私が店長をしているショッピングサイトがあります。
【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com
よろしくです。
現在、私のブログはgooを初め、アメブロ、ヤプログ、そして私のブログをリニューアルしたYahoo!ブログと四ヶ所で更新しております。
さて、今日は本業?である漫画史研究家の本間正幸として漫画史に関する貴重なデータの情報発信をしてみますね!
今日は、インターネット上でも何故かあまり紹介されていない鶴書房の漫画文庫を紹介しますね!(笑)
今日の画像は、鶴書房の漫画文庫21、島田啓三【冒険ダン吉】になります。
この本の見返しに既刊のリストがあります。
漫画史研究家の日々の活動としては、原本を入手もしくは国会図書館など公共の施設で実物を確認し、独自の作品リストや単行本リストを作成。
研究対象となる作家の場合は、独自に年譜を作成することも重要な作業のひとつになります。
既に作家自身の手による自伝本や研究本、熱心なファンクラブの手により公表されているリストがあれば、それを参考に検証し、抜けている作品があれば訂正をしてみるのも面白いかも知れませんね!(笑)
1.横山隆一『フクチャン大とくいの巻』
2.岩谷 修『カメラのカンちゃん』
3.大城のぼる『インディアン狩り』
4.長崎まさる『わんぱく三遊士』
5.山根一二三『はね助ぴょん助』
6.島田啓三『ネコ七先生』
7.横山隆一『フクチャンはりきりの巻』
8.大城のぼる『アラビア探険』
9.島田啓三『小供極楽島』
10.横山隆一『フクチャンにこにこの巻』
11.手塚治虫『バンビー』
12.島田啓三『ネコ七先生スポーツ時代』
13.入江しげる『宝塚ファンのチョ子ちゃん』
14.石田英助『大久保チョコ左衛門』
15.カゴ直利『ジャングル・ブラザー』
16.カゴ直利『プリン地球へ行く』
17.島田啓三『ゴロニイ先生』
18.東浦美津夫『小天狗若丸』
19.島田啓三『向う三軒両隣り』
20.岩谷 修『テキサスボーイ』
21.島田啓三『冒険ダン吉』
22.石田英助『チョン助無茶修業』
23.横山隆一『フクチャンおいたちの巻』
24.島田啓三『おたこさん』
25.長崎まさる『キャラコさん』
26.中島菊夫『日之丸旗之助』
27.横山隆一『フクチャン大かつやくの巻』
28.内野純緒『南部の唄』
29.松下井知夫『ねこのシロちゃん』
30.大城のぼる『愉快なロボット』
31.戸田世宇三『ミスター漫太郎』
32.松下井知夫『テンテンのてっちゃん』
33.島田啓三『だんご仙人(こっけいの巻)』
34.大城のぼる『天下珍豪傑』
35.入江しげる『チョ子ちゃん(学芸会の巻)』
36.西 塔子郎『リボンさん』
37.山口あきら『くろ助ヤオヤ』
38.小林一夫『月世界の謎』
39.井上一夫『愉快小僧』
島田啓三『ネコ七先生(ジャングル探険の巻)』
横山隆一『フクチャン(傑作の巻)』
島田啓三『だんご仙人(失敗の巻)』
入江しげる『姿消太郎』
桂たろう『鉄扇太郎』
巻末にある「漫画文庫近刊予告」には
中村ひろし『天晴れちえ若丸』
東浦美津夫『怪傑鉄仮面』
内野純緒『宝島』
カゴ直利『拳銃大平原』
大城のぼる『ピークとピグミー』
ちなみに『冒険ダン吉』の奥付けには、
昭和27年3月25日初版
昭和27年12月10日5版
定価40円
とあり、戦前の『少年倶楽部』の人気作が、戦後の少年たちにも人気があったことが判ります。
けれども、この鶴書房の漫画文庫、現存数が非常に少ないのか、滅多に古書市場(古本屋さんの店頭や目録)で見掛けることがありません。
横山隆一、島田啓三、大城のぼる、松下井知夫、手塚治虫と当時の人気作家の作品を多数集めているのに、定価が40円と格安なのは、当時としても特殊な小型のサイズであり、並製カバー無しの簡易な製本のためでしょう。
正に漫画文庫の先駆け(現在のように広く文庫判サイズの漫画本が名作を中心に出版され普及するのは、1975年前後のことです。)とも言えるシリーズだと私は思ってます。
ちなみにWikipediaで、カゴ直利先生の単行本として一番最初に紹介されているのが『少年ジャングル王』であり、翌1953年に『拳銃大平原』の記載があります。
この本では『拳銃大平原』は近刊予告にあり、明らかにその前に出版された15.『ジャンルグル・ブラザー』16.『プリン地球へ行く』の二作品がWikipediaのリストから抜けていることが判ります。
カゴ直利先生は、名古屋で活動を始められてから上京して東京の出版社を周ります。
その際に、後に『少年画報』(少年画報社)で【赤胴鈴之助】(武内つなよし)と並ぶ看板作品【ビリー・パック】を連載する河島光広先生から原稿を預かって上京したのです。
河島光広先生とカゴ直利先生の出会いのエピソードは、非常にドラマチックであり、劇的であるにも関わらず今まで誰も語ってきませんでしたが、私は、千葉にお住まいのカゴ直利先生を訪ねて行き、直接そのエピソードを聞くことが出来ました。
2001年、【少年画報大全】監修に際し、当時名古屋在住の河島光広先生を担当し、会ったことがある唯一の編集者、山部徹郎さん(故人)にお会いした際、河島光広先生のデビューのきっかけは、漫画家のカゴ直利先生からの紹介だったとの話の裏付けをとった執念のインタービューでもあります。
手塚治虫先生の『バンビ』については、【手塚治虫全史 その素顔と業績】(秋田書店・平成10年8月10日 初版発行・定価5714円+税)巻末にある「手塚治虫単行本リスト」に
1951年11/10 バンビ/鶴書房[B6判]描き下ろし
1952年6/15 バンビ/鶴書房 漫画文庫[文庫判]*B6で同出版社から出ていたものを文庫化したもの
との記述があります。
1951年の『バンビ』の定価がB6判・80頁で90円なのに対し、1952年の『バンビ』は文庫判で定価が40円。(この文庫判の定価の記述は今回の私の調査結果によるもので同書に記述はありません。)
そのお買得感が伝わってきますね!
ちなみに、実際の『バンビ』文庫判の実物には、私は残念ながら一度もお目にかかったことがありません。
【手塚治虫全史 その素顔と業績】には、編集・構成・文として森 晴路(手塚プロダクション)さん、片山雅博さん
資料協力として野口文雄さんの名前があります。
片山雅博さんは、先年亡くなられてしまいましたが、この方達を筆頭に手塚先生の漫画作品やアニメ作品のマニア・コレクターは、日本全国たくさんいるのです。
かくいう私も、【メトロポリス漫画総合研究所】を名乗るくらいの手塚漫画のファンであり、映画ファンでもあります。
手塚プロや虫プロの版権スタッフの間でも、私の名前と主宰するメトロポリス漫画総合研究所の名は、少しは知られております。
そう私・本間正幸は、日本有数のマニアであり、コレクターのひとりなのです。(笑)
手塚漫画やアニメのオタクレベルとなればきっと日本を始め世界中に何千人もいることでしょう。
少しは名のあるマニアやコレクターだけでも数十人くらいいます。
さて、今回何故リストの作成が重要なのかワザワザ記事にしたかといいますと、先日、私の主宰するメトロポリス漫画総合研究所に送られてきた戦後直ぐの少年雑誌の漫画付録や漫画本200冊の中に、この貴重な鶴書房の漫画文庫が三冊あったからなのです。
残念ながら三冊共、表・裏表紙が欠損している酷い状態でした。(涙)
東浦美津夫【怪傑鉄仮面】一頁から九十頁まで。
岩谷 修【?】昭和27年3月25日初版。10月10日4版三頁から九十六頁まで。
山口あきら【くろ助ヤオヤ】か?九頁から八十頁まで。
この三冊の本の正体と価値付け評価をする際に参考にした資料が、この単行本リストなのです。
Wikipediaにおけるカゴ直利先生の記述のように、インターネットにおける漫画史に関する情報については残念ながら今だに不完全のままのため、私にはほとんど役に立ちません。
自分自身で実際に作成してきたリストだけが一番信用出来るのです。(笑)
東浦先生のご自宅へおうかがいした際、リスト18にある【小天狗若丸】を今も大事に手元に持っていらっしゃいました。
今度、東浦先生のご自宅へおうかがいする際には、今回入手した【怪傑鉄仮面】を持参して、当時の鶴書房の話など御聞きするつもりです。
また、鶴書房と言えば、藤子不二雄先生の初単行本【最後の世界大戦】の出版元としてあまりにも有名ですが、
1995年にまんだらけ出版部から発売された【あなたのマンガ高く買います】(古川益三とまんだらけ鑑定団)には、次のような記述があります。
古書マンガの人気作家は?
「藤子不二雄のデビュー作『最後の世界大戦』は300万近くするって本当ですか?」
『最後の世界大戦』は現存する数が非常に少なく、10冊も残っていないと言われています。
もし、この本が出てくれば、まんだらけでは現在200万で買い取ります。
この本が発売されてから15年以上が経ちますが、藤子不二雄先生の人気は衰えるどころか高まるばかり。
その後も『最後の世界大戦』が、まんだらけに持ち込まれることは少なく、市場価値は何ら変わっておりません。
このように、戦前・戦後に発売された漫画本の現存数は極端に少なく、人気作家の本はその稀少性故にとても価値があり、きちんとしたデータを確認することすら難しいというのが現状なのです。
また、『最後の世界大戦』の表紙イラストを手掛けたのは、藤子不二雄先生本人ではなく、大城のぼる先生でした。
何故、藤子不二雄先生本人ではなく、大城のぼる先生なのか?
私も、昔はとても不思議に思っていたのですが、このリストをみれば判るように、戦前から活躍されていた大御所の大城のぼる先生と鶴書房の関係は古く、当時としては大御所であり、人気作家だったのです。
まだ無名の新人・藤子不二雄(この本では、足塚不二雄名義)の絵を使うより、大城のぼる先生が表紙のイラストを描いた方が売れると版元である出版社に判断されたのでしょう。
当時の描き下ろし出版社では、無名の新人の場合、作者本人でなく、専属の大御所の描いたイラストが表紙を飾るということが良くあったようです。
鶴書房の場合、大城のぼる先生がその役割を担い、表紙のイラストを描いていたようです。
劇画誕生の地、大阪の八興では、辰巳ヨシヒロ先生や佐藤まさあき先生の初期作品など、久呂田まさみ先生が描いていました。
表紙も任されるようになったのは、みんな人気作家になってからだったのです。
【漫画の匠】
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さて、今日は本業?である漫画史研究家の本間正幸として漫画史に関する貴重なデータの情報発信をしてみますね!
今日は、インターネット上でも何故かあまり紹介されていない鶴書房の漫画文庫を紹介しますね!(笑)
今日の画像は、鶴書房の漫画文庫21、島田啓三【冒険ダン吉】になります。
この本の見返しに既刊のリストがあります。
漫画史研究家の日々の活動としては、原本を入手もしくは国会図書館など公共の施設で実物を確認し、独自の作品リストや単行本リストを作成。
研究対象となる作家の場合は、独自に年譜を作成することも重要な作業のひとつになります。
既に作家自身の手による自伝本や研究本、熱心なファンクラブの手により公表されているリストがあれば、それを参考に検証し、抜けている作品があれば訂正をしてみるのも面白いかも知れませんね!(笑)
1.横山隆一『フクチャン大とくいの巻』
2.岩谷 修『カメラのカンちゃん』
3.大城のぼる『インディアン狩り』
4.長崎まさる『わんぱく三遊士』
5.山根一二三『はね助ぴょん助』
6.島田啓三『ネコ七先生』
7.横山隆一『フクチャンはりきりの巻』
8.大城のぼる『アラビア探険』
9.島田啓三『小供極楽島』
10.横山隆一『フクチャンにこにこの巻』
11.手塚治虫『バンビー』
12.島田啓三『ネコ七先生スポーツ時代』
13.入江しげる『宝塚ファンのチョ子ちゃん』
14.石田英助『大久保チョコ左衛門』
15.カゴ直利『ジャングル・ブラザー』
16.カゴ直利『プリン地球へ行く』
17.島田啓三『ゴロニイ先生』
18.東浦美津夫『小天狗若丸』
19.島田啓三『向う三軒両隣り』
20.岩谷 修『テキサスボーイ』
21.島田啓三『冒険ダン吉』
22.石田英助『チョン助無茶修業』
23.横山隆一『フクチャンおいたちの巻』
24.島田啓三『おたこさん』
25.長崎まさる『キャラコさん』
26.中島菊夫『日之丸旗之助』
27.横山隆一『フクチャン大かつやくの巻』
28.内野純緒『南部の唄』
29.松下井知夫『ねこのシロちゃん』
30.大城のぼる『愉快なロボット』
31.戸田世宇三『ミスター漫太郎』
32.松下井知夫『テンテンのてっちゃん』
33.島田啓三『だんご仙人(こっけいの巻)』
34.大城のぼる『天下珍豪傑』
35.入江しげる『チョ子ちゃん(学芸会の巻)』
36.西 塔子郎『リボンさん』
37.山口あきら『くろ助ヤオヤ』
38.小林一夫『月世界の謎』
39.井上一夫『愉快小僧』
島田啓三『ネコ七先生(ジャングル探険の巻)』
横山隆一『フクチャン(傑作の巻)』
島田啓三『だんご仙人(失敗の巻)』
入江しげる『姿消太郎』
桂たろう『鉄扇太郎』
巻末にある「漫画文庫近刊予告」には
中村ひろし『天晴れちえ若丸』
東浦美津夫『怪傑鉄仮面』
内野純緒『宝島』
カゴ直利『拳銃大平原』
大城のぼる『ピークとピグミー』
ちなみに『冒険ダン吉』の奥付けには、
昭和27年3月25日初版
昭和27年12月10日5版
定価40円
とあり、戦前の『少年倶楽部』の人気作が、戦後の少年たちにも人気があったことが判ります。
けれども、この鶴書房の漫画文庫、現存数が非常に少ないのか、滅多に古書市場(古本屋さんの店頭や目録)で見掛けることがありません。
横山隆一、島田啓三、大城のぼる、松下井知夫、手塚治虫と当時の人気作家の作品を多数集めているのに、定価が40円と格安なのは、当時としても特殊な小型のサイズであり、並製カバー無しの簡易な製本のためでしょう。
正に漫画文庫の先駆け(現在のように広く文庫判サイズの漫画本が名作を中心に出版され普及するのは、1975年前後のことです。)とも言えるシリーズだと私は思ってます。
ちなみにWikipediaで、カゴ直利先生の単行本として一番最初に紹介されているのが『少年ジャングル王』であり、翌1953年に『拳銃大平原』の記載があります。
この本では『拳銃大平原』は近刊予告にあり、明らかにその前に出版された15.『ジャンルグル・ブラザー』16.『プリン地球へ行く』の二作品がWikipediaのリストから抜けていることが判ります。
カゴ直利先生は、名古屋で活動を始められてから上京して東京の出版社を周ります。
その際に、後に『少年画報』(少年画報社)で【赤胴鈴之助】(武内つなよし)と並ぶ看板作品【ビリー・パック】を連載する河島光広先生から原稿を預かって上京したのです。
河島光広先生とカゴ直利先生の出会いのエピソードは、非常にドラマチックであり、劇的であるにも関わらず今まで誰も語ってきませんでしたが、私は、千葉にお住まいのカゴ直利先生を訪ねて行き、直接そのエピソードを聞くことが出来ました。
2001年、【少年画報大全】監修に際し、当時名古屋在住の河島光広先生を担当し、会ったことがある唯一の編集者、山部徹郎さん(故人)にお会いした際、河島光広先生のデビューのきっかけは、漫画家のカゴ直利先生からの紹介だったとの話の裏付けをとった執念のインタービューでもあります。
手塚治虫先生の『バンビ』については、【手塚治虫全史 その素顔と業績】(秋田書店・平成10年8月10日 初版発行・定価5714円+税)巻末にある「手塚治虫単行本リスト」に
1951年11/10 バンビ/鶴書房[B6判]描き下ろし
1952年6/15 バンビ/鶴書房 漫画文庫[文庫判]*B6で同出版社から出ていたものを文庫化したもの
との記述があります。
1951年の『バンビ』の定価がB6判・80頁で90円なのに対し、1952年の『バンビ』は文庫判で定価が40円。(この文庫判の定価の記述は今回の私の調査結果によるもので同書に記述はありません。)
そのお買得感が伝わってきますね!
ちなみに、実際の『バンビ』文庫判の実物には、私は残念ながら一度もお目にかかったことがありません。
【手塚治虫全史 その素顔と業績】には、編集・構成・文として森 晴路(手塚プロダクション)さん、片山雅博さん
資料協力として野口文雄さんの名前があります。
片山雅博さんは、先年亡くなられてしまいましたが、この方達を筆頭に手塚先生の漫画作品やアニメ作品のマニア・コレクターは、日本全国たくさんいるのです。
かくいう私も、【メトロポリス漫画総合研究所】を名乗るくらいの手塚漫画のファンであり、映画ファンでもあります。
手塚プロや虫プロの版権スタッフの間でも、私の名前と主宰するメトロポリス漫画総合研究所の名は、少しは知られております。
そう私・本間正幸は、日本有数のマニアであり、コレクターのひとりなのです。(笑)
手塚漫画やアニメのオタクレベルとなればきっと日本を始め世界中に何千人もいることでしょう。
少しは名のあるマニアやコレクターだけでも数十人くらいいます。
さて、今回何故リストの作成が重要なのかワザワザ記事にしたかといいますと、先日、私の主宰するメトロポリス漫画総合研究所に送られてきた戦後直ぐの少年雑誌の漫画付録や漫画本200冊の中に、この貴重な鶴書房の漫画文庫が三冊あったからなのです。
残念ながら三冊共、表・裏表紙が欠損している酷い状態でした。(涙)
東浦美津夫【怪傑鉄仮面】一頁から九十頁まで。
岩谷 修【?】昭和27年3月25日初版。10月10日4版三頁から九十六頁まで。
山口あきら【くろ助ヤオヤ】か?九頁から八十頁まで。
この三冊の本の正体と価値付け評価をする際に参考にした資料が、この単行本リストなのです。
Wikipediaにおけるカゴ直利先生の記述のように、インターネットにおける漫画史に関する情報については残念ながら今だに不完全のままのため、私にはほとんど役に立ちません。
自分自身で実際に作成してきたリストだけが一番信用出来るのです。(笑)
東浦先生のご自宅へおうかがいした際、リスト18にある【小天狗若丸】を今も大事に手元に持っていらっしゃいました。
今度、東浦先生のご自宅へおうかがいする際には、今回入手した【怪傑鉄仮面】を持参して、当時の鶴書房の話など御聞きするつもりです。
また、鶴書房と言えば、藤子不二雄先生の初単行本【最後の世界大戦】の出版元としてあまりにも有名ですが、
1995年にまんだらけ出版部から発売された【あなたのマンガ高く買います】(古川益三とまんだらけ鑑定団)には、次のような記述があります。
古書マンガの人気作家は?
「藤子不二雄のデビュー作『最後の世界大戦』は300万近くするって本当ですか?」
『最後の世界大戦』は現存する数が非常に少なく、10冊も残っていないと言われています。
もし、この本が出てくれば、まんだらけでは現在200万で買い取ります。
この本が発売されてから15年以上が経ちますが、藤子不二雄先生の人気は衰えるどころか高まるばかり。
その後も『最後の世界大戦』が、まんだらけに持ち込まれることは少なく、市場価値は何ら変わっておりません。
このように、戦前・戦後に発売された漫画本の現存数は極端に少なく、人気作家の本はその稀少性故にとても価値があり、きちんとしたデータを確認することすら難しいというのが現状なのです。
また、『最後の世界大戦』の表紙イラストを手掛けたのは、藤子不二雄先生本人ではなく、大城のぼる先生でした。
何故、藤子不二雄先生本人ではなく、大城のぼる先生なのか?
私も、昔はとても不思議に思っていたのですが、このリストをみれば判るように、戦前から活躍されていた大御所の大城のぼる先生と鶴書房の関係は古く、当時としては大御所であり、人気作家だったのです。
まだ無名の新人・藤子不二雄(この本では、足塚不二雄名義)の絵を使うより、大城のぼる先生が表紙のイラストを描いた方が売れると版元である出版社に判断されたのでしょう。
当時の描き下ろし出版社では、無名の新人の場合、作者本人でなく、専属の大御所の描いたイラストが表紙を飾るということが良くあったようです。
鶴書房の場合、大城のぼる先生がその役割を担い、表紙のイラストを描いていたようです。
劇画誕生の地、大阪の八興では、辰巳ヨシヒロ先生や佐藤まさあき先生の初期作品など、久呂田まさみ先生が描いていました。
表紙も任されるようになったのは、みんな人気作家になってからだったのです。
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