柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

静寂

2019-07-14 10:10:53 | Weblog
閑さや 岩にしみいる 蝉の声。芭蕉の有名な句です。この句が出来た(発句された)期日が正確にわかるそうで、それは1689年7月13日だと、13日の読売朝刊のコラムが教えてくれてました。芭蕉ってそんな前の人だったんですねと改めて思い遣るし、日本語の連綿さ、情緒纏綿さの継承具合にも感心することです。で、この句にある蝉はアブラゼミかニイニイゼミかの論争があったそうで、斎藤茂吉は声の大きさから考えればアブラゼミだと言うたそうで、しかしこの句が作られた山形でこの時期にはまだアブラゼミははい出ておらず、そういう「科学的な」論考からこの句の蝉はニイニイゼミだとなったそうです。ま、あれこれ拘る人はいるもんで、蝉の種類でこの句の趣意が変わるわけじゃないのでしょうが、でもやはりジャンジャンうるさく鳴く風情が似合いますよね。この句の深さと言うか味をわかったのはだいぶ歳をとってからでしたね。セミが鳴いててどうして静かなんだ?当初はこうでした。でも、歳とるとわかってくるのです。もちろん誰かの解説を読んだからですけれど、たとえば夏の山に分け入って小川のほとりで一休みする、小川の流れの音のほかには辺り一面を覆いつくすようなセミの鳴き声しかしない。そういう場面を思い浮かべる。それこそが静寂なのだという感覚だと。ジャンジャン蝉は鳴いているけれどそれ以外には聞こえないという深い静けさ。なるほど。これは超有名句、古池や 蛙飛び込む 水の音 にも通じます。これも風景描写じゃなくて、ぽちゃんという音しか聞こえない、水面には静かに波紋が広がっていくだけという静寂です。沁みるでしょう?でもこれがわかるにはこっちも歳をとらねばならぬのです。荒海や 佐渡に横たふ 天の川、さみだれを あつめて早し 最上川。こちらはスケール観ですね。俳句の世界観。そして日本人の持つ、たった17文字にこれだけの風景や情感を読み感じ取る能力です。作れない、でも感じられる。日本人でよかった。でしょう?
 参院選、半ばにかかりました。今朝もNHKで各党幹事長を呼んで討論してました、先週は党首でした。相変わらず福山さんや小池さんは言いたい放題ですが、自民党は強面萩生田さんですからそんなに押されてる印象はなくて。岸田さんとか茂木さんとかが呼ばれる時がありますが、その時は相手も違うわけですが、なんかこの二人は頼りない感じです。岸田さんはあーうーが多くて安倍さん以上に答弁が的外れて回りくどい、茂木さんは内容はデータ並べたりしてきちんとしてるんでしょうが、やはり見た目喋り口ですかね。その点萩生田さんは対を張れてる見栄えです。今回も野党統一候補という流れですが、新聞やTVも揶揄してます、枝野さんが共産党候補の応援演説に立ってた、共産党の穀田さんが国民民主党の応援にマイク握ってた、とか。素人が見ても大丈夫か?と思いますね。共産党と組むの?と。今時西側諸国で共産党が公党として堂々と政治活動しているのは日本だけだそうで(つまり他国では危険思想として排除されてるのです)、それでは飽き足らずにこともあろうに共産党と組む。安倍さんならずとも仮に当選して彼らは共同行動できるのかの疑問です。共産党に飲み込まれるがオチじゃないですかね、そもそも左翼たちの集まりですから。革命のためには暴力を是認する政党ですよ。口ではきれいごと並べてますが、ソ連の失敗や中国のあの全体主義をしっかり見ないと。自民党に勝つためだけの野合、一時凌ぎ、姑息。維新の党だけは別物とわかりますが、他の党は皆亜型ですから已むない現象とはいえ彼らには任せられぬですよ。
 竹村健一の死亡報道でした。ジャニーさんと重なったばかりにスルーされた感ですが、この人も売れたことでしたね。一時はこの人の冠番組何本かあったですよ、もちろん討論系トーク番組でしたが。髪薄く七三分けならぬ九一分けで、パイプを持って気取ってましたがコテコテの関西弁の典型的なオッサン顔、口調は横着系で、今でいう上から目線系。もちろんそれが受けたわけですが、漫才ブームによって関西弁がTVで市民権を得る頃だったのも天の時だったのでしょう。話し初めに必ず言うフレーズ、だぁいたいやねぇ(大体やね)。これが売れました。カレーのCMでは delicious の発音をネタに、デリシャスじゃなくてデリーシャスよ奥さん!とやってましたね。私らも学生当時(だったです)流行ったなぞなぞやってましたよ、竹村健一の好きな色は?だぁいだぁいやねぇ(橙やね)。竹村健一の自慢のパーツは?だぁいたいやねぇ(大腿やね)。合掌。
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