ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

竹田城

2012年02月23日 16時43分56秒 | 田舎暮らし
昔から一度は行ってみたかった城、竹田城跡に行った。
竹田城といってももちろん「荒城の月」で有名な大分の竹田城ではない。
同じ兵庫県・朝来市和田山町竹田の竹田城。
天空の城とか日本のマチピュチュとかいわれている竹田城。
ミドリを迎えに行くついでに、ちょっと足を伸ばして行った。

あいにく雪が積もってて、城の駐車場へは通行止め。
それで下から歩いて上った。
久しぶりの山登り・・・といっても道はきれいに舗装されている。
30分くらいかかったけど、雪さえなかったら手軽な山登りだ。



ここの魅力はなんといっても石垣がそのまま残っていること。
そして城跡からの下界のすばらしい景色。
中世の山城と言うと普通石垣はない。
専門家に聞かないと城があったことさえもわからない。
竹田城も最初作られた時は石垣はなかった。
豊臣秀吉の弟の秀長が城主になってから、石垣がつくられたという。
普通城は移築されるときは石垣も壊されて新しい城の石垣になる。
でも廃城になった時は江戸時代の初め。
もう城を新築する必要のないときだったので、運よく石垣が残されたのだろう。













観光客は多くはなかったけど、ぱらぱらだったけど、それでも意外と大学生風の若いグループが目立った。
城跡見物はたいてい中年か初老の人と言うイメージとは違って、この城は若い人にも人気スポットなのだろう。

城から見下ろす景色がいい。標高はそんなにないだろうけどずいぶん高く感じられる。







ここまで攻め上るのはかなり大変で、敵に、お疲れさん!とでも言ってあげたいところだけど、
戦ともなればそんなわけにも行かない。
しかし戦とはいっても、殺し合いをするのはわずかな日で、きっとほとんどは待つだけの日々だったろう。
敵が来るのを待つ、援軍が来るのを待つ。
そんな時何をしていたのだろう。
夏だったらいいけど、冬、寒い日は。
暖房は火鉢だけだったのだろうか?
石油ストーブや電気炬燵があったとはどうも思えない。
それとも炭のコタツがあったのかもしれない。
天守閣の一番上で、外の景色を眺めながら、コタツに入って、朝から燗酒をちびりちびり。
肴は下を流れる丸山川の魚の干物。
退屈だなぁ・・・早く敵が来ないかなぁ・・・
でも敵が来たら、ごめん!といってささっと逃げ出す。
そんな戦ならやってもいいな。
・・・なんてどうもいつものことながら軟弱なことを考える。

この城はカメラマン憧れの城。
特に雲海のときがいい。
それで写真をいっぱいとったけど、まだ新しいデジカメに慣れてないので、すべてオートで撮った。
それでできは今ひとつ、というか今2つ、いや今3つくらいか、ピントもあっていない。
観光写真みたいには行かなかった。
何度か通わないといい写真は撮れないだろう。

参考までに、(多分)プロの写真を載せておこう。

http://www.tomorrowearth.com/2008/08/takeda-castle.html
コメント
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