散歩の閑人:メタ坊っちゃま、メジャーデビューに気をつけて

食べ歩きが原因で健康診断の結果は、イエローカード。
万歩計を必須アイテムにして、あちらこちらと歩きまわりマッスル!

横浜・元町薬師堂

2010年08月15日 | ☆横浜じゃん
65年目の終戦記念日。
私たちは、どれだけ65年前のことを知っているのだろうか?
学校で習う日本の歴史だって、縄文弥生時代からはじまり、江戸に入って幕末になろうかというころに終わってしまう。
小学校にしても、中学、高校にしても、近代以降を真正面から習った覚えがない。
まして、日本が戦争をしていたことは知っていても、何が原因で、どのようだったのかは関心を持たなければ、さっぱりわからない。
今ある平和や繁栄が、当たり前のように訪れたと思えるだけ幸せな世の中だ。

後世に名を残すために、人は墓を建てる。
一方では、無念に死んでいった人々のために、生き残った人々が鎮魂の目的で建てる碑がある。
家族といえども、疎遠になれば1年で整理される墓石と同様に、寺社の片隅に追いやられていく石碑があり、記憶の消滅とともに由来も言い伝えもなくなっていき、いつしか跡形もなくなってしまう。



元町に薬師堂があるなんて、最近知った。
もともと、元町の入口の谷戸橋そばに増徳院という寺があり、多くの人々の信仰を集めていた薬師堂があった。
「元町薬師」といい、縁日には外国人も訪れて賑わい、男女の縁を結ぶことから「色薬師」ともいわれたそうだ。
ペリーが日本に黒船で来航した際に、墜落死した水兵がいて、海の見える地に埋葬したいと要求され、この増徳院に埋葬した。
以来、横浜へ上陸した外国人が亡くなるたびに埋葬をくりかえし、外国人墓地を形成していく。
その都合かどうかわからないが、増徳院は、関東大震災で全壊後、南区平楽に移転再建した。



この薬師堂は、昭和47年に再建された。
地福寺という名があるが、増徳院の系列なのか、入口脇の擁壁に外国人墓地に眠る仏文学者・詩人の平野威馬雄作詞の「お薬師さん」「ヨコハマシャンソン」の歌詞看板が掲げられている。

そして、狭い境内には、関東大震災横死者、戦災者の供養塔が建っている。
昭和48年にできたということは、この石碑はどこかに建っていたものが、ここへ移転してきたのではないかと思われるが、詳しいことはわからない。


goo地図

私たちは、多くの犠牲者の眠る地の上で、平和を享受していることを忘れてはいけない・・・合掌。
それにしても、わからなくなってしまったことが多すぎるのではないだろうか。

コメント (2)   この記事についてブログを書く
« 横浜・アメリカ山公園 | トップ | 横浜・納涼ガーデンまつり »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
 (酔華)
2010-08-16 06:12:09
平野威馬雄が作詞した「お薬師さん」「ヨコハマシャンソン」を聞いてみたいですよね。
どんなメロディーなのか、ずっと気になっています。
平野レミが歌っているのでしょうかね。
シャンソン (管理人)
2010-08-17 00:27:54
どちらも
高野山真言宗準別格増徳院制定
と書いてあったので、
ひょっとしたら、増徳院にレコードがあるかも?

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

☆横浜じゃん」カテゴリの最新記事