師走である。
この月はかつては多くの家で僧侶を家々に迎えて読経などの仏事を行ったため、師が東西に走り回る、と言った、年の暮れの往来の慌ただしさを絡めて、陽暦12月の異称として親しまれている。
私はあまり好きでない。慌ただし過ぎるからである。
私はかつては常に時間に追われて過ごしていた。毎日心の中では「忙しい」、「忙しい」と思いながら過ごしていた。実際に、現役の時のスケジュール表、この徒然日記の記載を見ると信じられないほどの業務をこなしていた。
「忙しい」と言うことは「自分の心を亡くすこと」だ、と言われる。自覚はしていなかったが、私は「心を亡くしていた」、と思う。ここ数年、まだ時間に追われてはいるが、かなり自分を取り戻している。そうなると見えてくる分野も広くなる。
オーバーにいえば何のために働いていたのか??とも思う。
師走を迎えると世の中が喧騒になってくる。通勤路にはイルミネーション、街に出れば商店街がクリスマスセール、お歳暮セールと、目や耳にうるさい。お歳暮は今なら10%引きなどと世の中を煽っている。半ば新設、半ば脅迫である。
新聞ひらけば折り込み広告がうるさい。ラジオ、TVも同様、商店街も「ジングルベル」。これからますます酷くなっていく。音楽雑誌をひらけば「第九」、「第九」の広告である。
駅前のイルミネーション、評判は良いようであるが私はガックリくる。なんか、猿まわしの猿のごとく、ハムスターが必死に車輪を回しているがごとく、世の中が見えない力で踊らされている、と感じるからである。
人間には、濃密でない時間があってもいい。とりたてて目的のない時間に自分を置く、そんな贅沢もたまにはいい。ほっとするし、すがすがしい感性が湧いて来て、私を刺激する。そんな人生良いと思うが、私はまだ初心者である。これからは時間を大切にすることは勿論であるが、お金で買えない豊かな時間を浪費していくことが最高の贅沢になる。
病院の窓から、或いは帰路に太陽が沈むのをゆっくり眺めると、今ここに生きていることを実感する。
かつて私は昇る朝日を見るのが好きだった。
暗い夜がだんだんと明るくなり、山の端から強烈な光が現れる。その姿に、その日1日の希望を感じたり、何か前向きな気持ちを抱いてきた。
一方で、最近は夕日も好きになった。
丸い太陽がゆっくりと沈み、代わりに闇がやって来る。いよいよ今日一日のおわりを感じる。どんな一日であっても、とにかく終わっていく。間も無く休息の時間である。とにかくいい1日であった。まずは休むことにしよう。必ず次の新しい一日がやってくる。
どうやら、沈む太陽を見ることは、時間が流れ続ける、という当たり前のことが感じとれ、今日一日が長い人生の中の貴重な一日であったことも自覚する。それはつまり、生きているということを意識するということでもある。
今年の師走を迎えての感想である。「毎日をもっとゆっくりと」過ごす為に。
この月はかつては多くの家で僧侶を家々に迎えて読経などの仏事を行ったため、師が東西に走り回る、と言った、年の暮れの往来の慌ただしさを絡めて、陽暦12月の異称として親しまれている。
私はあまり好きでない。慌ただし過ぎるからである。
私はかつては常に時間に追われて過ごしていた。毎日心の中では「忙しい」、「忙しい」と思いながら過ごしていた。実際に、現役の時のスケジュール表、この徒然日記の記載を見ると信じられないほどの業務をこなしていた。
「忙しい」と言うことは「自分の心を亡くすこと」だ、と言われる。自覚はしていなかったが、私は「心を亡くしていた」、と思う。ここ数年、まだ時間に追われてはいるが、かなり自分を取り戻している。そうなると見えてくる分野も広くなる。
オーバーにいえば何のために働いていたのか??とも思う。
師走を迎えると世の中が喧騒になってくる。通勤路にはイルミネーション、街に出れば商店街がクリスマスセール、お歳暮セールと、目や耳にうるさい。お歳暮は今なら10%引きなどと世の中を煽っている。半ば新設、半ば脅迫である。
新聞ひらけば折り込み広告がうるさい。ラジオ、TVも同様、商店街も「ジングルベル」。これからますます酷くなっていく。音楽雑誌をひらけば「第九」、「第九」の広告である。
駅前のイルミネーション、評判は良いようであるが私はガックリくる。なんか、猿まわしの猿のごとく、ハムスターが必死に車輪を回しているがごとく、世の中が見えない力で踊らされている、と感じるからである。
人間には、濃密でない時間があってもいい。とりたてて目的のない時間に自分を置く、そんな贅沢もたまにはいい。ほっとするし、すがすがしい感性が湧いて来て、私を刺激する。そんな人生良いと思うが、私はまだ初心者である。これからは時間を大切にすることは勿論であるが、お金で買えない豊かな時間を浪費していくことが最高の贅沢になる。
病院の窓から、或いは帰路に太陽が沈むのをゆっくり眺めると、今ここに生きていることを実感する。
かつて私は昇る朝日を見るのが好きだった。
暗い夜がだんだんと明るくなり、山の端から強烈な光が現れる。その姿に、その日1日の希望を感じたり、何か前向きな気持ちを抱いてきた。
一方で、最近は夕日も好きになった。
丸い太陽がゆっくりと沈み、代わりに闇がやって来る。いよいよ今日一日のおわりを感じる。どんな一日であっても、とにかく終わっていく。間も無く休息の時間である。とにかくいい1日であった。まずは休むことにしよう。必ず次の新しい一日がやってくる。
どうやら、沈む太陽を見ることは、時間が流れ続ける、という当たり前のことが感じとれ、今日一日が長い人生の中の貴重な一日であったことも自覚する。それはつまり、生きているということを意識するということでもある。
今年の師走を迎えての感想である。「毎日をもっとゆっくりと」過ごす為に。
私などは寂しがりやの一人好きなので、多少変わっているかもしれませんが、夕日は寂しい感情を呼び起こして苦手です。
私は病気を沢山して、忙しくできなかった経験が長いためか、毎日やることが沢山あると、とても幸せな気持ちになります。
今でも、まだまだ仕事ができるならバリバリこなしたいし、夢もあります。
先生はロビンウィリアムさんが主演を務められた
「今を生きる」
という映画作品は御覧になりましたか?
私はあの作品が大好きで、時々レンタルしては楽しんでいます。
私もやり残した事が沢山あってそれに対峙しているととても幸せな気持ちになります。それは今も変りません。ただ、やはり気力がちょっと今までとは違う・・と言うところです。それによって見えるものも変わって来ています。
「今を生きる」という作品は知りませんでした。レンタルは未経験ですが、機会を得て観てみたいと思います。