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ノーベ文学賞受賞のアレクシエービッチさん

2015-10-16 05:45:00 | ノンジャンル
 10月14日の朝日新聞に、今年のノーベル文学賞を受賞されたスベトラーナ・アレクシエービッチさんに関する寄稿文が載っていました。寄稿文を書いたのは、彼女の代表作『チェルノブイリの祈り』の訳者・松本妙子さんです。ここではその寄稿文を全文引用させていただきたいと思います。(著作権の問題があるようでしたら、お知らせください。すぐに削除いたします。)

「19年前、ロシアの新聞『イズベスチヤ』に掲載された記事『チェルノブイリの祈り・事故処理作業者の妻の告白』に出会った時の『これはなんなの!』という衝撃は、いまも忘れられない。チェルノブイリ救援団体企画のスタディツアーから帰国したばかりの、時差ぼけでぼうっとした頭をいきなりガツンとやられてしまった。
 私は当時アレクシエービッチの名前を知らず、聞き書きという彼女の手法について知る由もなかった。だから、これが事実に基づく話なのか新手のチェルノブイリ小説なのか、一瞬判断がつきかねた。
 物語は『私、ついこの間までとっても幸せでした』という言葉で始まる。そして、全住民が避難させられた村で電線を切って回った夫を亡くした妻の悲嘆と慟哭、なぜ行かせたのかと自分を責める言葉の数々。想像をはるかに超えた悲惨な内容。それなのに不思議な感動があった。あの頃、すでに多くのチェルノブイリ本が出ていたが、あの空の下で生きている体温を持った人間の愛と嘆きの声が聞こえてきたのはこれが初めてだった。
 この記事も収めた、彼女のチェルノブイリの事故に遭遇した人々の証言集『チェルノブイリの祈り』はベラルーシを含む30カ国近くで広く読まれているが、1作目の『戦争は女の顔をしていない』はソ連・ロシアで大ベストセラーになり、現在も版を重ねている。アレクシエービッチは、第2次世界大戦中に戦場で男たちを共に戦った女兵士や従軍看護婦らの証言を集めて歩き、女たちが語るもう一つの戦争の姿を表に出してみせた。語り手の1人が言う。『私たちがいなくなってから作りごとを言わないで。私たちが生きている今のうちに聞いておいてちょうだい』
 アレクシエービッチが40年かけて話を聞きとった相手は、子どもからお90歳近いお年寄りまで数千人にのぼる。彼女は『他者の底知れぬ苦悩の淵に勇気を奮い起こして飛び込むのはとてもこわい』と明かす。さらに『国家というのは自国の問題や権力を守ることのみに専念し、人は歴史の中に消えていくのです。だからこそ、個々の人間の記憶を残すことが大切なのです』と。
 1人の人間の物語は小さくとも、数千個の小さなピースがジグソーパズルのように組みあわさると1枚の大きな絵ができあがる。それはソ連とソ連崩壊後の時代を生きてきた小さき人々の大きな歴史でもある。戦争や大事故といった暗い過去を掘り起こし記録する作家の目は、常に未来にも向けられている。歴史に埋もれるはずだった市井の人々の声がアレクシエービッチによって丁寧にすくいあげられ、ノーベル文学賞という光に包まれて次世代に受け継がれていくとしたら、こんなにうれしいことはない。
 私ごとであるが、『すごいジャーナリストがいる』と早くから彼女に注目し、『戦争は女の顔をしていない』など3冊の本を訳した故三浦みどりさんと受賞が決まった喜びを分かち合えないのが、とても残念で寂しい。」

 読んでいて、私は不覚にも涙してしまいました。しかし「1人の人間の物語は小さくとも」という下りには、ちょっと違和感を感じました。私は「1人の人間の物語は、すべて広大な物語である」と思っています。どんな人であろうが、その人の持つ物語を詳細にたどっていけば、1本の映画を作れるほどの広大さを持っているというのが、私の持論です。これは様々な映画、小説を読んできたこと、様々な哲学を学んできたことから、私が今直観していることです。みなさんはどうお考えになるでしょうか?

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/