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深作欣二監督『仁義なき戦い・広島死闘篇』その1

2014-06-20 10:46:00 | ノンジャンル
 深作欣二監督の'73年作品『仁義なき戦い・広島死闘篇』をWOWOWシネマで見ました。
 “昭和25年”“広島”の字幕。村岡組が台頭している。博打で“山中正治(のち村岡組々員)”(北大路欣也)がいかさま札を使い、村岡組の者に半殺しの目に会うが、その後刃物を取り出し、先ほどの者たちに斬りかかる。“山中正治 傷害罪 懲役2年”。刑務所で暴れて独房に入れられた山中は呉の広能組々長・広能(菅原文太)に飯を差し入れてもらう。“昭27.3.21 山中正治 仮出所”。飯屋の女従業員のヤスコ(梶芽衣子)に飯代の代わりに働かせてほしいと懇願した山中は、ヤスコが村岡の姪だということで、村岡組の者に暴力を振るわれるが、そこへ“大友勝利(のち博徒 大友組々長)”(千葉真一)”がやって来て山中をかばう。そして勝利の父“大友長次(テキヤ大友連合会々長)”(加藤嘉)と“倉光俊男(のち二代目会長)”、“中原敬助(同会幹部)”(室田日出男)がやって来て、勝利の行動を諌め、“村岡常夫(村岡組々長)”(名和広)と“松永弘(村岡組若衆頭)”(成田三樹夫)が山中を引き取る。
 村岡は松永、“江田省三(村岡組幹部)”(山城新伍)、“高梨国松(村岡舎弟)”(小池朝雄)と一緒に山中に身の振り方を聞くと、山中は極道の道に進みたいと言う。村岡は山中を高梨に預け、腕時計を山中に贈る。夜、酔ったヤスコが屋台村に寝に来て、額にキスしてと山中に言うと、山中はヤスコを抱き、娘とも遊ぶようになる。そこへ高梨と松永がやって来て、山中を叱り、旅に出す。
 “九州 飯塚”。竹原一家に世話になって1年経つ山中は村中に呼び出されて拳銃を渡され、村中のライバルを射殺する。口笛を吹いて笑う山中。この件は迷宮入りとなるが、暴力団の世界では評判となり、山中は晴れて帰参を許され、後見人に高梨、見届け人に“景浦の舎弟・時森勘市”(遠藤辰雄)、媒酌人に“長老・景浦辰次郎”を立てて村岡の盃を貰う。しかしまもなく抗争が起きる。
 “昭和30年 広島競輪場”。警備を請け負った村岡組に対し、大友組はトイレで花火に火をつけて騒ぎを起こす。対応に追われる“南良坂誠(広島市議)”(小松方正)。“石田栄輔(広島警察次長)”は大友にも競輪場の理事をしてもらうことを村岡に提案する。大友長次は勝利に、村岡とは義兄弟だと言うが、勝利は今のうちに村岡を討たないと広島を独占させられてしまうと言い、長次は勝利との縁を切る。勝利の賭場に松永がやって来て、縄張を荒らすなと言うが、時森が現れ、松永は去る。ナイトクラブで乱痴気騒ぎをする勝利。村岡は時森に絶縁状を出す。鍼灸師(潮路章)に灸を据えられる村岡組。そこへ大友組が殴り込みをかける。“昭30.3.16 村岡・大友第1次抗争 死亡2名 重軽傷8名”。
 “呉市”。山守と絶縁した広能は小さいながら広能組を構えている。“島田幸一(広能組々員)”(前田吟)。山守は時森を連れて来て預かって欲しいと言うが、広能は盃は返したはずだと言って断る。野良犬を捕まえて広能に食べさせる手下たちは、それが広能にばれ叱られる。預かった時森は待遇に不満を述べる。山中が広能に会いに来るが、広能は時森は自分が預かっているので、黙って帰れと言う。しかし山中は手ぶらでは帰れないので時森が1人になるのを待つと言い、広能は時森を追い返し、居場所を教えると山中に言う。広能は時森を山守の許に帰そうとするが、時森は女の家で着替えたいので、勝利の隠れ家の質屋で待っていてほしいと言う。そこで待っていた広能の許へ山守から電話が入り、なぜ黙って時森を帰したと詰問される。勝利はそれを盗み聞きし、広能を殺そうとするが、広能は逃げ出し、時森を女の家に訪ね、山守の言伝をドアの下に差し出し、それが室内に引き入れられるところをドア越しに時森を撃つ。“昭30.3.27 時森勘市死亡”。
 ナイトクラブにいる山守と村岡の許に広能が現れ、時森を殺ったと報告し、時森の預かり料も返す。村岡はこっちの喧嘩はこっちで処理すると言い、広能も若いもんを1人出すと言う。“島田幸一 殺人罪 懲役12年”。1人になった勝利に村岡は景浦を仲裁人として立て、手打ちを申し出るが、その条件は大友連合会2代目倉光に競艇場の利権の一部を譲る代わりに大友組を解散させることだった。勝利は関西に逃れる。(明日へ続きます‥‥)

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

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