metch Happy days

クリスチャンで、韓国で神学を学んでいるめっちの毎日の成長をつづるブログ

理想と現実

2008-07-14 01:31:29 | 読書・映画
理想と現実はいつも隔たっているなぁと感じる。

小説塩狩峠を読んでいる。
中学生の頃からの大好きな小説だった。
このたび、機会があって改めて。
まだ前半分を読んだところです。

綺麗な生き方をしている女性達が出てくる。
主人公の妹、その友人の妹、主人公の母親たち。
小説だけど、いかにも、見た目美人なだけではなく、内面から理想が高くて清い生き方を志したひとなんじゃないかと思わせる描写。

うらやましいなぁと思う。

誰にでも、人に知られたくないと思うような汚い心が、きっとあるはずだけど、それでも理想は高いほうがいいし、理想を置いたらあきらめない方がいいとも思う。
だけど、自分の欲で設定した理想にとらわれすぎるのも、病的だ。

欲と努力のバランスも難しい。
欲は出しすぎたらいけないけど、欲、というより、目標や意欲自体がなければ、努力も生じないからだ。

素直な女性でいたいと思う。
塩狩峠に出てくる女性達のように、きちんとしていたいと思う。
見た目にも美しく、信仰をきっちり守って、夫に従順。
だけど、現実の私は、そうじゃないんだなぁ。

目に見えるように何かはしなくても、たとえ彼氏が気がつかなくても、心の中でいつも私が思っている理想の女性的考え方をしてるかというと、時々そうではない。彼氏だけじゃなくて、すべての人々に対しても、自分が「こういう風に接したい」という枠を大きくはみ出ても、結局自分の心の状態に大きく左右される。
ストレスが大きいとちょっとしたことでイライラしたり、人の失敗を指摘したくなる自分。

実際に人の目に見てやっているかやってないか、よりも、心の中でどう思っているか、そういうことに、塩狩峠は言及する。

その目で見ると、すべてをひっくるめて、自分は理想とは程遠いと感じます。

ピアノも、自分の欲ばりで、努力も追いつかないのに、あれこれと頑張っている自分。頑張っている事は美しい努力ともいえるだろうが、その内側にある急いた思いや、負けず嫌いも自分を苦しめる。

そして悩んで苦しくなった心を引きずって、失敗したりするともっと落ち込みます。

内面から、美しい女性達を小説の中で見ると、改めて理想像を構築しなおそうという気になります。
自分の考えで作り上げた理想は、ハードルがある意味高い気がする。

全部別々
信仰
音楽
奉仕
見た目
女性像
優しさ

大胆さ
強さ
妻像
そのほかいろいろ

だけど、この「色々」は本当は一つの根っこから生え出でる実なのではないかと、今思えてきた。
根っこを押えることが重要なんじゃないかと。。。
じゃあ根っことはなんだろう?
私たちをいつも、澄んだ精神にしてくれるのは、何だろう。
時や気分によって変わらない理想を位置づけてくれるものを、いつも見上げることが出来たらと思う。