定年後、定着した60代の自由を謳歌!

 定年を迎え60歳代に入る。第2の人生として輝ける10年を大いに楽しんでいる。 M爺

沖縄の世界遺産、アメリカ軍基地および離島の海

2011-05-04 22:39:58 | 旅行
 2011.4.22-4.27と沖縄旅行をしてきた。久しぶりでの夫婦の旅であった。「沖縄」と聞くとどうしても歴史の中の1ページを思い出さざるを得ない。つまり太平洋戦争の最後の激戦を行った所であるという事実である。今回はそんな沖縄の悲劇と世界遺産の鑑賞および美しい海を見てくる旅にした。

 沖縄の世界遺産は9つのスポットを1つにまとめて世界遺産としている。

    沖縄世界遺産
  

 
   座喜味城跡(読谷村)1420年代に有力な按司(あんじ)であった護佐丸が築城
   
   座喜味城にある沖縄最古といわれるアーチ型の石門
石門の前
 

 世界遺産の一つ「識名園」。1799年に造営された王家の別邸の庭園である。
   識名園.MOV   

1945年の4月アメリカの沖縄本土上陸を最初に防衛した場所。嘉数の高台にあるトーチカである。「トーチカ」とは鉄筋コンクリート製の防御陣地である。この中で待機しながらアメリカ軍を迎え撃ち日本を守っていた人達がいたということでる。沖縄の悲惨な戦争を象徴するような遺構であった。
   トーチカ
   記念碑
  

普天間基地の遠望。周りは街で囲まれている。

   普天間
   

 初日に泊まった読谷村にある高級ホテルから見たビーチ

   日光アリビラホテルからの写真  


 ここから北東35Kmのところに名護市辺野古がある。辺野古といえば普天間基地を辺野古へ移すという自民党政権時の約束を、民主党が大言壮語して「少なくとも県外」とした曰く付きの場所である。辺野古地区はいろいろ聞くに及んで代替基地としての要素を充分に含んでいる事が分かった。つまり現有の普天間基地をそっくり移転しても余りあり、近くにある弾薬庫にも直結する。さらには海浜であるゆえ桟橋を設ければ戦艦も停泊できることになる。勿論基地が全てなくなるのが一番良いわけであるが、アメリカが極東の重要基地沖縄を手放す訳がない。そんな事も判断できない政治の甘さをつくづく感じさせられた。

  基地と世界遺産の後は本島の離島、渡嘉敷島を訪れた。高速艇で35分で行ける小さな島である。さんご礁が多く水も澄んでいる美しい海である。おなじみの「クマノミ」が愛嬌を振りまいて楽しましてくれた。

   クマノミ
   

「海がめ」もいて一緒に泳いだり、草をついばむところをじっくりと観察できた。
    海がめ
   

沖縄。この魅力にあふれた悲劇の島。日本に返還されたのはつい最近1972年の事である。嘉手納基地の騒音をじかに聞いてきたがF16戦闘機のタッチ・アンド・ゴーの爆音は耳をふさがなくてはならないくらいであった。そんな日常茶飯がここ沖縄の現実である。日本の面積の0.6%の土地に75%の軍用地がある沖縄。もう一度われわれ県外の人も見つめなおす必要があると思う。

 これは「安保が見える丘」と呼ばれている場所である。嘉手納基地の全貌を見渡せる位置にある。     
   安保が見える丘(小学生が先生のお話を聞いていた)
   

  沖縄の複雑で悲惨な歴史に触れたが、海の美しさに見せられながら一路東京へ帰ってきた。
             
                  以上



オーストリア エッツタール・ゼルデンスキー9日間

2011-02-23 11:58:18 | スキー
 2011.2.12~2.20の9日間でオーストリア エッツタール・ゼルデンでスキーを楽しんできた。ヨーロッパのスキー事情を記すと、未だに多くのスキーヤーがスキー場に押しかけるという状況です。それの大きな要因は学校が1週間のスキー休暇を設けている事です。子供達が休めば親達もバカンスでスキー場へ家族で訪れる事になるわけです。2月はスキーにとってハイシーズンにあたり我々が訪れたゼルデンのスキー場も家族や若者が大勢やってきていた。

 ゼルデンはヨーロッパでは早くから雪に恵まれワールドカップスキーのレースが最も早く10月に開催されるスキー場である。

   ゼルデンスキー場
     

  標高3,058mの展望台からの遠景

    
 
 氷河を使ったスキーエリア。こんな場所で怪我をした場合、救急隊はヘリコプターで来る。ただしヘリ保険に入っていないと膨大な費用がかかる。

     氷河エリア
   

   ランチの後、スタート前の準備をしているところ
  

 氷河の緩斜面を滑る
      動画。

   ゲレンデの中腹にある高級ホテル
       

  気の利いたロッジできつい酒「ウイリアムズ」を飲む
     

 3回目のヨーロッパスキーで感じた事は、ヨーロッパのスキー人口は横ばいかむしろ増加している。現地の人のスキーは決してマナーは良くないが冬の楽しみ方を知っている。つまり長い冬はスキーで思いっきり遊んでバーでアルコールと踊りを楽しむ。老人は夫婦でゆったりとスキーライフを楽しむ。夕食は必ずワインを飲みながらゆっくりと過ごす。

 我々日本人はそんな中にあって目立つので、よくじろじろ見られる。でも行動はヨーロッパ人と同じであるのでレストランでもバーでも違和感なく溶け込める。広いスキー場で開放感に浸り、連日のびのび滑っていると実質6日間のスキーはあっという間に終わるといった感じである。

 次回またヨーロッパのどこかのスキー場へ行きたくなる気持ちを秘めながら帰途に着いた。  以上


スペインの魅力(8/23-8/30)

2010-09-30 10:56:23 | 旅行
 スペインという国は以前から訪れてみたいと思っていました。8日間の予定でようやく実現できました。旅行会社の定番のツアーでしたが、効率の良い訪問と比較的立派なホテルだったので充分楽しむことができました。
 
 夫婦二人での旅でしたが定年後の自由時間を共有できたのは非常に良かったと思っています。世界遺産、食事、踊り、ショッピングなどで楽しい一時を過ごすことができました。

 旅程は写真のとおりです

    旅程写真

旅の荷物は最小限にして先ずはマドリードに降り立ちました。
    
    荷物の写真・マドリード空港

 マドリードのプラド美術館では良く知られた絵画を鑑賞してきました。イヤホンのガイドで説明を聞きながらの鑑賞は納得の行くものでした。

    プラド美術館入口


 北のマドリードから南のアンダルシア地方へはスペインの新幹線AVEを利用して移動しました。

    新幹線の写真

 「情熱の国」スペインとは、要するに熱い国だということが良くわかりました。それはコルドバという街を訪れた時でした。気温42℃という猛暑でした。日本でも経験した事がない灼熱の国だということを体で感じました。おいしい料理といえば「パエリア」でした。

   パエリアの写真

 宮殿を利用したホテルは「パラドール」といわれ、今回のツアーに盛り込まれていました。まさに登城する気持ちでチェックインとなりました。

   門の写真

 スペインの一番の魅力はやはり「フラメンコ」でしょう。グラナダで見た洞窟でのフラメンコショウを堪能してみてください。

   洞窟のフラメンコ
    
         
    

 グラナダといえばやはり「アルハンブラ宮殿」でしょう。美しい庭を見て感じない人はいません。定番の写真を載せてみました。

   アルハンブラ宮殿の写真

ミハスというジブラルタル海峡に近い街は「白い街」といわれるとおり、白さを観光の目玉にした小さい街でした。お土産のほとんどをこの地で買い、ジブラルタル海峡の美しい風景を見ながらおいしい魚料理を味わいました。

   白い街ミハス

 最終地、バルセロナはなんといってもガウディの建築物でしょう。大聖堂「サクラダ・ファミリア」は見た瞬間の印象が「おー!」という感じで、天にも届きそうな建造物に圧倒されました。

   サクラダ・ファミリアの写真

 バルセロナには、あのアルゼンチンのメッシーを擁するサッカーチーム「FCバルセロナ」があります。その本拠地であるスタジアムを訪れました。2010ワールドカップを制したスペインは今回の優勝で経済的危機のある国内事情を吹き飛ばすように国民の一体感が街の雰囲気で感じられました。

  スタジアムの写真

 スペイン、行きたいけど遠くて行きにくい国スペイン。念願かなってとりあえず無事に旅行が終り感謝です。あの「サクラダ・ファミリア」の完成は2030年ですが、その時は、もう一度確認しに行きたいものです。     以上


 

 







志賀高原 渋峠 草津白根の自転車ルート

2010-08-18 14:30:26 | 自転車
 2010.8.4~8.7志賀高原経由「渋峠」の自転車の旅を終えた。昨年も4月に同じルートを計画して長野市まで行ったが渋峠は雪のため閉鎖中であった。今回は再度試みるため、確実な8月に設定した。

 ・8/4 日野市の自宅を出て 大垂水峠---笹子峠---八ヶ岳別荘への登り  134Km

 ・8/5 八ヶ岳から諏訪湖をとおり 塩尻峠 長野市のK林先輩の自宅    147Km

諏訪湖のパノラマ
     写真  

   国道19号添いの犀川 ゆったりとした流れで旅の疲れを癒してくれた

     写真

 ・ 8/6 長野市から須坂市、中野市を通りいよいよ渋峠アタック  前橋まで162Km
    途中志賀高原では丸池で小休止  
     写真 

     念願の渋峠到着
       写真 2枚

 渋峠からの下りはまさに天上からのダウンヒルで爽快さと風光明媚な景色を堪能させてくれた

   写真  

  渋峠アタックの高低プロファイルを参考までに示した 2,172mの渋峠がピーク 次ぎのピークは草津白根山 登攀の標高差は1、770m
   
   

  ・8/7 前橋からの帰路は長瀞--秩父--名栗--青梅--あきる野--八王子--日野の自宅 122Km

走行距離は全部で566Kmとなった。通過した 峠 の数は11個。無事に生還できたことに感謝している。トラブルは道に迷った事が2回あったことぐらいであった。

 渋峠への登りは32Kmであったが何回か20%ぐらいの短い激坂があった。それもむしろ望むところであった。坂バカに一歩近づいたのかな?下りで見た草津白根山のすばらしい景観は脳裏に焼きついている。自転車一人旅、自由気ままさと美しい景色を独り占めできるのがなんとも爽快である。次ぎの旅はまたいつか計画しよう。    以上

ブルガリア、セルビア自転車の旅(シルクロード)

2010-06-21 16:49:20 | シルクロード
 2010.6.2-6.19でブルガリア、セルビアを自転車で走ってきました。シルクロードを自転車で20年かけて走るという計画の18年目にあたる今回、19名のメンバーが参加しました。私は参加3回目となり、いよいよヨーロッパへと来ました。前回の2回はイラン、トルコでした。砂漠あり、山岳有り黒海沿岸ありと変化に富んだコースでした。そして今回は?

  全員集合
    

 今回はとうもろこし畑とか、バラ栽培の畑や豆類の畑などカントリーロードの多い地域を走ってきました。ブルガリアは人口約750万人で日本の1/3の広さです。かつてはバルカン半島を占領していた大ブルガリア帝国でしたがオスマン帝国に支配され、その後ロシアの支配下となり1909年に現在のブルガリア王国として独立しました。

    ブルガリア、セルビアの地図.
        

 ブルガリアとトルコの国境からスタートし、ソフィアを経由してセルビアに入りベオグラードが終着点の自転車の旅でした。途中ブルガリアのリラでは世界遺産の修道院を見学しました。

  リラ修道院 ブルガリア正教最大の修道院 


 自転車での最初の宿泊地Haskovo(ハスコヴォ)への登り
   Haskovo.mov



 Velingrad(ヴェニングラード)近くの湖のパノラマ。別荘が多くあるリゾート地帯
   Velingrad.mov



 19名の集団走行
集団走行1
   
   

 干草を載せた馬車を見つけた
  干草を載せた馬車



 ブルガリアではあちらこちらでコウノトリの巣を確認しました。それでもむかしに比べたらコウノトリの棲息数はずいぶん減ったというガイドの話でした。
  コウノトリの巣 

 いよいよ国境越えとなる
  
 ブルガリアからセルビアへはパスポートの提示だけで比較的簡単に国境を越えることができました。セルビアは人口約1,000万人弱で日本の1/4で北海道ぐらいの国土です。2006年にモンテネグロの分離独立を機に独立しました。ブルガリアからバトンタッチされた新しいガイドとバスの運転手に誘導さ新境地をさっそうと走り出しました。ランチはピクニック風です。

  ピクニックランチ  


 川を渡るのに、鉄道の鉄橋を道路が共用するという珍しいものに出会いました。つまり列車が渡った後に遮断機が上がり一般の車や人が通るというものです。勿論路面は鉄道と同じ高さになっていますが線路と道との隙間がびっくりするほど開いています。間違って車輪を入れると嵌ってしまい落車は免れません。

  鉄道と道路兼用の鉄橋


 いよいよベオグラードへ向けてのドナウ川の横断です。

  ドナウ川横断  

ベオグラード到着後翌日市内観光を楽しみました。ベオグラード大学東洋学部日本語学科の生徒との交流は非常に充実したものになりました。我々が日本から持ってきた日本語の書物106冊を寄贈し、たいへん喜ばれました。

  ベオグラードのドナウ川   



  ベオグラード大学のみなさんと記念写真


  

 最後にこの遠征で初めてヨーロッパに入りましたが、ブルガリアにしてもセルビアにしても農家の生活は決して豊かではないにもかかわらず、昼間からテラスで談笑している人達の姿が目に付きました。働いていない青年もいました。

 都市部は活気はあるものの、失業者の数も多いので人々の明るさは今ひとつといった感じでした。しかし公園の美しさは日本と同じで広いスペースをゆったりと使っていました。道行く人の服装は解放的ではありました。ただし、セルビアはコソボ自治区を初めベオグラードの街もNATOの空爆にあい、決して癒されているとはいえない雰囲気でした。民族紛争のない日本のありがたさを実感した次第です。               以上

 




   

石垣島に行ってきました

2010-05-06 14:21:13 | 旅行
 4月16日~19日まで3泊4日で沖縄、八重山諸島の一つ石垣島へ行ってきた。羽田からの直行便で約3時間30分で石垣空港に着いた。今年は異常天気も半端じゃなくて当日、羽田を発つ時雪交じりの寒い日となった。この時期の雪はめずらしく、日本の各地で降り、TVも驚きの話題としてニュースを独占していた。そんな中を石垣島へ来たわけである。さすがに荒れた天気が続いていたせいか、ホテルに滞在していた人達がみな欲求不満そうだった。

 ところで今回、変わったホテルに滞在した為、新しい発見、体験ができた。それはクララブ・メッドというフランス系のホテルで日本にはここ石垣島と北海道のサホロの2ヶ所しかない。3食付で食べ放題、しかも夜は劇場でのショウあり、バーでの飲み放題と大食漢と飲んべーにはもってこいのホテルでした。

     クラブ・メッド

    プールとビーチ

 カビラビーチが近くにありマリンスポーツはシュノーケリングをはじめウインドサーフィン、シーカヤック、ダイビング(オプション)それと、きれいなプールもあり退屈する事はない。そのほか施設としてはテニス、アーチェリー、スカッシュ、マウンテンバイク、フィットネスセンター、卓球場と海以外のスポーツも楽しめる。
 
     カビラ・ビーチ 
  

     テニス・レッスン


 夜は劇場でのショータイムである。1時間ほどの内容であるがスタッフ達(G.Oと呼ばれている)全員での踊り、寸劇、コミカルなコントなど飽きさせない工夫があり長い夜の一時を充分楽しむことができた。


     ショウタイム

 リピーターが多いのは一度来ると滞在中はまるで「竜宮城」に居た感覚になるのではないかと感じた。働きすぎの日本人が長期休暇でリゾートに行くのはまだまだ先のことになりそうです。しかしわれわれ日本人もこのようなホテルに滞在してしてみるのも良いのではないかと思った。



以上   

イタリアのスキーツアー

2010-02-22 21:49:25 | スキー
2010年2月13日ー21日と9日間、イタリアのコルチナダンペッツォでスキーを楽しんできた。
 ヨーロッパはまさにスキー天国である。フランス、スイス、オーストリアそれにイタリアと全てがスキー王国である。今回行ったコルチナダンペッツォはイタリアのドロミテ山系(Dolomiti)にある一つのスキー場である。ドロミテは全部で12のスキーエリアを持つ山岳スキーリゾート地帯である。全体図は以下のとおりである。

   
     


 1956年日本の猪谷千春さんがオリンピック回転で銀メダル取ったスロープがあり、我々もしっかり滑ってきた。30度近い斜度のある難しいバーンであった。半世紀前に日本人がヨーロッパ人と並ぶ成績をあげた事は誇りに思えた。当時の猪谷千春さんの記録映像を見るとおよそ美しい滑りとは思えない。しかし私達が滑っても心構えをして行かないと転倒しそうな斜面を疾走してトニーザイラーに次ぐ2位でゴールしたという事は大殊勲と言える。
 周りの景色はどんなものか以下の2枚の写真と動画をみてもらいたい。

   クリスタッロ(3,216m)

   岩山の遠望
 

CRISTALLO_SKI 


 我々はドロミテ山系のスキーエリアを全て一枚のチケットで巡る事ができるスーパースキーパス6日間を購入して楽しむことにした。日本円でおよそ¥29,000円であった。一枚のパスで廻る事ができるスキー場としては世界最大である。




 ヨーロッパのスキー事情で特に目立つのは、①お客がほとんどスキーで占められることである。ボーダーは僅か2~3%である。②大人達は男女ともヘルメットを着用している。その割合は80%ぐらいである。子供達に至っては100%ヘルメット姿である。

  ヘルメット姿の自分
 

 スキーガイドによる集団のスキー滑走 


 次のデータは携帯用GPSを使ってスキー場を一日中滑っていた記録である。移動する距離は大した事はないので、斜面を滑ったルートを高低差で表したものである。CIVETTAスキーエリアの滑走記録である。最大標高差1,120mを何回も滑っているのが分かる。

                  
    
岩壁に張り付いたスキースロープ


アルベルト・トンバがワールドカップで常勝の頃のスタートハウス(現在も使用)
   

 今回珍しい乗り物に会えた。スキー場から他のスキー場へ移動するのにリフトではなく観光を兼ねた二頭立て馬車で牽引されるスキーバスである。1人¥230円払って2本のロープに全員つかまるわけである。次の写真と動画がその時の様子である。

  2頭立の馬車
  
   


さらに面白い物に出会えた。次の写真は岩の間からしみ出た水が氷となって奇妙な様相を呈している氷瀑である。
  
    

 最後に今回のスキーツアーで感じた事は、ヨーロッパのスキーは未だに健在であるという事であった。あの広いゲレンデに沢山の老若男女が滑走している姿を見ただけで良く分かった。一頃の日本のスキー場風景であった。今の日本の事情は閑古鳥が鳴いている寂しいものである。日本人がオリンピックのアルペン競技で勝てないのはそんな状況をそのまま表していると思えた。
 昨年はフランス、今回はイタリアと続いたスキーツアーであるが来年もどこかのスキーリゾートに行って見たい気がする。          以上

忘年会と自転車と富士

2009-12-23 11:45:39 | 旅行
 忘年会シーズンですが、ただ飲むだけではつまらない。旅行と運動とお酒の組み合わせで旅の楽しみと健康を考えた忘年会が良い。2009.12.18-19定年退職したN社の「ある会の仲間」と1年ぶりで会う忘年会に参加してきた。酒の宴での余興を楽しみ、温泉で癒しを感じ、行き帰りは自転車でという組み合わせである。

 老舗の石和温泉で1泊の忘年会である。私は八ヶ岳のふもとにたまたま別荘があるのでそこから自転車で移動するという特典があった。

  宿泊先での全員集合 石和温泉「古柏園」
  

  南アルプスを見ながらの自転車の移動 甲斐駒ヶ岳2967m 
   

  富士山があまりにきれいだったのでつい何枚も写真を撮った 富士山3776m
  

  自転車との2ショット  富士とロードレーサー
     片道45Kmの自転車の旅 冬の山々はやはり美しい
      

 そんなわけで楽しい忘年会を企画してくれた仲間に感謝するとともに自転車と山の楽しみを堪能できて幸せな2日間を過ごせた。      以上   
    
   

 

東京ウォーターフロント クルージング

2009-12-22 17:12:33 | 旅行
久々の投稿です。東京湾を含むウォーターフロントを水上バスやモーターボートでクルージングする楽しみがあります。
つまり隅田川、荒川や東京湾を水上交通手段を使って巡るというものです。陸上を走る路線バスと同じように水上を走るバスがあります。これは航路が決まっており各船着場に時刻表があり目的の場所に船で移動できるというものです。
下記の時刻表は佃島にある「越中島」の船着場のものです。

    「越中島」の時刻表

航路は次に示すものですが、佃島、天王洲、お台場、有明、汐留さらに葛西といった所を航行することになります。

          航行図

「佃島」は高級マンションが林立する東京でも地価が高い一等地です。 

2009年5月に家族で遊覧した時のMov画像です。

     

定期便の水上バス以外にモーターボートをチャーターして自由にクルージンングする方法もあります。次のMov画像は2009年10月に家族で楽しんだ時のものです。
費用は26,000円でした。7-8人は乗れます。水上バスと違って船体が小さい為、波による揺れは半端ではありません。その分だけスリリングさと臨場感を味わう事ができます。新中川--荒川--隅田川--東京湾を巡るおよそ2時間ぐらいのクルージングでした。途中運河により横断する所が何箇所か有り、低いゲートをくぐる為汐の高さを気にしながらの航行となりました。

    東京ウォーターフロント クルージング
        


 ちなみに、荒川放水路いわゆる荒川は大正から昭和にかけて河口から22Km、幅500mに開削された人口の河川です。足立区、墨田区、葛飾区、江東区それに江戸川区の部分を云います。あんなに広い川が人工的に作られたとは驚きでした。
 明治43年の関東大水害で荒川(現隅田川)が氾濫し甚大な被害を引き起こしたので、水害対策の必要性から荒川放水路の建設が決定されました。
 
 東京のウォーターフロントを船やボートで充分楽しむことができることが分かりました。一度はお試ししてみてください。
           以上
   

    



トルコの大地と黒海

2009-06-04 18:59:25 | シルクロード
 シルクロード自転車の旅。今年も昨年の続きでトルコのエルズルム~スングルルまでの760Kmを自転車で旅をしてきた。2009.5.13~5.29 総勢14名でのキャラバンである。各自が役割を分担して見事なチームプレーによる17日間の旅行であった。

 広大なトルコの大地の一部であるが山あり、川あり、海あり、さらに世界遺産ありで充分に楽しませてくれた。今回は黒海沿岸を3日間走るスケジュールであったので砂漠や山岳が多いトルコでの癒しを感じさせるルートとなった。

  トルコ遠征のルート(青で示してある)
    
 
 日本からはウズベキスタンのタシケント経由でイスタンブールに行き、エルズルムまでは国内線で移動した。イスタンブールといえばヨーロッパとアジアをつなぐオスマン帝国の旧都である。オスマン建築の最高傑作のひとつであるスレイマニエ・モスクが次の写真である。トルコではモスクのことをジャーミー(Camii)と云いイスラムの主礼拝堂である。
    スレイマニエ・モスク(イスタンブール)
       

  この後は私が現地から報告した内容を「シルクロード雑学大学」のホームページにアップしたものを見てください。

     ここをクリックする---->トルコからの報告

 今回は黒海沿岸を走ったわけであるが、水温を計ってみた。19.5℃で沖縄の4月末と同じくらいだった。意外と暖かのに驚いた。海の色はエメラルドグリーンできわめてきれいな水であった。海の幸も豊富で魚料理は思う存分食べる事ができた。同じトルコでも砂漠、山岳以外に海もありバライティに飛んでいる事が確認できた。                 以上