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プリーモ・レーヴィ『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』

2011-03-25 00:19:00 | ノンジャンル
 ジャレド・ダイアモンドが推薦していた、プリーモ・レーヴィの'47年作品『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』を読みました。実際にアウシュヴィッツ強制収容所に収容された著者が書いたノンフィクションです。
 '43年12月13日に24歳だった著者はファシスト軍によってイタリアで逮捕され、ユダヤ人としてモーデナ近郊のフォッソリに送られ、アメリカとイギリスの戦時捕虜用の広大な抑留収容所に入れられます。そして翌年2月に移動を命じられ、列車に詰め込まれます。その旅行中、著者らが底なしの絶望という表面にとどまっていられたのは、ひとえに不自由な環境、殴打、寒さ、渇きのおかげでした。ポーランドのビルケナウに到着すると、収容所に入ったのは96人の男と29人の女だけで、残りの5百人を超える人たちは、1人の例外もなく、二日と生きていませんでした。持ち物はすべて没収され、裸にされて髪を刈られ髭を剃られます。そして足が水に漬かったままシャワー室に長時間放置され、やっとシャワーを浴びられた跡に、自分のものではない縞模様の服と木靴(脱走できないように)を支給されます。それからは家、衣服、習慣など、文字通り持っているものすべて、愛する人とともに奪われた、魂の抜けた存在として、毎日を生きることとなります。すべてのものを役に立たせるようになり、たとえば、針金は靴をしばるにに、ぼろきれは足当てを作るのに、紙は上着の中に詰め込んで寒さを防ぐのに使われるようになります。爪は歯で噛み切るしかなくなり(足の爪は靴の摩擦で十分)、便所や洗面所に行く場合には、持ち物をみな持っていく必要があるし、顔を洗っている時は、膝の間に衣服の包みをはさんでおかなければならない、というのもそうでもしないと一瞬のうちに持ち物は盗まれてしまうからです。毎夜悪夢にうなされますが、そんな生活の中でも物々交換の市が立ちます。著者はやがて化学コマンドーに選ばれますが、それは名ばかりの知識階級で、かえって労働は重くなります。'44年8月になると連合軍による爆撃を受けるようになり、一方で著者はイタリアの民間人労働者から6ヵ月にわたってパンや配給の残りをもらえるようにもなります。やがて10人中7人が死ぬ冬がまた到来しますが、著者は研究所勤務の3人に選ばれ、九死に一生を得ます。そして'45年1月11日に著者は猩紅熱にかかり、病院施設に入院し、その後、1月18日にドイツ兵は健康な収容者を連れて移動したため、著者は収容所に残されます。そして何とか食糧と水を確保した後の1月27日にロシア軍によってようやく救出されたのでした。
 アーリア系ドイツ人の政治犯や刑事犯も同じ収容所にいたこと、彼らもユダヤ人と同じ縞模様の服を着ていたのですが、刑事犯は上着の番号の脇に緑色の三角形を縫い付けていて、政治犯は赤い三角形を縫い付けていたこと、収容所の中にも連合国のノルマンディー上陸、ロシア軍の攻勢、ヒトラー暗殺計画の失敗のニュースが届いていたことなど、今までに知らなかった事実も多く知りました。アウシュヴィッツの実録物として、興味のある方にはおススメです。

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