どもの無事を信じ、捜索に参加していた住民らからは安堵(あんど)と喜びの声が聞かれた。」

このニュースを見てシュティフターの「石さまざま」の中の「水晶」を思い出した。
小さな兄弟が山に迷い込みそして日が暮れ、岩陰で一夜を明かす。
そこには一面に水晶が・・・その水晶の描写がとてもきれいだったので、
もうずいぶん昔に読んだのだけど記憶に残っている。
翌日村の人が総出で子供たちを探す。そして最後にやっと見つかったのは、大人でも上るのがとっても厳しい高い山の崖。

「こどもは高い所に行く習性がある」という助けたボランティアの人の言葉を聞いてこの「水晶」を思い出した。
探す側はつい大人の常識を持ってしまう。
こどもはこんな高いところまでは来ないだろう・・・とか、
こんな遠くまでは来ないだろう・・・とか。
そこでどんなに人をかけて探しても、ついつい常識的に探してしまう。

もう10数年前、ここからわりと近くの粟倉というところで小さな兄弟が山に迷い込み亡くなった。
このときも大規模な捜索が行われたが見つからなかった。

大規模な捜査は必要ないとは言わないけど、しばしばその捜索は捜索責任者の常識に左右されるのではないだろうか?
捜索の責任者は遭難した人を探す以上に捜索者の安全を考える。
捜索してる人ももっと別の所も探したい、と思ってもそこは団体行動、制約される。

それで大規模捜索とともに、今回のボランティアの人のような自由な捜索もまた必要だと思う。
コメント
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