散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

「和泉橋」の謎

2018年10月03日 | ☆横浜じゃん

「橋」は「はし」でも、「〇〇橋」だと「はし」か「ばし」になります。
「はし」は、清音。「ばし」は、濁音。
というわけで、橋の架かる川が濁らない清らかな流れであるように、
口語は「ばし」でも、橋銘板には「はし」としているところが多く見受けられます。

横浜の場合も、多くは「はし」となっていますが、
これまでは慣例で、最近になって明確な基準が決められたようです。
橋に取り付けられる銘板は4枚。
河川名、漢字橋名、ひらがな橋名、竣工年月日です。


和泉川は、泉区和泉町の中央を流れて境川に合流しています。
和泉町の中央辺り、川が長後街道と交差する橋が「和泉橋・いずみはし」です。

漢字橋名


ひらがな橋名


その上流部、泉区と瀬谷区の区境辺りの橋の名が気になりました。
区境の旧道にかかる橋は「宮沢橋」といい、その下流に、
都市計画幹線道路「鴨居上飯田線」の建設に伴って架けられた橋があります。
現在、手元にある「区民生活マップ(下写真)」には「わいずみ橋」と表記されており、

実際に行ってみると、
漢字橋名は「わいずみ橋」で、


ひらがな橋名は「わいずみはし」となっていました。


もともと、この橋をよく利用していたため、
ある時「和泉橋」と表示されていることに気づきました。
残念ながら、ひらがな銘板は未確認。おまけに写真データが簡単に見つかりません。
しばらくして、橋銘板が無くなり、プレート泥棒の仕業かなと思っているうちに、
無名時代が何年か続いたのち「わいずみ橋」がはめ込まれました。

さて、戸塚区から分区して泉区が誕生したのは昭和61年。
昭和63年刊行の明細地図(下写真)では「宮沢下橋」となっていて、


平成3年の「区民生活マップ(下写真)」には同じく「宮沢下橋」となっています。


ところが、平成8年4月現在という「横浜市河川計画図(下写真)」には、
「内林橋」という表示がされています。


「内林」は、北の境橋の西側一帯の字地名で、
確か日向山の区画整理事業により字地名は廃止になっています。


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2 コメント

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う~ん (酔華)
2018-10-20 11:03:00
これは大きな謎ですね。
ぜひとも解明してください。

コチラのブログも結構前の日付の記事が、
日にちが経ってから表示されるのも謎です。
ぼちぼち (メタ坊)
2018-10-23 20:15:57
住宅地図の年代を遡れば、
いつごろからなのかわかる気がしますが、
何故そうなったのかは、
当時の関係者しか知らない事情がありそうですね。

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